見出し画像

星のクラフト 5章(全体つなぎ・肉付け)最後尾にあらすじ掲載

 ローモンドの円盤が部屋の真ん中に鎮座している。他のものは破壊されたり、吹き飛ばされたりして、床の上に散らかっていた。
「どうする、これ」
 ローモンドは脱力して言った。私は久し振りにローモンドの生の声を聞いた。ここしばらく、私の《心の部屋》に入り込んでしまっていたローモンドとは、心の声で連絡を取り続けていたので、声を聞いて嬉しかった。
「片付けるしかないね」
 私は呆然としつつも、それほど無力感はなかった。そもそも派遣されてここにいるだけだ。壊れたものは捨て、それ以外は元の位置に戻せばいいだけだ。
「部屋のことじゃないの。円盤」
 ローモンドは、円盤を指した。
 確かにそれはそうだ。部屋の中のものはぐじゃぐじゃだが、天井が開いているわけでもないし、壁が割れているわけでもない。
「この円盤、どこから来たの」
「ローランのお腹からじゃない?」
 私は慌ててお腹を擦ってみたが、どこもかしこも破れたり壊れたりしていない。
「意識として?」
 そう言うと、ローモンドは頷いた。
「私、ローランの心の部屋に居たのだから」
「私の心の部屋って、そんなに大きいの」
 銀色に光る円盤を眺めて驚愕する。アダムスキー型の円盤と言ってよい、ごく普通の形だが、縁に羽根の文様が彫り込んであり、小さな突起が左右に二つ付いている。だからローモンドは最初、鳥の形に乗って来たと言ったのだろう。
「そうよ。というか、いくらでも拡大できそうだった。ローランの思うがままに広さは調整できそうだった」
「心ってそうなの?」
「さあ、私も初めて行ったものだから、よくわからないけど。そして、心の部屋の外もありそうだったわ。窓と扉が付いていたから」
 私の心の世界。そんなものについて一度も考えてみたことはなかった。何かを思ったり、考えたり、感じたりすることはあっても、どこかに具体的にその世界が広がっているだなんて。
「じゃあ、こうしてみない。ローモンドがもう一度その円盤に乗って、私の心の部屋に行く。そして、私が中庭に出て合図をしたら、ローモンドはそこをめがけて改めて円盤で出てくる。そうすれば、この円盤はとりあえず、この室内からあの中庭へと移動することができる」
「なるほど!」
 ローモンドは明るい声を上げた。
「あの中庭の駐車場、けっこうな広さもあるのに、車が通る幅の道がなくてずっと不思議だった。ねえ、来てちょうだい」
 私はローモンドを連れて中庭に出た。「どうしてこのスペースがここにあるのか、長い間わからなかった。でも、モエリスの円盤もここに止まっていたし、さっき私が言った方法で、もしもこのローモンドの円盤をここに置くことができたら、通路の狭い駐車場の意味がやっと解明される」
「この今の出来事は初めから予定されていたことなのかしら」
 ローモンドは嬉しそうだった。
「それはわからないけれど、パズルだと考えたら、円盤置き場にはぴったりね。異次元から登場するから誘導するための通路も要らない」
 私達は中庭を通り抜ける柔らかい風に吹かれた。
「すぐにやってみよう」
 ローモンドに恐れの感情はないようだった。もしも帰れなくなったらどうしようとは思わないのだろうか。
「怖くない」
 相変わらず、ローモンドは私の心の声にも応えた。
「わかった、じゃあ、今すぐに」
 二人で室内に戻り、ローモンドは円盤に乗り込み、ガラス越しに微笑みながら鍵を差し込みエンジンを掛けた。
 しばらくすると、銀色の円盤は青白い光に包まれ、細かな振動がボディを包んだ後、何もなかったかのように消えてしまった。
「ローモンド」
 私は口に出して言う。
 返事はない。
「ローモンド」
 私はお腹を擦りながら、もう一度言う。
 やはり返事はない。
 何度も何度も叫んだけれど、返事がない。
 ――もしかして、途方もなく遠いところに行ってしまったのではないかしら。
 不安になりながら、それでも当初の計画を思い出し、中庭に出た。
 何もない駐車場の真ん中に立つ。
《ローモンド、戻って来て!》
 心の中で叫んだ。
 すると、
《今から、そっちに行く!》
 ローモンドの声が心の中に響き渡り、数秒後、またとてつもない次元風が吹き、中庭を囲っている樹木を激しく揺さぶって、ほとんどの葉を散らしてしまった後、真ん中に眩しい光が差し、やがて目の前移円盤が現れた。
「成功した!」
 思わず叫んだ。
 やがて、少しぐったりとしたローモンドが円盤の中から出てきた。
「ローモンド、大丈夫」
 駆け寄り、肩を抱き寄せた。
「うん」
 ローモンドはうなずく。
 随分疲れているようだ。
「大丈夫?」
 顔を覗き込むと
「少し疲れただけ。だって、今日一日で次元移動を二度もしたのだから」
 顔を緩ませて笑顔を見せてくれた。
 ローモンドを背負って二階の寝室に連れて行き、ベッドに寝かせ、とりあえず眠らせた。途中で水とフルーツジュースを飲む以外、ローモンドは延々と眠り続けた。

 ローモンドが眠っている間に、私はリビングを片付けた。物置に置いてあった箱を持ち出し、次元風によって吹き飛ばされたり破壊されたりしたものを、その中に詰めて、再び物置へと戻していく。すっかり作業が終わってしまうと、部屋はソファとテーブル、ロングチェスト、飾りのない明かりだけになった。大袈裟なシャンデリアの飾りつけは全て壊されてしまった。
「この方がさっぱりして好みかも」
 最後に箒で床を掃き、細かな砂粒上のものも雑巾で拭きとる。
 ソファに座り、綺麗になった部屋を見渡していると、私はどうしてこの部屋にいるのだろうと思えてきた。目を閉じると、子供の頃のことが思い出されてくる。

