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解読 ボウヤ書店の使命 ㉕-31

長編小説『路地裏の花屋』読み直しつづき。

《時間は嘘を付けないらしい。佐々木から譲られた壺を居間のテーブルに置いて眺めながら、それが焼かれた当初の色合いを想像してみた。まっさらだった頃。素材である土の匂いさえ放ちそうな生々しさを携えていたのだろうか。佐々木の言うことが本当ならば、目の前の壺は暗い倉庫の中に長い間仕舞われていたことになる。生き物のようにさえ見える壺が黙って木箱の中で耐えている様が心の中に浮かんでくる。来る日も来る日も宇宙の果てのような静けさの中で過ごしたのだ。壺の肌は、土の中に隠されていた象牙のようにひんやりと湿気を含み積み重ねられた光沢が感じられた。放つべきものが内側へと沈み込んでいったのか。
 中西と内縁の妻の間柄もこの壺みたいなものだろうかと思う。いつでもさっさと退散したくてしょうがないといったあの男が、何年も居場所とした女はどんな顔をしているのだろう。きっとその女の所に帰りたくていつも逃げ腰なのだろう。当方には何の興味も示さないまま十年以上の年月が過ぎたのだ。メモを受け取る時も短く言葉を交わす時も、目はうつろでこちらを眺めつつもきちんと見てはいない。あの表情を思い出すだけでも腹立たしく思えてくる。あいつにとっては私なんか店の置物かなんかなのだろう。居ても居なくてもいい人間なのだ。何年も、何年も顔を合わせているというのに。
 急に目の前の壺を叩き割ってやりたい衝動に駆られた。しかし、あの佐々木のことだ。いつ気が変わって返してくれと言うかわからない。ぐっと堪える。
それにしても、中西とその女はどうして内縁なのか。はっきりと籍を入れられない理由でもあるのだろうか。どうせあいつのちゃらんぽらんな性格のせいで、いいかげんなままになっているに違いない。
 そこで蓮二朗ははっとした。壺を眺めていると、これまでには明確に気付いていなかったような恨みがましい気分がつらつらと終わりなく湧いてくることに気付いたのだ。
 この壺は月のようだ。
 佐々木は骨董ではないと言ったが、文字通り骨のような風情だ。やはり骨董と言ってよいのではないかと思う。焼き物は女のように傍に置いてみないと理解出来ないと言った佐々木の言葉を思い出す。差し詰め、愚痴を聞いてくれる物静かな良妻といったところか。いや、悪妻かもしれない。見つめていると、これまで明確化してこなかった怒りがコツコツと形になって掘り起こされてくる。
 手を伸ばして壺の肌に触れてみた。柔らかな曲線が掌に吸い付くようだった。活けるとしたら薔薇しかないだろう。庭を思い浮かべたが、まだ似合いそうな薔薇は咲いていない。秋になれば一重の原種が蕾を付けるだろうから最初はそれを入れてやろうと決めた。しばらくは何も入れずに気楽に息を吸わせてやろう。家中を見渡して置き場所を検討した結果、寝室にあるサイドテーブルの下に仕舞った。ここならばぎんに見つかって爪を立てられる心配もない。

 翌朝も余白で展示会の準備をしていると佐々木が現れた。
「壺はどうかね。一晩一緒に過ごしてみて、どう感じたか」
 眠そうに欠伸をしながら言う。
 年齢は蓮二朗とさほど変わらないはずだが、いつまでも坊やという風情が消えない。家の手伝いをしろと叱られたこともなく育ったのだろう。中西と似たような境遇かもしれないが、佐々木の方はむしろ蓮二朗に対して好奇心を剥き出しにして執拗に付きまとう。
 次の展示はアンティークビーズのアクセサリーなので、地下室から折りたたみ式のテーブルを数台運び出さなければいけなかった。蓮二朗はたった独りでそれをする。壺のことを話している場合ではない。
「壺ですか。いいですよ。もちろん」
 面倒そうに答えた。
「触ってみたか」
「それはもちろん。置く場所を考えたりするときには箱から出して触れますからね」
 テーブルの脚を開いて置き、その上に白い麻の布を被せた。
「ビビッときただろう?」
 佐々木は蓮二朗の後を着いてくる。
「オーナー」
 邪魔ですよと言いたかったが堪えた。「ビビッときました。嘘です。まだわかりません」
 振り切るように強く言って、地下室に降りた。
 蓮二朗が再びテーブルを持って上がってくると、
「この本を知っているか」
 佐々木が蓮二朗の顔の前に一冊の雑誌をぶら下げた。「ちょっと古いし、もう休刊となっているのだけれども」
 幻想宇宙と書いてある。
「なんですか、それ。知りません」
「この本の巻末に、例のクリスタルヒーリングの広告が出ているのだよ」
 それを聞いて、蓮二朗は一瞬黙った。
「例のって?」
 とぼけてみた。
「純という陶芸家がアルバイトをしているところだよ。埼玉の。もちろん、この広告を出した頃にはまだ純はいなかっただろうけれど」
 佐々木はしおりを挟んでいる頁を開いている。
 蓮二朗はテーブルを設置した後、根負けしたように佐々木の方に向き合った。 
「純という人に興味がおありですか。それとも――」
「それともなんだね」
 蓮二朗は中西の女にですかと聞きたい。しかし、それも堪えた。
「そのクリスタルヒーリングに興味がおありですか」
「どちらにもない。最初は焼き物に興味があったのだよ。それで調べたら、私の店に来る客の中にこのクリスタルヒーリングに行ったことがある人が居てね、聞いているうちに、クリスタルヒーリングをしている奈々子という女性に興味が湧いた」
 やはり中西の女に興味があるのか。名前まで調べたのなら厄介だ。
「奈々子という方、超能力者ですか。ヒーリングなんていうのなら」
「それは知らないけれど、一度会うとどうしても忘れられなくなるらしいよ」
「恋してしまうのですか」
 やはりこの人は坊やだなと思う。お付き合いする人も根っからの金持ち連中だろう。木花家の人たちもそうだから察しが着く。何かとロマンティックだ。
「恋ではないらしい」
 佐々木は鼻を鳴らした。「ロマンティックじゃないんだ」
 見透かされていたのかと思わず苦笑いをしてしまう。坊やに見えるが勘は鋭い。
「じゃあ、なにですか」
「それは口止めされている。まずは君が偵察してこないか。金なら払うよ。君も少しは興味があるだろう」
「まさかエロではないでしょうね」
 そう言うと、佐々木は大声で笑う。
「だとしたら君には勧めないだろう?」
 そう言われても信用はできない。昨日も壺のことで嘘をついただろう。でも、蓮二朗の方にしてみても、中西の内縁の妻だと言うのなら興味がないことはない。こちらが中西にアロマセラピストのところに偵察に行ってくれないかと頼んだのはほんの数日前のことだが似たようなことが己にもふりかかってくるなんて因果応報だろうかと思う。しかし、会ってみたいと言えば会ってみたい気がした。
「オーナー、テーブルに布を被せるのを手伝ってもらえますか。そしたら、クリスタルヒーリングに偵察に行って来てもいいですよ」
 迷いながらも引き受けていた。
「お安い御用」佐々木は華やかな笑顔を見せ、人差指を蓮二朗の鼻先に向けた。
 またこれだ。指先を人に向けるなと教わらなかったのか。蓮二朗は溜息を着きたいところだが硬直したようにぐっと我慢する。
「ではこれを」と言って、麻の布を手渡した。》

つづく。

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