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長編小説 コルヌコピア 6

二章 夢の形象

1 失われた形象を求めて

 チェルナは帰宅してからも石製の箱が頭から離れなかった。あの精密な透かし彫りの醸し出す繊細さと、素材のもたらす堅牢さ。そして内側に仕舞い込まれた円錐形をした半透明の物体。思い出すだけでも鼓動が激しくなる。
 
 ――どこに消えてしまったのか。

 ずっと考え続けて夜もなかなか眠れず、少しうとうとしても、とうとう箱を見つけて喜ぶ夢や、子供の頃に見たあの不思議な鳥が空を何羽も飛ぶ夢を見て、何度も目が覚めた。
 ほとんど熟睡しないうちにカーテンの隙間からうっすらと明かりが漏れ始め、眠るのを諦め潔く起き上がり顔を洗った。
 時計を見ると五時前。窓を少し開けると花の蕾が膨らむ前の土臭い香りがした。二月でもそこに春は息づいている。見ていると、空は夜の名残である濃い青みが一皮ずつ剥がされて、小鳥が数羽、そのグラデーションの深まった遠くを渡っていつしか消えていった。
 夜明けは硬質な夜や輝かしい真昼とは違って、少しでも触れるとそこから波紋が広がり、紙風船のように壊れやすそうだ。実際、刻々と柔らかさを奪い取りながら太陽は昇る。こんな美しい喪失感から一日は始まるのだ。ひんやりとした空気を吸い込みながらも、どこか晴れ晴れとした気持ちになる。

 博物館に職員が通勤してくる頃になると、チェルナは迷うことなく電話をし、今日から休暇を取ると告げた。「いきなりですか、仕事の引き継ぎもできないのに」と叱責されたが、長年チェルナがひとりで担当していた文書の整理や保存物の修繕、脱湿装置の点検などは、もはややってもやらなくてもいいことだと思える。もちろん、誰もやらなければ徐々にあらゆるものが劣化して、博物館としての値打ちが下がる一方だろうけれど、それが一体なんだというのだ。
「ごめんなさい。家族の都合で」
 咄嗟に思い付いた。
「チェルナさんに家族っていたんですか」 
 電話を受けた若い職員が露骨に驚いたので、あまりの失礼さにむしろ笑えてきそうだったがぐっと堪え、
「そうなの、自分でも驚いたことに」
 軽い冗談を言った後は、どうにか深刻さを装い「家族が倒れたと連絡があってね――」思いの外流暢に嘘をついた。
 電話を切った後、脱力しながら床の上にへなへなと座り込んだ。長年、自身を縛り付けていたものが霧散する。嘘をついて休むだけのことなのに、こんなにも解放されるなんて。

 ――そうだ、これは休暇ではなく退職なのだ。あの箱が忽然と消えたように、私もあの場所から忽然と消えよう。

 その場に座り込んだまま、再び、石製の箱について考え始めた。
 あの箱を誰かが最奥の通風孔前まで移動したのだとしても、あの場所にある穴の大きさでは箱は通り抜けることはできない。資料室の床に残された轍は車輪の跡でしかなく、チェルナ自身のヒールが残した以外の靴跡はなかった。箱はきっと内側に車輪があって自力で移動し、内蔵している嘴から羽根でも伸ばして離陸し、颯爽と空中を舞いでもしたのだろう。天井のどこかにきっとある裂け目から、するりと外に飛び立ったのだ。

 ――私も、そのように消えよう。

 再び嘴を見失ったことについてもの悲しさがあるものの、そこに希望を感じる。あの箱の、悉く因果の法則から逃れている存在の仕方が可能なのだとしたら、チェルナ自身にもそのような在り方が許されるはずだ。

 ――飛び立つ。

 ――今まで考えてもみなかったことだけど、私は博物館から飛び出す。

 博物館員との関係だってもはやどうでもよかった。あの関係は博物館の建物とセットだった。むしろ、彼の存在自体はチェルナの存在のどこにも浸透していない。今となっては一度も恋をしなかったのだと断言できる。これまで、あれほどまでにも独り身の寄る辺なさを支える男が必要なのだと思っていたのに、今、この瞬間、不思議なほどなんの未練も思い出もない。むしろ思い込まされていたのではないか。
 まったく恋をしていなかった。何年も、何十年も、一度も。
 人生の繰り出す時間が、あたかもいじわるな魔女のように隠し通してきたこの事実を知ると、先ほど若い職員と電話で話した時と同じように、笑いが込み上げてきた。
 改めて窓の外を見てみれば、世間では日常的な朝が何事もなく幕を開けていて、どこかへと出勤する男や女、学校へと向かう学生の姿があった。この外を歩く人々だってそうだ。ほとんど誰も恋なんかしていない。恋をしたと思ったらもう違うものに変わっている。それでも何かそこに支えがあるのだとの気持ちを作り上げて、人生のシナリオが指定した通うべきところへと無意識に足を運んでいく。