 私は湖の近くにある城の中で生まれた。あれはどこの城だったのだろう。いずれにしても、その城の規則として、産んだ母親からは遠ざけられ、年老いた乳母がいつもそばにいた。赤ん坊の頃のことは思い出せないが、気付いたら私は乳母と二人で過ごし、人間の友達は一人もいなかった。五歳になると、鳥の形を模した円盤がひとつ与えられて、湖まで遊びに行くことが許された。乳母が行先を円盤にセットした後、自分でボタンを押す。湖には一瞬で行くことができた。円盤の外に出ると、銀色に光る鳥が居て、私に話し掛けた。そう、話し掛けた。どのように? それは――。たぶん、テレパシー。銀色に光る鳥はたくさん居て、それ以外にも、様々な鳥が居た。あまり遠くまで飛ばない水鳥や、遠くまで飛ぶことができるけれど大きすぎるので、いつもは岩陰にそっと佇んでいる大鳥も居る。私はその全ての鳥達と意識の交信をした。鳥達は捕食関係にあるものも居たが、それは身体が終わる時の儀式のようなもので、悲しみに包まれはするものの、敵対するわけではなさそうだった。蝶もいる。蛙もいる。花も咲き、樹木も優しく葉を揺らす。夕刻になるとカラスが天頂で旋回して威嚇し、帰るようにと促した。私が円盤に乗って扉を閉めると、銀色の鳥が窓際に止まってひとつの美しい歌を囀る。それが終わると、再び自分でボタンを押し、乳母の居る城へと戻っていった。

 私の子供時代はそれだけだった。そしてある日、ここに来た。どうやって? どうやってここに来たのだったか。そうだ、なんらかの手違いだ。私以外の誰かが送り込まれる予定だったのに、間違って、私がここに辿り着いたのだ。
 ぼんやりとソファに座っていると、スマートフォンが点滅した。誰かから電話だ。
 ――誰、これ?
 中央司令部、となっている。
 ――迷惑電話だ。
 私は電源を切った。
 そうしていると、ローモンドが寝室から出てきた。
「おはよう、ローラン」
 目を擦っている。「部屋、綺麗に片付けたね」
「あ、そうだ。部屋、片付けた」
「どうしたの?」
 ローモンドが私の顔を覗き込む。
「子供時代のことを思い出していたの」
「ローランの?」
「そう。どこかのお城で生まれて、乳母に見守られ、円盤を与えられて、銀色の鳥のいる湖で遊んでいた」
 私が言うと、ローモンドは少し黙り込み、大きくため息を着いた後、
「素敵な子供時代ね」
 微笑んだ。「でもローラン、どうやってここに来たの」
「手違いで、ここに来た。円盤で来たのだけど、本当は他の人が来る予定だったの」
「ローラン、私は誰だと思う?」
 ローモンドが私の目を見つめる。
「ローモンドよ」
「名前じゃなくて、ローランにとって、どういう存在?」
「そうね、どうだったかしら――」
 一瞬困った。ローモンドはローモンドでしかない。
「こっちに来て」
 ローモンドが私の手を取り、中庭に出た。「この円盤は何?」
 中庭にある鳥の形を模した円盤を見ると、懐かしさに包まれた。
「これは、私が子供時代に乗っていた円盤よ。そうそう、きっと、これに乗ってここに来たのだ」
「鍵は?」
 鍵は円盤の鍵穴に差したままになっていた。
「鍵、抜くの忘れたみたい」
 ローモンドが言い、円盤の中に入って鍵を引き抜いた。
「うわっ」
 私は一瞬、身体中の細胞が震えたかのように感じ、その場にうずくまった。
「ローラン」
 ローモンドが駆け寄って私の肩を擦った。「大丈夫?」
 私はゆっくりと立ち上がり、目の前の円盤を見た。
「ローモンド。起きたの?」
「さっきからそばにいるじゃない」
 ローモンドはふくれっ面をしてこちらを睨んだ。
「そうだったかしら」
「ローラン、もう一度聞くけど、この円盤は何?」
 ローモンドが円盤を指す。
「えーっと、これは、そうだ、ローモンドが乗るために、私の心の中に創り出し、心の中にいたローモンドがこれに乗ってここに来た」
 ついさっき、私が乗って来たものだと思っていたが、それは幻想だったのか。
「ローラン。もう、私の子供時代がローランの中に溶け始めている。さっきローランが言った『城で生まれて湖と往来し、鳥達と遊んだ』のは、私の子供時代よ」
 ローモンドが言うと、そうだったなと思えた。
「その子供時代が誰のものだったとしても、過去がありさえすれば、地球で生きられるはず。お嬢様がそう仰っていたから」
 そう言った後、先ほどの電話のことを思い出した。
 中央司令部からの着信だった。あれは、迷惑電話じゃなかったのだ。さっきは、もうすっかり《ローラン》であることを忘れて、《ローモンド》の時間を引き延ばした位置に居たのだ。あぶなかった。
「ローモンド、中に入って何か食べなさい。そして、私、お嬢様に電話しなくっちゃ」
 私はローモンドの手を取り、部屋に戻った。

