見出し画像

解読 ボウヤ書店の使命 ㉒-5

 絵画教室で描いている絵が暗示しているものはまだまだありそうだ。表象として現れているものは、ひとつの物を探る当てるだけではなく、まるで芋づる式といっていい状況で繋がり合っているものを引っ張り出す。
 まずひとつには、佐田岬と黒ヶ浜(海へと向かう線路)の間には高島がある。ウィキペディアで調べると、この島は綾辻行人さんの『十角館の殺人』の舞台となったとされているものらしく、信憑性のほどはご本人にでも効いて確かめないと分からないが、ミステリー好きの私にしてみると、
 ――ああ、そんなつながりも地図上に!
 と嬉しい。
 その他にも黒ヶ浜の海岸線を走っている「佐賀関循環線」や「佐田」の語がとある演奏会を指示していることがわかったのだが、それについては、演奏会の後で書くことにしたい。

 さて、短編小説『心に咲く花』の解読に入る。考え事をしながら歩いていたサクラがバス停に辿り着いたところから。

《 気が付くとメイン道路の入り口まで来ていた。道路を渡って右へ歩いて行くとバス停がある。道路の周辺には歩道に沿って設置されている街灯とイチョウの木しかなく、見るだけで途方に暮れてしまいそうなまっすぐの道路が、ずっと遠くまで伸びている。その路肩にあるバス停に向かって数人が歩いているのが見えた。毎朝だいたい同じメンバーだ。みんなベッドタウンから都心の会社に向かうためにバスに乗る。
 サクラは信号のある横断歩道を渡りながら、バス停とは反対方向数キロほどの場所にある公園のことを思い出した。近くの村から善意で譲られたユリの球根が、びっしりと植えられている公園があるのだ。サクラ自身も通っていた高校からボランティアで派遣され、ユリを植えるのを手伝ったことがある。
(あの公園のユリはもう咲いているだろうな)
 渡り切ってバス停の方に曲がる。(お母さんの部屋で見た黄色い花は、ひょっとして、ユリ? 萎れていたから分からなかったけれど、確かに黄色いユリのような気もする)
 バス停に着くと、もうすでに五人ほど並んでいる。顔見知りではあるけれど、誰も互いに挨拶をしようとはしない。サクラも、その列の一番後ろにそっと並んで、みなと同じように黙ってバスを待った。通り過ぎる車の排気ガスが風で運ばれて、誰もが眉間に皺を寄せ沈黙している。》