 ――今、私には恋が始まろうとしている

 胸の辺りに生まれた喪失感。対象を持たないが恋に似ている。
 チェルナは生れて初めてその空洞を感じ、奇妙なことに、小躍りしたいほどに嬉しかった。
 空洞があるのなら、かつてはここに何かが存在したのだろう。決して博物館員ではない。あの保存物を維持する職業でもない。お気に入りの胡桃色のスーツや温かい香りのする水性香水でもない。
 きつく閉じられた衣類を爽やかに脱ぎ放った時の爽快さで、胸の辺りに生まれた空洞に深く息を招き入れ、それからゆっくりと吐き出してみる。ふいに、幼い頃祖母と歩いた雨の夜道に滲む青信号が脳裏に浮かんだ。祖母は無口な人だったから何も言わなかったけれど、しっかりと手を握ってくれていた。だから、雨が蕭々と降っても、心も体も温かかった。

 忽然と消えた箱。一匹の蜜蜂によって誘導され、それと出会った。だけど、出会ってすぐに、それは消えた。
 チェルナは本棚に置いていたスケッチブックとパステルを取り出し、石製の箱の絵を描き始めた。

 ――忘れないうちに。

 ――できるだけ詳細に。

 何枚も描き続けて、でも全く再現できず、また描いて捨てて、捨てて描いて、終いにはキッチンにおいてあった小麦粉を水で練って、それで象ろうとする。

 ――心の中には克明にあるのに、外側には全く写し取れない。

 ――眼前に創り出せない。

 とうとう疲れ果て、床の上に大の字になって寝転んだ。散乱した部屋の中でクリーム色の天井を睨みながら静かに言った。
「絶対に形を捉えてやる。描いてみせる。目の前に創り出してみせる」
 半ば怒りに満ちた感情が腹の底から湧き上がって、感情が身体を熱くした。

 天井を見つめて呆然としているうちに、チェルナは博物館が配布している広報に職業としてのアーティストを養成するプログラムがあったのを思い出した。”職業としてのアーティスト”なんていかがわしいものだと内心で否定して通り過ぎてきたが、それでも、作業労働の仕事が与えられて報酬を受け取り、さらに無償で制作用のアトリエを貸して貰えるのはシステムとしてよくできている。あの広報誌はどこに置いたか。
 綺麗に整理してあるファイルからそれを取り出すのは簡単だった。
 養成プログラムのリーダーとなる有名ディレクターが
「アトリエは同じプログラム生との共有で、互いに刺激し合って制作するのだ」
 と強調するインタビューが掲載されていた。「この世界には美術館や博物館、ギャラリーといったプレイスがたくさん存在して、アーティストたちの作品を待望している。閉じられたプレイスはアーティストたちの作品によって外部に開かれると同時に、私達を生命の不思議という内的秘密へも開いてくれるのだ。プレイスは中継ポイントとして、いつでも作品とあなたたちを歓迎している」
 素敵な文言だ。チェルナは今改めて読むと、それほどいかがわしくはないと思えた。博物館の専門職としての椅子に座って読んだ時には、いかにも詐欺的な文章だと思ったものだが、その椅子を降りてから読むと、わずかにでも真実があると思えた。釣り文言だとしても、それゆえの魅力さえある。
 チェルナはパソコンを立ち上げ、広報誌に書いてあるホームページに辿り着き、詳細ページへと進んだ。
 プロジェクト名はそのまま「職業としてのアーティストを養成するプログラム」だ。私立の美術大学と過疎化の進行を懸念するQ村が協同で立ち上げたものらしく、アトリエはQ村にあり、望めば格安で住む場所を借りることもできるシステムになっている。作業労働は農作業か森の整備の中から自由に選択できることになっていて、少なくとも最低賃金はもらえる。
 年齢制限はない。というのも
「未来を背負う若者を育てるだけではなく、今眠っている才能を発掘することが目的だから」
 と有名ディレクターはインタビューの中で語っていた。「今日チャレンジして、突然才能に気付くこともある。それがアートというものだ。むしろそういうものでしかない。そして、誰にでもその才能はある。高値がつくかどうかは時代や権威の仕組みやモノづくりの精度などに関わるが、純粋にアートと呼ぶのは誰の中にもある無二の樹木のような存在で、そこにあらゆる生物が棲息しているのだ」
 美しい村の緑や農園の写真を眺めながら、チェルナはもう決意していた。数年かけた旅だと思えばいい。独り身が幸いして蓄えはある。ここまで黙って働いてきて、初めて数年の旅に出たからといって叱る人もいない。両親はすでに他界しているし、世話をするべき子供も孫もいないのだ。これまでの孤独こそが、このプログラムへと向かわせるパスポートに思える。
「これは私のためのプログラムだ」
 チェルナは声に出して言った。言ってから、本来人生とはそうあるべきではなかったかと思った。「これは私のためのプログラムだ」そう思って生きていれば、あの美しい透かし彫りの石製箱の中に入ったものを、人生で二度も見失うことはなかったのではないか。