 ローモンドが食事をしている間、私は大画面のある会議用の部屋に移動して中央司令部に電話を掛けた。
「こちら司令部」
 ガードマンの声だ。「ローラン、どうしたんだ。お嬢様がお怒りでしたよ」
「ごめんなさい。間違って電源を切ってしまって」
「困ったものだな」
 ガードマンは呆れた様子で「すぐにつなぐからそこに居るように」と言う。
 予想通り、電話が切り替わった途端、お嬢様のヒステリックな声が聞こえた。
「ローランったら、まったく、いきなり電源を切るなんてどういうこと!」
「ごめんなさい」
 再び、平謝りに謝る。
「まあいいわ。それより、まずは大画面にスイッチを入れてちょうだい」
 言われた通りに電源を入れ、立体画像用のゴーグルを装着した。画面に数秒間波形が現れた後、お嬢様が登場した。いつも通りの厚化粧だ。
「ローラン、久しぶりね」
「ご無沙汰してすみません。モエリスは無事に元の生活に戻れましたか」
「もちろん。これから別の地球探索員の地球への定着に向かうところよ。今度は失敗しないように。同じ年齢の子にモエリスの記憶のコピーも終わったところ。万が一の時のためにすることだけど、ぬかりなく行わなければ。ローモンドはまだ記憶を装着する前に行方不明になってしまったから、こちらから探すのも困難」
「それはどうして?」
 よく考えてみれば、ここにローモンドが居ることが全く中央司令部に見つかっていないのはおかしい。
「装着した記憶が発信する感情波を辿ることで行先を把握しているのよ」
「なるほど、そうですか。ローモンドには全く記憶がないのでしょうか」
 湖で鳥達と遊んだ記憶はどうなったのだろうか。
「そうよ。彼女はモエリスの記憶をコピーするための存在だったから、お城の中だけで育てられた。学校に行く予定もなく」
「ずっとお城に?」
「そうよ。小さな乗り物は与えられていたけれど、近くの湖に行って、その水面を眺める程度。誰も彼女に話しかけたりしない」
 お嬢様は真っ赤な口紅を塗った唇をうっすらと歪めて微笑んだ。
「誰も?」
「そうよ。誰も」
 どうやら、お嬢様はローモンドが鳥達と心の中で様々な交信をして、彼女なりの記憶を紡いでいたことを知らないようだ。
「ところで、ローラン、あなたの記憶はどう? もうそろそろ薄れてきたのでは? 地球探索員養成所で育った子供時代のこと」
 お嬢様は画面から飛び出しそうなほど顔をこちらに近付けてきた。
「そうですね。少し曖昧になりかけています」
 正直に言った。
「それは大変。早く新しい記憶を送らなければ。モエリスはもう別の箇所へと配置されたけれど、他の子を送るから——」
「お嬢様、それはもう、本当に、けっこうです」
「どうして。それでは地球に定着できないばかりか、あなた、電池切れになってしまう。それは寂しい。前にも言ったでしょう、あなたの命が心配なの」
「でも、どっちみち過去の記憶が変わってしまえば、私は私でなくなるのではないでしょうか」
「それでも、生きていてほしい」
 切実な表情をしている。
「ならば、適当に過去を考えて、作文にでもして、それを記憶するようにします」
 そう言うと、お嬢様はそんなことはできないと言い張ったが、やってみますと押し切った。
「わかったわ。三日後にその作文をこちらにも提出して。こちらの会議でそれがOKなら、それでやってみましょう」
 苦し紛れながら、やっと笑顔を見せた。「それはそうと、とある星で、とある村から人がいなくなった件、前に話したわよね」
「場所は特定できていないけれど、そのようなデータがあるのでしたね」
「そうよ。その時以来、私達が保存していた大型記憶装置が破壊され、時空間にも歪みが生じてきた。ローモンドが行方不明になったのも同時期」
「その場所は特定できたのでしょうか」
「どうやら、地球のどこか、らしい」
 お嬢様は含みを持たせた言い方をした。
「地球? この地球?」
「それはわからない。別次元の地球かもしれないし、過去時空の中の地球かもしれない。でも、データが示している波形が、地球に特徴的な形を示している。土と、水と、それらの中に宇宙を含んでいる、あれほど多層的な星は今のところ地球しかない」
「大型記憶装置が破壊されたら、どうなるのでしょう」
「地球探索員として地球に送り込まれた人々の記憶が失われ、電池が切れる」
「それはもう聞きました。だから、新しい記憶を装着しなければならない、ってことですね。それでしたら、さきほど私が申し上げた通り、それぞれが気に入った過去を文章にして暗唱し、それを記憶として装着するように通達されたらどうでしょうか。モエリス2、モエリス3を育てるのも大変でしょうから」
 私が皮肉めいて言うと、お嬢様は目を大きく開き、パチンと指を鳴らした。
「そうだわ。そんな当たり前のこと、どうして今まで気付かなかったのかしら!」
 希望で頬が紅潮した。「さっそく通達する。いくつかのバリエーションをこちらで制作し、それぞれに送り届けてもいいわ」
「私は自分で作りますから、ご心配なく」
「わかったわ。お気に入りのものを作ってね。ただ、大型記憶装置の修復作業もあるし、しばらくは地球探索員を地球に送り込むことはしばらくできなくなるから、できればあなたにお願いしたい任務があるの」
「なんでしょう。私はもう、地球探索員として養成された過去を失うのですよ」
「そうね。できれば、その過去を消し去らずに作文に書くことはできないかしら。そしてそれを記憶する。まさに、記憶をそのまま残すように」
「そんなことできるかしら」
 私にはローモンドの記憶が溶け始めている。そこに真実を書き加える?
「やってみて。もしもそれができたら、あなたは地球探索員として派遣されたことを覚えている唯一の人になる。そうなったら、頼みたいことがあるのよ」
「それはなに?」
 聞くと、お嬢様は少し迷った後、
「そのまるごと人のいなくなった村の位置を特定すること」
 毅然として言った。
「この地球か、別次元か、ひょっとしたら、過去の地球かもわからないのでしょう?」
「そうよ。でも、この件を調査しないと、宇宙の構造が何もかも変わってしまって、これからどうなっていくのかがわからなくなる。わからないことをそのまま放置するわけにはいかないでしょう」
 青ざめて言う。
 私にとって、宇宙の構造が何もかも変わってしまうことが、どれほど恐ろしいことなのか、困ったことなのかはわからなかった。それでも
「わかりました」
 と言った。もちろん、この時点で、本当に引き受けるかどうかはわからなかった。それでも、これまでの経験上、わかりましたと言わなければ、電話を切ることができないことはわかっていた。