 どうやら、サクラが考えているユリがびっしりと植えられている公園とは前作『スカシユリ』の中でハトコが雨の日に辿り着いたユリの咲く公園と同じものだろう。

 続き。

《 サクラが公園でユリを植えたのは五年前のこと。高校三年の秋だった。職員室の前に貼ってある申込用紙に名前を書く形で参加申し込みするのだったが、受験も間近の時期だったせいか、三年生から名乗り出る生徒はなかなかいなかった。サクラ自身も積極的に参加したい気持ちにはなれなかったけれど、住所を見ると来年には引っ越す予定になっている地域に近い。それで気になって、職員室の前を通るたびに眺めては、誰もいないのなら申し込もうかと考えた。
 締め切り間近という時期になって、申込み用紙の中に「大谷タツヤ」の名前を見つけて驚いた。タツヤのことは、卒業した中学校も同じなので声変わりする前の少年時代から知っている。高校に入ってからも、思春期にありがちである無愛想な雰囲気を発揮する様子もなく、見かける時にはいつも機嫌がよさそうに見えた。小柄でスポーツ方面では冴えないようだが、物知りで何を聞いても穏やかに教えてくれるのが好きだった。恋というのではない。恋心ならば同じテニス部の山川ユウタの方に抱いていたのだから。でも何かの縁があって六年間を同じ学校で過ごしたタツヤの名前を「ユリの球根植栽ボランティア募集申込み」の中に見た時に、春になって卒業すれば、毎日同じ空間に居た時間が終わって、もう会えなくなると思うと、少し胸が苦しくなるような気がした。思わず、制服の胸ポケットに差していたシャープペンシルを取り出して、カチカチと芯を出すと「上田サクラ」と書き込んでしまった。書き込んだ時には、締め切りまでまだ数日あったので、これから申し込む人もあるだろうと思っていたが、結局最後まで二人の名前しかなく、指定された日曜日の朝、バスターミナルで顔を合わせた時には照れ臭いような気持ちになった。タツヤは水色と紺のチェックのシャツを着て、ごく普通のジーンズを履いていた。初めて制服とは違う姿を見ると、これまでより親しいようにも感じたし、逆にむしろ遠いとも感じられて戸惑った。サクラ自身も土いじりがしやすいようにとピンク色のダンガリーのシャツとジーンズで、これといったお洒落をしているわけでもなかったが、タツヤは恥ずかしそうに目をそらし、見ないようにするかの如く、すぐに「公園行き」のバスを探そうと歩き始めた。
「どうして申し込んだの?」
 慌てて後を追いながら聞いた。タツヤは振り向きもせず早足で歩き、
「どうしてって、ユリを植えてみたかったから」
 ターミナルにある案内掲示板にたどり着いたところで発車位置を探しながら答えた。確認し終えると、すぐに歩き出す。サクラはテキパキとしたタツヤの様子を見てすっかり安心し、行き方を調べることは任せきりにしつつ隣を歩いた。
「でも植えてみたいだけなら、球根と土と、植木鉢を買ってきて植えたらいいんじゃない?」
 質問の続きを引っ張り出した。サクラ自身も申し込んだのだが、それはタツヤの名前を見たからだったし、引っ越す予定になっている近くの公園だからというそれなりの理由があった。タツヤの方には一体どういう理由があるのか聞いてみたかった。
「そうだね、植えてみたいだけなら、学校の中庭に植えてもよかったね」
 タツヤは無表情なままで言い、反論はしなかった。少し肩透かしを食らったように思い、畳み掛けるようにまた質問した。
「じゃあ、どうして?」
「どうしてかなあ。植えることもやってみたかったけれど、公園にね、いつか咲いた時に、ある部分は僕が植えたんだと思うと嬉しいかと思って」
 ずり掛けたメガネを直しもせずに笑顔を見せた。それを見て、ふうんと言った後、サクラは黙った。
「ユリを植えることになったのは、米軍基地からの依頼であるらしいよ」
 笑顔のままでタツヤは言った。
「へぇ、そうなの? どうしてまた」
「米軍は日本国民に歓迎されていると一般兵士に伝えるためだという話もあるし、お金持ちのアメリカ女性と恋をしていた男性が日本の米軍キャンプに行くことになって、寂しがったその女性が権力のある軍人の父親に頼んで公園にユリを植えるように頼んだという話もある。まあ、ちなみにその女性の名前はリリーってことになっているんだけどね」
 ふふふふと息で笑う。サクラもそれを見て、ふふふと鼻で小さく笑った。
「いかにも、ガセネタって感じね」
「まあ、そうだね。他にもいろいろあってね、米軍基地と言いながら未確認飛行物体の通り道にもなっているあの辺りを調査するために、ユリを植えようとしているというのもある」
「未確認飛行物体とユリって関係あるの?」
「未確認飛行物体の発する光が、ある特殊なユリに当たると虹色に変色することが確認されていてね、もしもあの公園の中で虹色のユリを発見したら、UFOが飛んだんだって分かるんだそうだよ

 まじめな顔をして言うので、
「へえ、すごいじゃない!」
 サクラがつい真に受けた後、
「ああ、すごいよ。大変信頼できるガセネタによるとだけどね」
 と言う。
「ああ、しまった、やられたあ」》

 ここを読み直すと、やはりハトコが雨の日に訪れたスカシユリの公園で見た光る飛行物体はUFOなのだろうかと思わずにはいられないが(昔私自身が書いた小説であるが)、いずれにしても、そのような噂の漂うエリアだったとの設定だ。

 続き。

《 バス停に立って「公園行き」のバスを待ちながら、二人は声を出して明るく笑ったのだった。その後、バスに乗り、二人掛けのシートに座ってからも、タツヤはいろいろな話をしてサクラを楽しませ、単調な道路を走っていても全く退屈はしなかった。二十分ほど乗り、そろそろ終点の公園に着くという頃になって、
「実は、こんなもの持って来たんだ」
 と、タツヤはリュックから手のひらほどの袋を取り出した。
「なにそれ?」
 手渡されてみると、チューリップの写真が貼ってある袋で、中に球根がいくつか入っているようだった。「どうするの?」
「これね、こっそり植えるんだ」
「まじで?」
「うん、まじで」
 先ほどまでは大人っぽく感じさせるタツヤだったのに、急に子どものようにいたずらっこのような表情を見せて笑う。
「叱られないかしら」
 サクラが袋を触りながら言うと、
「大丈夫さ、咲くのはずっと先のことだし、自腹で持って来た球根を植えたからと言って米軍から訓戒処分を受けるってことはないと思うよ」
 タツヤはさらに目を細めて笑った。》

