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連載小説 星のクラフト 7章 #8

 翌朝、朝食を済ませると直ぐに車に乗り込んだ。シェフはそんなに急がなくてもと寂しそうに言ったが、なるべく早く現場に着きたいからと、最後の珈琲も断って旅立つことになった。
「珈琲くらい頂けばよかったけど」
 私はナビに次の目的地をセットしながら呟いた。
「食事の後の飲み物で充分」
 実のところ、ローモンドが早く出発したがったのだ。「シェフの気が変わって、本を貸したくないと言い出したら困る」
 なるほど、それが気がかりだったのか。
「その本が気に入っているの?」
「だって、おばあちゃまとの思い出だから」
 ローモンドは後部座席で本を胸に抱きしめている。
「おばあちゃまは今何をされているのかしら」
「きっと、他の子供の世話をしている。私の前にも、何人もの子供を育てたって言ってたから」
「いつから乳母の仕事をしているのかしらね、そのおばあちゃまって」
「ずっと若いころからこうしているって言ってた」
「みんな地球に来る子供だちだったのかしら。あるいはその――」
 言い淀む。
「予備、でしょ?」
 ローモンドはくすくす笑う。
「ごめんなさい。そんな言い方して」
「いいのよ、本当のことなんだから」
「いずれにしても、おばあちゃまが育てた子供が大人になって、地球やその他の星に居る可能性はあるわね」
「だとしたら?」
「この本の存在を知っている可能性がある」
「どうかなあ。私がまだおばあちゃまのそばに居た頃ですら、都度翻訳し、読み聞かせてくれていたのだから、手に入ったばっかりだったのかもしれないけれど」
「それはそうか」
 私は車を発進させる。後は自動運転を見守るばかりだ。
「今日のうちに現地に行く?」
「いいえ。もう少しゆっくりと旅をするつもり。お昼頃に到着するホテルに入り、辺りを散策したり、その本を読み進めたりしましょう」
「なんだかローランらしくない」
「そうかな」
「シェフにはお嬢様の希望にできるだけ沿うように、早く当地に着きたいって言っていたのに」
「ローモンドが早く出発したいって言ったからよ。その理由としてひねり出したのよ」
「そうだった」
 バックミラーに、ローモンドのお茶目な笑顔が映る。楽しい気分になる。もしも一人っきりでこの任務を背負ったのだったら、ホテルなんかに一度も泊まることなく、当地まで一気に爆走していたかもしれない。
 これまでの私は合理的でしかなかった。ローモンドが私の心の部屋に初めて入った時、部屋には桃のレアチーズケーキくらいしかなかったのだから。ローモンドがそこで見た通り、確かにそう。私の好きなものは桃のレアチーズケーキくらいしかなかった。時々、あのお気に入りのカフェに行って、なるべくならJBLの横で音楽を聴きながら、美味しいケーキと珈琲を楽しむ時間だけが、唯一の任務外の時間だった。そんなにたくさん任務があったわけでもないのに、私自身の中に、物事をゆっくりと進めるといった発想がなかった。なんだってできるだけ早く終わらせ、できるだけ部屋に長くこもってひたすらに本を読む。それも、地球に関することが書かれた小説ばかりで、どれもこれも誰かが無残に殺害されてしまうミステリーばかりだった。地球と接触する前に、私は地球の人間たちの構造を知りたいと思っていたけれど、実際、あれが本当にの地球の人間構造だったかはわからない。
「ローラン、本の最初に、詩のような、奇妙なことが書いてある」
 ローモンドは膝に乗せた本から顔を上げた。
「その複雑な文字は読めたの?」
 バックミラーでローモンドの顔をちらりと見る。ローモンドもミラーを見て、小さくうなずく。
「そして、この本の最初、ここはおばあちゃまは読まなかった。詩のような短い文」
「エピグラフね。エピグラフまで読んで聞かせる人はあまりいないわ。相手が子供だった場合は特に。ところで、なんて書いてある?」
「まずはこうなっていて、△|:|◇:」
 ローモンドは記号を指で描く。
「それはわからないのね」
 ローモンドは私の言葉にうなずく。
「そして、《わたしは あなたの 愛を 信じます、これを わたしの 最後の 言葉と させてください。》となっている」
「すてきな言葉ね」
「そうだね」
 ローモンドは神妙な顔つきをして本を閉じた。「最初なのに、最後の言葉だなんて」
「エピグラフは別の本や映画、出来事などとの結びつきを示すための引用なのよ」
「インヨウって?」
「別の本などの言葉を部分的に引っ張り出して、用いること」
「じゃあ、この言葉は何かの本の言葉?」
「その本が通常の本と同じルールを使っているのなら。だけど――」
「これはいったいなんの本だろう」
 私たちは両方とも、初めて見る言葉だった。

つづく。

#星のクラフト
#SF小説


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