 食事を終わらせたローモンドに、シャワーするように告げた。私が地球に来たばかりの頃の服がまだクローゼットに残っていたので、ひとまずそれをローモンドに着せることにする。生地が地球のものとは異なる。それで捨て方がわからなかった。中央司令部からも指示があるまでは保存するようにと言われていた。それが今、役に立つなんて。
 シャワーを浴びてさっぱりとし、私の子供の頃の衣服を着たローモンドは、まるで私の子供時代に見えた。
「ひょっとして、顔も似てる?」
 私たちは並んで鏡の前に立った。ローモンドは金髪を長くし、私は黒に染めた髪を短く切っている。だから髪型はまるで違うし、年齢も十五歳ほど離れているために、一見似ても似つかないように見えるが、顔だけを取り出してみるとパーツはそっくりだった。
「私の子供時代の姿って、ローモンドみたいだったのかしら」
 私には写真もなく、全く思い出せなかった。
「ほんとにそっくり」
 ローモンドも驚きを隠せないようだ。
「子供時代の記憶だけではなく、身体もそっくりだなんて」
 私たちは互いの顔を見合わせた。お互いに見つめ合い、似ていることは喜ばしいことなのか、それとも絶望すべきことなのかわからなかった。
「ローラン、ローランの子供の頃のこと、教えて」
「私の?」
「そう。湖とお城を行ったり来たりしていた私の子供時代のことは話したでしょう。少しだけ写真を持って来たの。まだ円盤の中にあるはずよ」
 二人で再び中庭に出て、円盤の中を探した。
「あった!」
 ローモンドが座席の横に落ちていた数枚の写真を取り出した。
 部屋に戻り、それを見始める。
「うまくできている。ローランが上手に再現してくれたから」
 ローモンドは嬉しそうだった。「本当だったら、写真なんて誰も撮ってくれなかったから、失われてしまうはずのものだったのに」
「綺麗な湖ね」
 深い緑の森に水色の湖が輝いている。
「ところで、ローランの子供時代について教えて」
「そうだ。たった今、ちょうど中央司令部からの電話の中で、私の子供時代の思い出を記録すると約束したのよ」
「へえ、どうして。司令部としてはその過去は消去したかったんじゃなかった?」
「ローモンドがここに居るって言わなかったら、過去を失うと地球にはいられなくなるとお嬢様が仰って、他の記憶を持った子を送ると言うので、やめてもらったの。その代わり、本当の過去を装着するからと言うと、忘れないうちに記録するようにと言われた」
「地球探索員養成所の記憶でもいいの?」
「地球では内緒よ。別に悪いことを企んでいるわけじゃないけれど、決して受け入れられないだろうから。本当は消去すべきものらしいけど、まだ、この後、私には任務があるらしくて——」
 任務について話してもいいかどうか迷った。ローモンドはまだ子供だ。「そのうち話すけど、ローモンドにも手伝ってもらえればと思う」
 それは本音だった。
「わかった!」
 ローモンドの表情は輝いた。
 どれくらいわかったのだろう。ローモンドは相変わらず私の心を完全に共有しているのだろうか。
「じゃあ、これから私が私の子供時代について話すから、ローモンド、一緒に記録して。時には絵を描いたり」
 私が言うと、ローモンドは嬉しそうに、OKと力こぶを作って見せた。

 私はとある星にある大きな施設の中で生まれた。そこには同じ年齢の子供ばかりを集められた建物があり、そこで食事などの生活と、訓練生活が同時に行われた。
 そこにいる子供たちには特定される親がいなかった。この点はローモンドと同じだ。でもローモンドには専用の乳母が居て生活の世話をしてくれたそうだが、私にはそんな人はいない。自分たちよりも少し年長の子供の指導で食事を用意したり洗濯をしたりした。
 それに、湖と城を往来するといったのどかな時間もほとんどなかった。初めから「地球という星を探索するために生まれてきた」と明示され、その為の訓練だけが与えられた。
 他の人がどう感じていたのかはわからないが、私にとっては辛い生活ではなかった。世話をしてくれる上級生は優しかったし、地球を探索するための勉強が好きだったからかもしれない。生まれた星の単純さに比べて、地球にはありとあらゆる歴史があり、地理がある。豊かな自然や海、見た事のない動物たちが生きているのだという。その時はそれが事実かどうかわからなかったが、それを学ぶこと自体が楽しかった。実際、地球探索要員に選抜されたら、そこへ向かうことができる。考えようによっては、これから向かう旅先について学んでいるようなものだから、楽しくないわけがない。
 もちろん、地球の地理や歴史や自然について学ぶ以外に、数学と、それから記号情報学を学んだ。
 記号情報学では、地球は宇宙の情報系統の末端にあるとされていた。なので、高次元で設定されたものが、地球に至ると複雑化したり、固形状に物質化したりすると考えれていた。なので、それらの現象と、高次元の設定の相関について、その確率を計算するのだった。簡単に言えばそのような学問だったが、文学、天文学、易占い、考古学など、あらゆる分野に関して、網羅的に学ばなくてはいけない。
 私は記号情報学は苦手だったが、ほとんどの人が苦手どころか理解不能で脱落したので、少しでも理解できた私が最終的に地球探索要員として選べばれることになった。
 来る日も来る日も、勉強だけの毎日だった。それが私の子供時代だ。今から思えば、音楽もない、絵画鑑賞もない。そういった、地球で芸術と呼ばれているものに関してさえも、私の生まれた星でっは記号情報学としての現象的相関について考察するための材料でしかなかったのだ。