 ロマンティックないたずらではなかろうか。黄色いスカシユリ畑の中に赤いチューリップを咲かせたいとは。

 続き。

《 ボランティアの集合場所に行くと、近所の婦人会らしき集団や小学生たちが集まり、その輪の真ん中に黒い犬を連れた腰の曲がった年寄りの男がいて、ボランティアの人たちを取りまとめていた。黒い犬は地面にぺたりと寝そべり目を閉じ、時々尻尾をペタリペタリと動かす程度で人を恐れたりはせず穏やかな様子だった。老人は、集まった人たちを一塊ずつに分け、ユリの球根が入った木箱を配りながら植え方の説明をしていた。コピー用紙に印刷をした公園の地図をポケットから取り出し、蛍光ペンで「君たちはこの辺りね」と言いながら丸を付けて渡している。受け取った人たちは「どこどこ、どの辺り?」などと賑やかしく言いつつ歩き出して、それぞれの場所に向かっているようだった。
「さて、君たちは……」
 老人はタツヤとサクラの顔を見て言った。「二人で植えるかな」顔を皺くちゃにして笑う。
 タツヤとサクラは目を見合わせた。サクラは老人が恋人同士と間違えているのだろうかと急に恥ずかしく思えはしたけれど、無碍に否定することがタツヤに悪いような気もして黙った。タツヤの方も何も言わず、ほんの少し顔を赤らめてうつむいていた。
「じゃあ、このスカシユリの球根ひと箱、えっと、この辺りに植えてくださいな」
 しんとしてしまった二人を励ますように老人は大声で言った。地図の端の方に丸を付ける。「駐車場の横辺りにね」
 一通り植え方を聞くと二人は歩き出して、指定された場所に行った。ほとんど人はいない。他の集団から少し離れた場所を老人は指定したのだ。目安として紐で囲いをしてある場所に二人で入ると、それぞれリュックから軍手とスコップを取り出して準備をして、ある程度柔らかくしてある土の上に一定の間隔で球根を置いていった。
「そして、これはここに」
 タツヤはユリの球根を配置した真ん中に、持って来たチューリップの球根を置いた。
「真ん中? 目立つんじゃない?」
「大丈夫さ。赤いチューリップだけど、ここに植えたのはスカシユリだから、きっと同じ四月頃に咲く。チューリップが黄色いスカシユリに囲まれて目立たないさ」
 受け取ってメモを見ると確かにそう書いてある。
「ほんとだ。じゃ、バレないね」
 顔を見合わせて笑った。そして、ひとつずつ丁寧に植えながら、
「私、卒業する頃に、実はこの公園の近くに引っ越すの。両親が家を建てたのよ」
 とサクラは言った。
「そうらしいね」
 タツヤは言った。
「知ってたの?」
「うん、ユウタが言ってた」
「ユウタって、山川ユウタ?」
「そう、テニス部の」
「どうしてユウタが知ってるのかしら?」
「さあ」
 冬になる前の親和的な陽射しが土の上に落ちている。ユウタの話が出てからは、二人ともなんとなく黙り込んでしまい、黙々と植えていると空から飛行機の飛ぶ音が聞こえてきた。米軍機らしい。少しずつ近づいてくる。
「ここは米軍基地が近いんだね」
 手を止めて、上を見たタツヤが言った。
 サクラも飛行機を見ようと見上げると、小さな蜂が二匹、羽音をうならせながら二人の間を飛ぶのが見えた。「わあ、蜂」のけぞると、余計にサクラの方にまとわりつく。
「いやだ、なによ、あっち行ってよ」
 慌てまどうサクラを見て、面白そうにタツヤは声を出して笑い、
「大丈夫だよ、大げさだな」
 と言いつつ、それでもサクラが嫌がっているのを見て、リュックからタオルを取り出し振り回して追い払った。しばらくまとわりついた蜂も、諦めたように二匹が絡まり合いながら遠ざかり、植えてある樹木の緑色に溶けてどこを飛んでいるのか分からなくなった。
 蜂がいなくなった頃には、米軍機が随分と近づき、いつしか二人の真上辺りに来て、轟音を浴びせていた。二人は手を止めて見上げ、蜂のようには追い払えないのを感じると、サクラは眉間に皺を寄せてタツヤの方に近寄った。
「空襲警報が出たわけでもあるまいし」
 タツヤは笑った。二人で飛行機の遠ざかっていくのを見送りながら、言い足した。「でも、なんだか、飛行機の音、怒っているようだな」
 米軍機が行ってしまうと、サクラは元の位置に戻って再び球根を植え始めた。スコップで深すぎない程度に土を掘ってポトンと入れる。しばらくは、二人とも無言で植えた。
 タツヤはいよいよチューリップに土を被せようという時になって
「この場所、覚えておいてよ。もし、春に来たら、チューリップ咲いたかどうか確かめておいてよな」
 沈黙を破り、サクラも作業の手を止めてタツヤの方を見ると、
「うん、私も土かぶせるね」
 手伝った。「咲くといいね」顔を見合わせて笑った。》

