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前略草々 THE GREATS  

 ウエリディワチュエではないとでも言いたげに、森で会ったヒヨドリは綺麗な発音でエウリディーッチェッと鳴いた。私も正しくエウリディーと口笛を吹いた後、舌を使ってッチェッと発音した。数回交わすとカラスに見つかり、ヒヨドリはウィンウィンと警告音を出す。私はコツを覚え、以前のようにのろのろしてカラスの襲撃を受けることもなく森を後にした。
 
 猛暑が叫ばれる中、無理をしてでも東京都美術館に出掛けたのはスコットランド国立美術館展が後三日程で終了するのを思い出したからだ。当美術館では4月1日にドレスデン国立古典絵画館のフェルメール《窓辺で手紙を読む女》修復お披露目を見た後、展示内容がスコットランド美術館展に移行したのは知っていたのだが、なんとなく類似した展覧会を想像したので時間を空けてから観に行こうと考えているうちにぎりぎりになった。
 間に合ってセーフ。
 そもそもスコットランド美術館展はドレスデンのようなフェルメールの修復お披露目といった呼び掛けのためのインパクトは小さかったのかもしれない。しかし全く劣らず巨匠揃いで、かつ誠実で卓越した美しい作品ばかり。いろいろと観てきた鑑賞者なら(やっぱりこういう絵がいいなあ)とため息が出るのではないか。奇を衒わない写実、一生を掛けて磨いた技、そして、宗教画だけではなく日常風景を高貴なタッチで描いた作品が豊富。レベルの高い画家が人々に奉仕するかのようで、逆説的な言い方になるが、誠実で卓越したアマチュア作品の輝きをはるかに超えたプロの作品なのだ。
 中でも、ベラスケスの《卵を料理する老婆》には目を見張る。まず、モチーフの中に出てくる料理は超豪華料理ではなく卵だ。そして料理するのは老婆。少年がそれを見ている。しかし、まったくほのぼのとしていない。鍋や水差しなどの道具も丁寧に本物そっくりに描き込まれ、老婆や少年の顔は宗教画を描く時と同じ光の具合を用いた真剣さ。スペインではよく描かれた厨房画と呼ばれるものらしいが、日常の一コマを手抜きなく描き、宗教画から受ける荘厳さで仕上げた迫力は言葉を使わずして「日常こそ」との宗教性を感じさせる。皿の上に置いたナイフの先はこちらに向いて緊迫感をも与えている。
 絵の前で、危うく会期を逃すところだったと冷や汗をかいた。
 本展、風景画など全てに上記の感動がある。絶対に真似できない絵画ばかりではあったが、精進の喜びを思い出した。

草々

(米田素子)


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