「それだけ?」
 ローモンドは目を丸くした。
「だいたい、それだけ」
「つまらないわね」
 眉尻を下げる。
「勉強自体が嫌いじゃなかったのよ。もちろん、平均台を渡ったり鉄棒をしたり、仲間で協力してボールを籠に入れる競技を練習したこともある」
「ローランは優秀だったのね。だから、こうして、地球に送り込まれた」
「いくつかの試験をパスし、やっとここに来たの」
 大変だった道のりを思い出していた。
「他の人は?」
「よくわからない。地球に来てからは、地球人と、それから世話役の人以外との付き合いはなかったのよ」
「じゃあ、ここで一体何をしていたの?」
 ローモンドは不思議そうだった。
「中央司令部から言われて、主に身体測定。健康診断かな」
「それだけ?」
「ここに来てみたら、それほどすることはなかったのよ。風景を撮影して本部に送信したり、人間との接触があればそれについて報告をする。でも人間との接触なんてほとんどなかった」
「じゃあ、なんのためにここに?」
「なんのためかしらね」
 もちろん名目はあった。記号情報学で学んだ通り、この地球で起きる現象は高次元で生まれた情報の物質化だとされていて、こちらの状況を報告することで、本部は相関を調べるのだという。
 ――でもそれだけ?
「いずれは、地球人として生きるように、それなりの過去の記憶を装着される」
「だけど、今回はそれがうまくいかなかった、のだったね」
 ローモンドの言葉に私はうなずく。
「ローラン、でも、その過去の記憶、薄れ始めているのでしょう?」
「そうよ。だけど、失うほどの過去などなかったのよ。勉強してきたことは地球そのもののことばかりだから、一度記憶が消えたとしても、また勉強すればいいだけ」
「確か、お嬢様から、新しい任務を与えられたのだったわね」
 ローモンドは肝心なことを忘れてはいなかった。この子は賢い。隠し事をしても意味はないだろう。
「そう。最近、この星のどこかで、村ひとつ分の人がいなくなったことがわかっていて、それがどこなのか調査をする仕事」
「あまりにも大変そう」
 ローモンドは目を白黒させている。
「だけど、そのことと、中央司令部に保管されている記憶装置の損傷には関係がありそうなのよ。この宇宙で何が起きているのか、誰かが調べなくてはならない。普通ならばこの時点で地球探索員としてのアイデンティティを忘れて、地球人として生きるのだけど、私は今回、地球探索員としてのアイデンティティを抱えたまま地球で暮らすことになりそうよ」
「そんなことできるのかしら」
「わからないわ。でも、ローモンドの過去だけを記憶として共有し、何もかもなかったことにして地球人として配置されるよりはずっといい気がする。昔はそんな風に思わなかったのだけど、どうしてかな、ローモンドと出会って、円盤が行ったり来たりして、一緒にアルバムを作ったりしたせいか、時間がずっと過去から継続している状況の方がましな気がするようになった」
 私が言うと、ローモンドは深くうなずいた。
「でもどうやって暮らす?」
「さあ、とにかく、私の過去の記憶をこうして書き取ったから、それについてお嬢様に話をし、今後の方針について相談してみようと思う」
「私のことはいつまで黙っている?」
 ローモンドは心配そうだった。
「できればずっと、黙っていたい。ローモンドも髪を染めて、新しい服を買って姿かたちを変えてしまえば、中央司令部の人に見つかったとしても、地球で友達になったと言えばバレないと思う」
 そう言うと、
「なるほど!」
 明るい表情になって、できるだけ早くそうしたいと言った。

 ローモンドの髪は私が切ることにした。
 私には専用の美容師が居て、カットやカラーリングを頼んでいるが、もしもその人にローモンドのことを頼んだりしたら、この子は一体誰なのかと聞かれるに違いない。
 ローモンドが青い実の成る星から来たことは誰にもバレないようにしなければならない。だから、この子の髪は私が切る。
 だけど、本当に、ずっと彼女の真実を知られないでいることなんてできるだろうか。もしもバレてしまって、あのお嬢様に報告されたら、容赦なく連れ戻され、場合によってはローモンドの記憶が消去されてしまうかもしれない。そう考えると、背筋が寒くなった。
「さあ、どんな風に切る?」
「短くして」
「いいの? こんなにきれいな金髪を長くしているのに」
「邪魔なだけよ。できればローランと同じ色に染めたいし」
「黒く?」
「そう、黒く。金髪も好きだけど、私こそ、私の過去をなかったことにしなければならないのだから」
 ローモンドに言われて初めて、そのことに気付いた。彼女は過去を捨てなければならない状況になっているのだ。本当だったら、私が過去の記憶を消去して、ローモンドの過去か、あるいは新しく届けられた記憶を装着しなければならなかったのだ。
「ローラン、気にしないで。私は記憶を失うわけじゃないのだから。違う過去があるかのようにふるまうことと、本当に記憶を失うことは同じじゃないのだから」
 ローモンドは今でもこちらが言葉にしていないことでも察知して、話す前に応えてくれる。
「そうね。鳥達と遊んだ過去なんて、すてきな記憶、絶対失くしたりしない」
 私はローモンドを鏡の前に座らせ、ブラシで髪をよく梳かした後、肩につかない程度の長さに切り揃えた。長くしていた時にはそれほど目立っていなかったウェイブが強く表れ、ローモンドの髪はすっかり重力を失くして扇のように開いた。
「まあ、こんな元気な髪だったのね!」
 ライオンの鬣のように広がった髪を撫でつけた。
「後ろで二つに分けてくくればいい。すごく小さな頃、そんな風にしていた気がする」
 ローモンドはいたずらっ子のように笑った。
「わかった。その前に、黒く染めてしまいましょう。金髪のままもかわいいけれど、ひとまず、なにか違う過去をイメージするためにね」
 私は小さくウインクして見せた。ローモンドはうなずく。
 私の専用ヘアカラーで染め、お風呂場で洗い、ドライヤーで綺麗に乾かし、ローモンドの提案通りに後ろで二つに分けてくくると、まるで別人に見えた。別人に見えつつも、ローモンドの本質がはっきりと見えてくる。聡明で、健康的だ。
 その後、町に降り、ローモンドくらいの子供がよく着ているシャツやスカート、靴を数セット購入した。再び家に戻って、その服に着替えてしまうと、ずっと昔から地球に居る子供のように見えた。嬉しいとも思えるし、出会ったばかりのローモンドが消えてしまった寂しさもある。
「ローラン、地球では、私にはお母さんが居て、そのお母さんは年がら年中働いているから私をローランに預けていることにしたらどうかしら」
 ローモンドは鏡に自分の姿を映しながら言う。
「なるほど、リアリティがある」
「そして、私はあまり話せない、ってことにする」
「どうして?」
「他の誰かが居る時だけよ。その方が、よけいなことを言って怪しまれたりしないから。そして、誰かが居る時には、テレパシーで話をすればいいのだし」
 ローモンドの提案を聞いて、私はすっかり感心してしまった。そのように設定しておけば、中央司令部から派遣された人が私達を見ても、それほど怪しんだりしないだろう。
「それにしても、こんな風に私達がいろいろとやっていることを、監視カメラかなにかで見ていたりしないの?」
「私もそれは不思議。これまでは、何かとお嬢様が監視している状況だったのに、ローモンドが来た時くらいから、その通信も滞っているようなのよ。それもあって、お嬢様は焦っているのかもしれないけれど」
「やはり、お嬢様が言っている、記憶装置の破損が原因かしら」
「断定はできないけれど、そうかもしれないわね」
 何もかも、これまで通りではなくなっていく。でも、どこかそれが、新しい時間のためのよい変化にも思える。
 私たちは顔を見合わせて微笑み合った。