 前作『スカシユリ』に登場した黒い犬を連れた老人が、ここでも登場している。『スカシユリ』ではハトコが雨の日にユリのある公園の駐車場で黒い犬と老人が白いボールで遊ぶのを目撃しているのだが、数日後にその老人と思われる人物の家の玄関で写真を見つけた時には、「もう随分と前に逝ってしまった黒い犬の写真」と老人が説明をするので、サクラがユリを植えるボランティアをした時から、『スカシユリ』や『心に咲く花』の時点までに、黒い犬は亡くなってしまったことになる。とすると、『スカシユリ』で雨の日にハトコが見た光景はサクラがユリを植えた頃くらいの、遡った時間の残像のようなものなのだろうか。
 いずれにしても、小説上の五年前にサクラはタツヤとユリの中にチューリプを植えた。サクラというまだ若い女性にとってはそのチューリップが、まるでハトコが得た黄色い一輪の花のようなものだが、どうしただろうか。

 続き。

《(あれから五年もたったのか)
 都心に向かうバスが停留所に到着した。列の最後にいたサクラが乗り込んで窓際の席に座ると、プシュンと音を立てて発車する。ゆっくりと走り出すバスの中で、車窓を眺めながら、タツヤと植えたチューリップのことを考えた。
咲いたのかな。私、すっかり忘れてたけど)》

 やっぱり、若さゆえの鈍感さもある。引越した春に咲いただろうチューリップを確認することはなかったのだ。球根だからその次の年にも咲くと思えるかもしれないが、公共の場所では新しく植え換えることが多いし、そもそもユリの中にいたずらとして植えたものだ。見つかって移動されてしまうだろう。

 続き。

《 バスは公園行きとは反対側に向かって走っている。これから会社に向かうのだ。
(あの時が、子ども時代の終わりだったのかしら)
 こっそり植えたチューリップは、子どもっぽい悪戯の最後だったように思われてくる。タツヤとは、あの後、学校で会っても特別仲良く話すこともなく、同窓会などで顔を合わせても、二人で植えたチューリップのことを持ち出すことはなかった。タツヤは今、どうしているかな、連絡をとってみようかなとも思うし、そのままにしておきたい気もする。
 バスはゴトンと揺れて左折をすると高速道路に入っていった。乗客たちは朝なのに半分以上は眠り込み、エンジン音とアスファルトをこするタイヤ音だけが車内を満たした。
 サクラは揺られながら目を閉じて赤いチューリップが咲いているところを塑像する。黄色いスカシユリばかりが植えられた一画で、それは場違いを恐れずポッと咲いている。スカシユリがくるんと花びらを外側に開いている中、チューリップは入り口を閉じるようにつぼんで淡々と風に揺れている。時には蜂が訪れて花びらの中に入りこもうとするけれどツンと拒んでいる。諦めた蜂は大量に咲き乱れているスカシユリに誘われて離れていくものの、チューリップがやっと満開を過ぎハラリハラリと花びらを外していく時になって、再び戻り、熟れ堕ちる直前の花粉をついばんでいく。
(お母さんの黄色い花は、ユリなのかしら、チューリップなのかしら)
 誰か大切な人からもらった一輪の黄色い花を手にして微笑んでいるハトコの、化粧をすることもない顔が思い浮かんできた。十七歳だったサクラがタツヤとこっそり植えた赤いチューリップと、どこか似ているような気がした。これからどうなるわけでもない。だけど、胸の中央にそっと咲いた花。
(家事だけやってるなんて、つまらないんじゃないかって思っていたけど、もしも大切な人からもらったのだとしたら……)
 サクラはハトコだけの時間について想像する。(大切な人が誰かは分からないけど)
 薄い輪郭を持った時間が浮かんでいるように思った。
 窓の外の景色を見ると、防音壁や生垣、非常用電話など延々と変化のない風景が流れていた。昨日も見たし、明日も見るだろう風景だ。それでも今朝は心の中に、タツヤと植えた赤いチューリップが浮かび、その上に、ハトコの部屋に灯った黄色い花の姿が重なる。 
 心に咲く花が入れ代わり立ち代わりしながらバスの車窓に映り込むように思えた。(了)》

