見出し画像

解読 ボウヤ書店の使命 ㉕-12

 長編小説『路地裏の花屋』の読み直し。
 続きから。

その日以来、私は時々木蓮に呼び出されるようになって、楓の手入れを手伝うようにと言われました。もちろん最初の申し出があった時「あれは丁稚奉公でまだ手入れの仕込み中ですから役に立つかどうかわかりませんよ、誰か他の者を行かせます」と親方が説明しようとしたそうですが、木蓮が「いや、蓮二朗くんでいいのです。彼でなければ別に来ていただかなくても」とまで言って私を指名しました。それで親方も承知した。
 そもそも楓に破格の値段を支払ってもらった上に、私がお手伝いに行く時には幾ばくかの給金を親方に握らせたので無碍に断ることも出来なかったのでしょう。親方はやはりいい人で、木蓮からもらったお金の一部をお駄賃として必ず私にくださった。嬉しかったですね。当然全部親方の懐に入れたらよいものを私にくださったのですから。お金のことが嬉しいというよりも、毎回きちんとお駄賃を渡してくださったことで少しずつ親方のことを信頼できるようになって嬉しかった。それまでは働くばかりの日々で奉公先に愛情を感じる暇もなく、親方が本当は善い人なのかどうかも判断出来ていなかったのです。その時頂いたものが私にとって初めてのお小遣いのようなもので、使わずに封筒に入れて自分の荷物入れの底に貯めていきました。そもそもお金に困っているわけではなかったのです。おやつくらいはみんなと一緒に食べることができたし、学校には行かなかったので鉛筆を買う用もなかったと言えばなかった。
 それはそうと、楓の納品後、初めて木蓮に呼ばれて再び茶室を訪れた時には本当に驚きました。なぜなら、なんとしたことか、楓は鉢から取り外されて早々にも庭の土に植え替えられていたからです。
 呆気にとられて見ていると木蓮が隣に立ち、「親方には内緒ですよ」と言いました。「この庭もひとつの植木鉢ですから、楓も盆栽でなくなったわけではありません」などと言う。
 すぐにあの鉢はどこに行ったのだろうと思いました。長方形で白い肌の焼き物でした。朝鮮あたりの骨董品だったのかもしれない。そうです。今から思えば、彼が楓の盆栽に破格の値段を出したのは、恐らく鉢が高価なものだったのでしょう。茶道家だから、焼き物の価値を見る目は肥えているはず。きっと、こんな野暮な楓のためにどうしてこのような年代物の鉢を使わなければいけないのだ、くらいに思ったか。
 現に、後々、その鉢に苔やら雪割草やらを寄せ植えにした盆栽を入れ込んで、茶釜のある部屋の床の間に仰々しく飾っているのを発見することになるのです。何となく楓のことを思って悔しい気持ちになりながら眺めておりましたら、木蓮が近づいてきて、
「嫌味だと思ってはいけませんよ、何だって似合う器がよいのです、あの楓は野性味があって絢爛、庭土の方が相応しいと私が見立てたのでありますから」と言いました。
 確かにそうかもしれません。庭先に植え替えられた楓はすくすくと育ち、息を吹き返したように見えましたから。かと言って、鉢に植えられていた時も死んでいたわけではありません。お澄まし顔で行儀がよかったし、楓だけの世界がそこにありました。でも鉢の中でも思うように呼吸をしていたのかというとそれはよくわからない。もう庭にすっかり似合ってしまえば鉢に収まっていた頃の姿を思い出すことも出来なくなりました。
 どうあれ、私はなんども呼び出されて楓の手入れを頼まれ、おかげで幹からはみ出た芽を使って別の盆栽を作ることを許されました。すると、部分的ではありましたが、やはり楓は私のものとなって戻ってきたのです。そして時間が経てばどれも必ず、部分的などではなく、一つの完成された美しい楓となっていきました。
 むしろ、その時、今度こそ、本当に私だけの楓となったのでした。