 夕食の後、私はお嬢様と連絡をとった。地球探索員として育てられた過去を記録し、それを私の脳内に記憶させたことを説明すると、お嬢様はほっとしたらしく、これでどうにか、私は電池切れにならないだろう、後でファイルにしてメール送信するようにと言う。
「新しい任務はいつから始まりますか」
 この星のどこかで、村ひとつ分の人間がいなくなった件だ。その村の場所を特定する。
「すぐにでも取り掛かってほしいわ。記憶装置が破壊されたことで、ローランのように地球に派遣されている者たちに不具合が出始めているのよ。新しい記憶を装着することができた人は順に地球に降ろしているけれど、既に連絡がとれなくなっている者もいる」
「通信が途絶えた、ということ?」
「そうね。通信が途絶えたというよりも、防犯カメラが作動しなくなったし、電話に出てもすぐに切れてしまう」
 お嬢様は防犯カメラと言ったが、やはり、監視カメラは作動しなくなったのだ。
「どれくらいの数でしょう」
「少なくとも、50」
「そんなに?」
 地球に送り込まれて、まだ地球に降りていない探索要員の数は全部で100人程度と聞いていた。そして、常に地球人として根付いているらしいから、そのうちの50人と連絡が取れないのは、相当な数だと言っていいだろう。
「援助隊を派遣しても、すでに姿をくらましていることがほとんど」
「それこそが、村ひとつ分の人間がいなくなった状況に似ていませんか」
 私達こそ、どこかに連れ去られようとしているのだろうか。
「私もそう思う」
 お嬢様は珍しく気弱な表情を見せた。
「その人たちのことはどうします?」
「それは、別の組織に捜索させる。ローラン、あなたにはとにかく、急に人間がいなくなった村を探す仕事をしてもらいたいのよ。というのは、あなたは車の運転ができる」
 それはそうだ。地球に派遣される前に運転を覚えた。でも、地球で乗ったことはない。
「私が運転をするなんてできるかしら」
「こちらから届ける車にはナビが付いていて、最新の自動運転装置が付いているのよ。免許証は今持っているものを地球用に転向したものを用意するわ。必要な物資が受け取れる場所や、私達が専用で使っている宿が記載された地図も渡します。最新の太陽電池を搭載しているから、ありとあらゆる燃料には困らない」
「旅に出るのでしょうか、私」
 なんだか不安になった。
「それはそうよ。その村の情報が記載されているファイルも送るので、村を探すのよ。家にじっと居て、その村が探せるはずはないのよ」
「ネット上でも特定できるのでは?」
 急に弱気になる。
「それはもう試したのよ。ネット上のどこにもない。だけど、レーダーの中にその状況は現れている。おおよその位置も特定できている。海の向こうではない。そこから車で行ける範囲のはず」
 お嬢様はまったくスピードをゆるめるつもりはなく、本案件を進めていきたいらしい。あれほどモエリスを装着したがっていたのに、ひとたび任務を私に与えてしまうと、そんなことなどすっかり忘れてしまったかのようだ。
「では、必要なものを送り届けてください。準備ができ次第、村探しに出ます」
「たのもしいわ、ローラン。ところで地球人と遭遇した時には自分の経歴をどう伝えるつもり?」
「遭遇しないでしょう」
 私は言い切った。ローモンドと二人で旅に出て、お嬢様たちが用意したホテルや物資供給所だけを点々としていれば、地球人と仲良くなることはない。
「そうね。でも、もしも遭遇した場合に備えて、何か、いい経歴を考えておいて」
「わかりました、お嬢様」
 私はテレビ電話を切断し、ほっと溜息をついた。