 サクラとしても、あれから学校を卒業し、新しく通勤を始めて精いっぱいだったのだろう。若さとは残酷なものでもある。現実的に咲いたかもしれないが見逃してしまった赤いチューリップは、きっと咲いたのだろうと思うことでサクラの心に咲いた。ハトコが萎れかけても大事そうにもっている黄色い花によって、サクラの中で記憶が蘇り、ポッと心に咲いたのだ。
 それと同時に、おそらく「下働きをして周囲を支えるだけの女」だと見下していたハトコに対しても、(それだけではないのかもしれない)と思い直している。サクラが見逃してしまったものを、ハトコは見逃すことなく手に入れて、黙って大事に持っていたからだ。
 母と娘の凌ぎ合い、「専業主婦」と「賃金労働者として働く女性」の凌ぎ合い。そんなものが現実にあるものかと思いたいかもしれないが、女性たちの意識の奥深くでざわざわと沈黙の戦いが全く行われていないわけではない。
 近頃では、税収アップの為にも「賃金労働者として働く女性」の方が歓迎されて、「専業主婦なんて誰からも固有名詞で認められはしない」とメディアで言い切る「賃金労働者として働く女性」も登場するようになったが、実際には「専業主婦」も働いてはいる。
 働くとは語源として「傍を楽にする」ことであるらしく、「専業主婦」は家に居る人々が楽に過ごせるようにと動いているのだから働いている。
 じゃあ、それは「仕事」なのかと聞かれるとよくわからない。「仕事」とは「仕える事」であり、「専業主婦」が家族にお仕えしているわけでもないからだ。表面的な立ち居振る舞いは人それぞれだとして、「専業主婦」は家の中では「仕切り屋」の地位であり、家族の部下ではない。何かに仕えているとするならば、料理をする時の食材や、洗濯物を干す時のお天気に対してなどだろう。
 逆に、「賃金労働者として働く女性」は「傍にいる誰を楽にしている?」のだろうか。上司か? 仕事仲間か? お客さんか? 「専業主婦」ほどには明確ではない。むしろ「仕事」をしていると言った方がいいのではないか。上司、仕事仲間、お客さん、会社、といった何かに「仕えている事」が多いのではないか。
 いずれにしても、「仕事」=「仕える事」、「働く」=「傍を楽にする」、「稼ぐ」=「お金の為に仕事をする事」、……といった、きちんとした概念の切り分けをして語る方がよいだろう。
 たとえば、賃金労働者として仕事をしていても、仕事で得たお金を自分だけで使うのなら、職種によっては、そのこと自体では特に傍を楽にしているわけでもないので、働いていると言えない場合もある。「賃金労働者として仕事をして稼いだ」が正しい。
 そうやって得たお金を家族に分配したら「賃金労働者として仕事をして稼ぎ、働いた」と言える。
 もちろん、職種としてマッサージ師などは、たとえ賃金労働者としての仕事をして自分だけで使っていたとしても、分かりやすく「傍を楽にしている」職種になるだろうとは思う。

 今後、

 「仕事していますか?」
 「働いていますか?」
 「稼いでいますか?」

 という三つの問いを緻密に投げかけるべきであり、たとえば「受け取る金額」が多いからと言って「働いている」とは限らないことや、「受け取る金額」がなかったとしても「働いていない」とは言えないことを、全ての人が意識上に上らせておくことが重要になる。

 以上、短編小説『心に咲く花』の解読を終わります。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?