 ――そうだ。探すべきは箱ではなく、箱の中に入っていたものだった。

 部屋に散らかった箱のスケッチや、立体として象ろうとした小麦粘土を忌々しい思いで見ながら、これではないと心中で言う。

 ――あの、嘴を思い出す。

「このアーティスト養成プログラムは私のためのものだ。そして、私はあの箱に入ったものとこの中で遭遇する。というよりも、この手で創り出す」
 声に出して言う。

 チェルナは大きく深呼吸をして、熱くなった身体に風を送り込んだ。愛おしい喪失感が身軽さを歓迎している。
「あまりのんびりしていられないわ」
 プログラムの頁に示されている今年度の締め切り日を見て、チェルナは立ち上がった。
 メールで問い合わせるのもまどろこしく、養成プログラムに直接電話をした。初めに電話口の応対に出たのは低めのハスキーボイスの女性で、その落ち着いたトーンが心地よかった。
 チェルナはつい最近まで博物館の専門職として働いていたことや、その職場でこのプラグラムについて知ったことを告げ、もしも空きがあれば参加したいと告げた。
「あら、ちょうど今、キャンセルが出たところですよ。最後の一人です」
 電話口の女性は自身でも信じられないといった調子だった。「このような言い方をするとむしろ詐欺みたいに思われるかもしれないけれど」
 その時、チェルナは一瞬部屋が小さく揺れたように感じた。
 地震? それとも眩暈かしら。
「詐欺だなんて、そんな。すぐに申込みます」
 身体がふわりと浮き上がる感覚になりつつも、はっきりとそう言った。
「ほんとに嘘みたいですけど、実はもう明日、プログラム生を集めたオリエンテーションがあるのですよ。ご都合はいかがでしょうか」
「もちろん空いています」
 スケジュール帳を見るまでもなく答えた。予定が何か入っていても構わない。そんなものはキャンセルだ。
「詳細をメールでお伝えしたいと思いますが、メールアドレスはお持ちですか」
「もちろん」
 アドレスを告げ、軽いやり取りの後電話を切り、さっそく返信メールが届くのを待った。それは五分もしないうちに届き、開くと添付ファイルにはプログラムとオリエンテーションの詳細が記載されていて、それを見るとすぐに必要な準備を始めた。

 翌日のオリエンテーションは美術大学の講堂で行われ、集まったのは約三十名ほど。考えていたよりもいろんな年代の人がいる。定年退職後の第二の人生を思わせる人もいれば、高校を出たばかりの社会見学的な人もいる。すでにアーティストとして活躍していそうな人もいれば、最近まで専業主婦をしていたかのように見える人もいた。もちろん、全ては外見からの推測にすぎない。

 ――私はどんな風に見えるかしら。

 チェルナ自身はもうすぐ六十歳になるが、あまり自覚はない。若い頃にもどういうわけか弾けるような瑞々しさとは縁遠かったので、むしろ今更年を取った気にもなれず、むしろ年齢の方が外見に追い着いてきたような、そしてそのうち追い越していきそうな気がしていた。

 講堂に並べられたパイプ椅子に腰掛けていると、養成プログラムのリーダーである男性が女性スタッフと共に現れ、スクリーンの前にある教壇に立った。何度か声を発してマイクの調子をテストし、全てがうまくスタンバイしたとわかるとアンテナ型の差し棒を長くしてこちらを見渡した。女性スタッフはドアと教壇の間に立って参加者に感謝の言葉を述べた。
「このプログラムは計画されてから二年目でやっと本格始動することになりました。その第一回目がここに集合したプログラム生によって行われ、成功すれば持続するものとして認知されることになります。ぜひとも成功させましょう」
 上質そうなスーツに身を包んだ彼女はテンションが高く、その場にいる誰よりも勢い込んでいた。
 それを見て、チェルナは博物館で行っていた夜間の市民レクチャーの取り仕切りを思い出した。