 それから数日以内に、中央司令部から段ボール二つ分の資料や旅に必要な物資が届き、その日のうちに車も届けられた。届けてくれた運転手は無言のままで仰々しく敬礼し、後から着いて来たらしいバイクの後ろに乗ってすぐさま帰って行った。
「派手な車ね」
 ローモンドは目を丸くしていた。
「そうね。これでは、いちいち目立ち過ぎるのではないかしら」
 車体の色は輝くシルバーだが、光の当たり具合によっては玉虫色に光る。天井は低く、セダンに見えるクーペ。ヘッドライトは細長く狐目のように吊り上がっている。一見流線形に見えるが、角は突き刺さりそうなほどに尖っていた。ミラーには太陽光で発電する装置が備え付けられ、常にエンジンルームの電池に蓄えられるように作られているらしい。勿論ガソリンの仕様も搭載してあり、万が一の場合には切り替えて走行することができる。
「ほとんど、これが家みたいなものになる」
「慣れてしまえばどうってことないか」
 私たちは車体の周囲を歩き、撫で、受け取った鍵でエンジンを掛けてみたりした。
「私の円盤はどうする?」
「置いていくしかないでしょう」
「そうすると、いよいよ、私はローランの心の部屋に入ることはできなくなるのね」
 ローモンドは少し寂しそうだった。
「でも、これからはずっと二人で旅に出るのよ」
「それは楽しそう、でも、いつ終わるの? その旅は」
「わからない。とにかく、お嬢様に言われた村を探し当て、そこで何が起きたのかを調査し、報告するまでよ」
「意外とすぐに見つかったりして」
「その可能性も、なくはない」
 私たちは部屋に戻り、届けられた資料を読み始めた。ローモンドも字が読めることがわかった。
「おばあちゃまに教わったの」
 乳母から手ほどきを受けたと言う。
「そんなこと、できるのね」
「本当はやらないのかも。おばあちゃまがこっそりやったのよ」
 ファイルをテーブルに並べながら言う。
「どうして、そんなこと、こっそり?」
「わからない。でも、今考えたら、モエリスとやらの予備として育てられていた私が、どうして間違ってここに来ることになったか、少し変だなって。それはおばあちゃまの企みじゃないかと思うの」
「企み?」
「私を育てている間に、モエリスではなく、私の方をローランの元へと送りたかった、とか」
「どうして」
「わからないけど、そんな気がするだけ。私、モエリスを見た事があるの。私と似ているけど、中身はまるで違った。男の子たちとカードゲームをしたり、お城の庭に植えてある樹木に上って果物を取って食べたりしていた。あの子はお転婆よって、おばあちゃまが言っていた。モエリスはお洋服もたくさん持っていたし、おもちゃもたくさん。怖いものなしって感じ」
「おばあちゃまはモエリスよりもローモンドの方が好きだったのね」
「たぶん。育てたからかもしれないけれど。きっと、モエリスがここに送られて、ローランへの装着が成功したら、私がいなくなってしまうことに耐えられなかったのよ」
 ローモンドはファイルをテーブルに乗せ終え、もうひとつの箱を開け始めていた。
「ローモンドがいなくなってしまう?」
「きっとそうよ。だって私は、予備、だったんだから」
 あっけらかんとして言う。
「私達変な運命ね。私だって、もしもローモンドと出会わなければ、モエリスの過去か、あるいは何か別の新しく用意された過去を装着されて、これまでのローランは消去されていたのよ。別人格として生きていくはずだった」
 ローモンドと会う前にもそのことは知っていた。それを嫌だとすら思っていなかった。
「私達、出会うことで、感情を手にしてしまったの」
 ローモンドは箱から地図らしきものを引っ張り出した。
「感情?」
「そうよ。あらかじめ決められていた運命について、そんなの嫌だとか、互いが消去されてしまうのが嫌だとか」
「なんだか、それって、人間っぽいわ」
 私が言うと、
「人間ってそうなの?」
 ローモンドは驚いたのか立ち上がった。
「映画などで勉強した範囲ではね。空想上の人間はとにかく、決められた運命に対して拒絶したり喜んだり、喜怒哀楽というものを持つ。持つというか、持つのが正しいとされている感じね」
「でも、私達、それが正しいかどうかを考える前に、お嬢様たちが決めた運命を拒絶したのよ」
 ローモンドは眼を見開き、私の手を取った。ローモンドの手のひらは暖かく湿っていた。
「それは、そうね」
「一番最初に運命を拒絶したのは、私のおばあちゃま。おばあちゃまは私に文字の読み方を教え、きっと、モエリスがここへ送られる日に、なんらかの操作をして私を送り込んだ。それはルール違反だろうから、全くの善だとは思わないけど、個人的に誰かを守りたい気持ちとは、そういうことなのかもしれない。あの星にも、そんな個人的な思いが存在したのよ、きっと」
 ローモンドはうっすらと涙を浮かべていた。
「モエリスはお嬢様の所にに戻ったみたいよ。そして、誰かの過去として、改めてどこかに送り込まれるはず」
 消されたりしていないと伝えたかった。
「どっちにしても、私は運がよかった。こうしてローランと一緒に、旅に出られるのだから」
 ローモンドは涙を拭いて、子供らしい笑顔を見せた。