 そのうちに、私は木蓮の庭にある梅の木や山野草の手入れまですることになりました。専属の庭師がいるというのは真っ赤な嘘で、実は木蓮本人がなかなかの腕前を持って世話をしているのでした。しかし庭木の手入れについて教えてくれることはそれほどなく、私はといえば、家に出入りする客人たちから話を聞きながら庭の整え方を覚えました。木蓮からは「どうにか読めるようになりなさい」と何冊か読み書きの手引書を手渡された。「前にも言った通り字が読めないのです」と言うと、「勉強しなければ誰でも読めるようにはならないのですよ」と言われて、私は驚きました。
 恥ずかしながら、それまでの私は、目の具合に関わらず、人間の中には生まれつき読み書きが出来る者と、生まれつき読み書きが出来ない者がいるものだと思い込んでいたのです。
 木蓮が読むようにと与えてくれた本の中に、植物の絵と名前だけが印刷されているものがありました。色も着いていない。ましてや植物図鑑というような立派なものではなくて出所も不明、粗いわら半紙のようなものに印刷され、タコ糸で端を和綴じにしただけの粗末なものだが絵はなかなか精密なものでした。桜や梅という特徴的なものだけではなくて、楠とか柊といった、通常人ならぱっと言われて葉の形が思い浮かばないような樹木とか、それこそ薔薇や牡丹といった素人が描いては似た風情になってしまう花々もそれとわかるように区別して描き分けてある。子ども心にこれは大変すばらしいものだと感心しました。
 ある時、茶室の裏玄関の土間に座り込んでその本を眺めていると、木蓮がやってきて玄関の中に置いてあった小さな縁台を持ち出して座り、私にもそこに座るようにと言うのでした。字を覚えなさいと言う。
 最初に二人で見たのは、やはり楓の頁で、
「これがまぎれもなく楓の絵でしょう? 庭の楓もいつか、こんな風に伸び伸びと大きく育ちますよ」木蓮は言い「そして、これが『楓』という字です」と頁の上に大きく書かれた文字を指さした。
 不思議な気持ちがしました。楓という植物に、ちゃんと『楓』という形がひとつ与えられている。実際の青々とした葉っぱや自由に折れ曲がる枝ぶりとは別に不思議な形が名前のように結び付けられているのですから。
「この左側の部分は木という字で樹木を表し、この右側の部分は風という字で、ほら、庭をすっと吹く風、あれを表しているのですよ」木蓮は私の顔を覗き込みました。わかるかなと。
 私は字というものの魅力にすっかり取りつかれました。だって、木に風。まさにその通りだと思ったのです。
 私が楓という植物に心惹かれた理由もそこにあるのだと、その時文字から教えられました。草花の盆栽はともかく、樹木の盆栽と言えば松にしても梅にしても動きらしい動きはないものでしょう? 風が吹こうが我関せずとばかりにかしこまって静寂こそをその性として誇るわけです。大人になればそういう植物の抑制した情念みたいなものも感じられるようになりましたが、その時の私など何の学問もない洟垂れ小僧でございましたから、いわゆる盆栽を眺めたとしても、正直何が面白くてこれを作るのかはわからなかったはずです。盆栽なんかよりも、野道に咲いている菫や蓮華の方に可憐さを感じて興味を引いたものです。そういった中で楓だけはどうにか好きになれたのは、あれは風に葉が靡くからでした。頭の中に楓を思い浮かべて御覧なさい、なんとなく、葉っぱがさわさわと風で揺れて、まるで桜の花びらみたいにあえ無く散りそうな様子が思い浮かぶではありませんか。その生き生きとした姿が好きだったわけで、私の頭の中の楓の姿を『字』と言うものは見事に一発で言い表しているのだと考えますと、大袈裟ですが、真夏にぞわぞわと鳥肌が立つ思いがしました。当然、その文字はどこの誰がこしらえたか知れないものです。でも、その、どこかの誰かと分かり合えた気分になって、今にして推察してみると、あの時私は、初めて深い孤独から解放されたのかもしれません。
 それからというもの、その本を眺めたり、いろんな人に聞いたりしながら、植物と漢字を結び付けつつ文字を覚えていったわけです。お気づきかもしれませんが、学校に通えば、さくらさく、などと平仮名から学ぶところを、私はいきなり漢字から学んでいったことになります。それも、『書く』ことは省いて、とにかく物事と漢字を結び付けていった。書くも読むもなく、ただひたすら、これを漢字で表すとどうなるかとばかり追いかけていたわけです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?