 ――私もあんな風だったのかしら。

 スタッフの女性は添え物のようでもあるが、むしろ全ての実権を握っている立場にも見える。
「それでは、リーダーからお話があります」
 舵取りは教壇に立つ男性へとバトンタッチされた。

 教壇の前に立った男は短く自己紹介をした後、初めて行われる今回のプログラムに対する思いを語り始めた。それは紙面で見た通り、新しい才能を発掘することであり、実際に職業人としてのアーティストを養成することだと言う。
「職業人としてのアーティストはアートを制作するだけではなく、それを収めるべきところに収め、人々に紹介し、コンセプトを語り、あるいは他者の制作物に関するよい批評をする能力をもつことが大事です。
 もちろんこれらの能力の全てについて得意である必要はありませんが、どのようにそれらが行われるかについて知っていなければならないし、一度は体験しておかなければなりません。
 ただアーティストであればよいのであれば、地球上の人々の全てがアーティストだと言えます。小さなメモを書いて隣の席の人に手渡すこと、それだけでも紙の素材や色、文字のインク、大きさ、形、添えられたイラストによってもアートになり得ます。
 しかし職業人としてのアーティストはそれだけではいけません。アートを欲しいと思っている人に欲しい形で提供し対価を得る。そこまでやって職業人だと言えるのです。
 今回のプログラムはそこまでを視野に入れ、アーティスト同士の交流の中で、他者の作品についてよい批評をする訓練や、人間関係の構築までも学んでいただきたいと考えています。
 気難しいアーティストであったとしても、抜きん出た作品を制作すれば売り買いや紹介、批評などは他者に任せてもよいのですが、普通はなかなかそうはいかない。実際、現代はよい作品を創る人の数が増え、抜きん出た作品というものが存在し得なくなっていることもあります。どれもこれも抜きん出ている。ですから、さらに一歩進んで、アートを扱うところまで長けた人になっていただく。というか、このプログラムを終えさえすれば、終えなかった時に比べては必ず、そのような人物になられていることを確信しています。
 それから、もう少しアートそのものについて話しておきましょう。
 ある物体をアートと呼ぶか、それとも美術と呼ぶかなど、学問としての問題はさておき、私達はまず何か成果物を創り出さなければいけません。
 なんらかのイメージが物質化して表現され、それが鑑賞者の脳内にまたなんらかのイメージを構築する。
 脳内のイメージは製作者にとっても鑑賞者にとっても電気信号のようなものかもしれませんが、作品自体は物質化しているので、地球上にあるなんらかの素材を加工して目の前に表すのです。
 脳内のイメージに合う素材とは何か。たとえば、ここに立体化した海を表現しようというときに、脳内にあるその海は深海なのか、砂浜のある浜辺なのか、それとも火星にでもある架空の海なのかによって、選ぶべき素材は異なります。
 学校の授業のように素材がまず与えられて何かを創り出すのではなく、脳内のイメージと直接リンクするような素材を探し出すことが真っ先に必要となるでしょう。
 たとえば海の波を表現したい時、波の形を何で創るかによってあなたの伝えたいことは全く異なってしまう。同じ波の形を物質的な見え方を重視して硝子を加工したもので作る場合と、重苦しくのしかかってくるものとして粘土をこねたもので作る場合では結果が異なります。前者は波の表面的な見え方のレプリカを作ったのであり、後者は波に対するあなたの感情をそこに込めたことになる。
 このように、自然な思い付きで作ると言いつつも、なぜその素材を選んだのかについて考察する。それは職業人として適格に制作していくために必要なプロセスなのです。
 プログラム生はひとつのアトリエを使うことができますが、それ以外に、時々森や海、山に行ってモチーフを探し、インスピレーションを刺激することも行います。
 これから共に住むことになる宿舎の近くにはそのような場所が点在し、散策したり語り合ったりしながら感性を高めていくのです。
 職業人としてのアーティストはそのようなことを職業上必要なこととして当然のごとく行っています。もちろん、そんなことをしなくても身体から次々にアイデアの湧いてくる人もいるとは思いますが、それは稀なもので、能動的に職業人としてのアーティストになっていくためには、ひとつのライフスタイルのプログラムとしてそれを組み込んでゆかねばなりません」

 リーダーである男の声はよく響き、チェルナの身体に容赦なく飛び込んできた。アートに関する考え方について、それに対してこのプログラムはどのようにアプローチする予定なのかについて、言い淀んだり言葉を滑らしたりすることもなく次々と語り続けられ、その内容の是非を問い直す隙間もなくチェルナの心は連れ去られた。
 その日のうちに申し込み用紙に記入して仮予約を行い、一か月後には、プログラムが行われる宿舎へと向かうバスの中にいたのだった。

(二章 1 了 二章 2 へとつづく。)

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