 夜になり、ローモンドが眠ってしまうと、私はお嬢様から届けられた資料を読み始めた。あの車で行ける範囲のどこかに、村ひとつ分の人間がいなくなった場所がある。日頃からニュースには気を付けているけれど、そんな情報はどこにもなかったはずだ。
 レーダーによる位置情報をプリントアウトしたものを見ると、ここから100キロほど北東の場所にありそうだ。もちろん断定はできない。中央司令部にある受信機が物質的なものを感知したのか、あるいは意識が作り出す熱波のようなものを感知したのかはわからないからだ。それでも、手持ちの地図上に目安となる印を入れ、ひとまず向かうべき宿を特定しておいた。
 詳しい経緯について書いてある文書も最初から丁寧に読んでいく。
 そもそも、モエリスを私の下に送り込むおよその日程はずっと以前から決定していたようだった。地球に来てからもう随分長い年月が経つ。健康状態にも問題がなく、命令されている通り、風景や人間たちの様子を写真と文書で報告し続けた日々だった。私の経緯は順調だがそれほどの手柄もない。だから、そろそろ、新しい地球探索員を送り込むタイミングだとされ、その前に、私はモエリスの過去を搭載してどこかで適切な労働者となるはずだったのだ。
 ところがそのタイミングで中央司令部にある記憶装置が破壊され、モエリスとローモンドが入れ替わって届けられた。いや、モエリスも届けられたのだから、ローモンドがなんらかの手違いでやって来たことになる。ローモンドの言う通り、彼女の乳母の企みなのか。だけど、企みだけではなく、ローモンドがここにいることさえ、中央司令部ではまだ知られていない。
 ――知られていない?
 不思議なことに思えた。中央司令部ともあれば、何もかも把握しているはずだ。これまではずっとそうだった。それがどうして把握できなかったのだろうか。ローモンドがおばあちゃまと呼んだ乳母が、ローモンドをこちらに送り込むタイミングで、中央司令部に把握されないように細工したのだろうか。
 文書によると、村ひとつ分の人間がいなくなった状況は、まずはレーダーに現れた。人間の心身が出力する特徴的な電磁波を感知し、中央司令部では地球の状態を把握しているが、くっきりと、村ひとつ分のエリアから人間の電磁波が消えてしまった。レーダーを見るとはっきりとした輪郭を持つ区域で、それ以外の場所には人間の存在を表す光が点滅しているらしいが、輪郭内だけは消滅してしまった。
 中央司令部としても、およその見当をつけて遠隔レンズで探索したが、想定される場所の中に人間がいなくなった地域は発見されなかったらしい。
 この辺りだろうと目安を付けられている地域は、牧場と農園、小さな市場が点在するのどかな場所で、人口は多くもなければ少なくもない。複雑な地形でもなく、たとえば山奥に特殊な集団が村を形成していたのが急にいなく なった、などとは考えられそうにもない。遠隔レンズで撮影した写真を何枚も眺めつつ、この穏やかそうな地域で何かが起こったとは想像できないと思った。
 ――おや? これ、何かしら。
 建物が崩れ落ちている写真がある。
 ――地震の跡みたい。
 しかし、その周辺の建物の中にそのようなものはなく、建物ひとつ分だけが崩壊しているらしかった。写真を裏返すと、赤いチェックが入れられていて、要確認と書いてある。
 その建物がある場所を地図上にマークし、とりあえず向かう先が決まったことで安心し、後は出掛ける準備を整えて出発するだけとなった。
 心が引き締まる。

 出発の朝、ローモンドは円盤の前に立った。よく晴れて、円盤の上に朝日が当たり、銀色に煌めいていた。
「行ってくるからね」
 輝いている円盤に向かって言っている。
「いつ戻って来れるかしら」
 私もローモンドの横に立ち、まだそれほど埃をかぶっていない円盤を眺めた。地下鉄の駅で泣いていたローモンドを見つけた日から、もう長い年月が経ったかのように思える。
「鍵は持っていく」
 ローモンドは買ったばかりのポシェットから鍵を取り出して見せた。
「もう失くさないで」
 二人で石段を上っている途中でローモンドが消えてしまった時、この鍵だけが落ちていたのだった。
「そう言えば、ローランが持っている方の鍵は?」
 ローモンドが持っているものは、私が脳内にイメージを描いて作り出し、私の心の部屋にローモンドが入り込んでいるところで物質化したものだ。
「もちろん、私も持っている」
 鞄から取り出して見せた。最初に石段の途中で拾ったもの。並べてみると、本当にそっくりだ。
「今度戻ってきたら、私も乗ってみようかな」
「それはダメ。円盤は一人ずつ、自分のものじゃなくてはいけないはず」
「残念だわ。私も円盤で自由に次元間移動してみたいけど」
 そう言うと、ローモンドは鼻を膨らませて得意気に微笑んだ。
「さあ、出発よ」
 私は荷物を車に放り込んだ。渡された地図上には食事の提供される場所が記されていて、考えていたよりも多くの場所で可能となっている。
「食事の心配はないし、着替えさえあれば大丈夫」
 私たちはとても身軽だった。
 ローモンドが助手席に、私は運転席に座った。
 エンジンを掛け、車のナビには最初に泊まることになるホテルを入力する。
 スタートボタンを押すと、ハンドルを握らなくとも、勝手に方向を変え、じりじりと動き始めた。
「全自動、ね!」
 ローモンドが嬉しそうに叫んだ。
「そのようね。安全確認さえしていれば、私は何もしなくていいらしい」
 山の細い道を下り、町の車道に出た。赤信号では正しく停車し、右折も対向車の距離と速度を計算して成し遂げた。
 やがて車は高速道路に乗り、ETCが搭載されているため、自動的に通り抜けることができた。車窓には植林が続き、ローモンドは時々うとうとと眠っているようだった。
 さすがに私は眠ることはできない。全自動とは言え、安全確認をしなければいけなかったし、道を覚えておきたかった。お嬢様たちのいる中央司令部をそれほど信頼しているわけでもない。何かあれば戻れるように、ホテルの看板や遠くに見える観覧車の姿を目に焼き付けていった。

(五章 了)

《あらすじ》
 ローモンドの円盤を中庭に移動し、ローランは部屋を片付けた。それからローモンドは髪型と髪の色を変更し、服を着替えて、地球の子供らしく変装した。
 ローランはお嬢様から「村ひとつ分の人間がいなくなったエリアを探す任務」を授かり、ローモンドと共に旅に出ることに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?