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連載小説 星のクラフト 2章 #10

 ランはソファに刺さった鍵の持ち手にそっと触れた。
 ――これ、抜いても大丈夫だろうか。
 不安ではあるが、抜かないわけにはいかない。誰かが部屋に来た場合、大いに目立ってしまう。
 ランは思い切って引き抜いた。
 何も起こらない。
 急いで鍵をリュックの奥に仕舞い込んだ。直観的に、リュックの中はこの21次元地球からの影響を受けにくいだろうと考えたのだ。鍵の上にタオルを入れ、滅多なことでは手に触れないようにした。
 念のため、しばらくはリュックをじっと見ていたが、何も起こらず、ようやく安心し、シャワーを浴びた。
 建物の階段を上ってくる時の緊迫した思いや、その後の出来事が嘘のようだった。あれからまだ数時間しか経っていないだなんて。
 ホテルの部屋着に着替え、寝室のベッドに横たわった。そこでやっと疲労感に襲われ、一瞬で深い眠りに落ちた。

 目が覚めると、ナツからスマホに連絡が入っていた。
《これからそっちに行ってもいいか。》
 見ると、二時間前。気付かず眠っていた。
《すまない。今、目が覚めた。》
 もう眠っているだろうと思いつつ、返信した。
《俺も今起きた。》
 素早い返信だ。
《今なら来ても大丈夫だよ。食べ物も飲み物もないが。》
《持って行くよ。ではすぐに行きます。》

 数分後、ナツは寝癖の着いた頭のままでやって来た。ミネラルウォーターと菓子パンをいくつか持っている。
「これしかないが、昨日、夕飯のビュッフェで貰っておいた」
 得意気に髭を指で梳かす。「それはそうとだ」
 ナツはソファに座った。
「早朝に寝癖のまま登場してでも話すほど重要なことなのか」
 来てもいいと言ったのはラン自身だったが、そんなにすぐに来るとは考えていなかった。
「昨日、奇妙なものを見てね」
「どこで?」
「レストランのビュッフェで食べ物を皿に取っていた時に、窓硝子の向こうを眺めると、眩しく光るものが空に飛んでいたんだよ」
「UFOか? 我々が船体で飛んでいた時もそんな姿だったろうよ」
 ランはナツと何度も船体で宇宙空間に飛び出した日々を思い出した。あの船も、この世界では絵画の中に閉じ込められてしまった。
「そんな感じじゃなかった。なんだかフカフカした、ちょうど、このソファみたいなものだった」
 ナツの言葉にぎくりとする。
「ソ、ソファが飛ぶなんてことはないだろう」
「そうなんだ。だけど、なんだか、そんな感じのものが流れ星の速さで飛んで――」
 ナツは眉を寄せて不安そうな表情を見せた。
「それで?」
「ホテルの上階へと向かった」
 ランは言葉を失った。恐らく、ナツが見たのはランが誤ってソファに鍵を差し入れて飛び、司令長官の部屋に突入し、あのオブジェから出てきた状況の一部だろう。
「そういう現象もあるだろう。でも、事故の報告はない」
 知らないふりをした。
「そうかな」
 ナツはランの顔を眺めまわした。
「何か言いたいことがあるのか」
「あるよ。あるから来た」
「なんだ」
「昨日、レストランに来なかったけど、どうしたんだ」
「司令長官に呼ばれた。こちらから派遣されていた装飾担当のリオの部屋で打ち上げだ」
 ナツはひとまずソファの背にもたれ、ほお、と言う。
「一応、僕は隊長なので、代表で呼ばれただけだよ。リオが失くした鍵のことや、ダウン・ディメンション化した絵画とオブジェについての談義。その他、軽い話をいろいろと」
 常に秘密など持たずに付き合ってきたナツだが、全てを話す気にはなれなかった。ランは自身が何か狡猾な人間へと変貌してしまったようで、吸い込む息が苦く思える。
「そうか、ならいいんだ。空で光っていたソファ用のものの動きが、なんだか俺たちが乗っていた船体の動きに似ていたからさ」
 ナツは身体中の緊張感を緩めていた。「それとは話は変わるが――」
「何?」
「俺のこれ」
 小指を立てて見せた。
「それか。どこかに居たの?」
「居たんだよ。驚いたことに、とあるパーツ製作員の妻だった」
「マジか?」
 問題を起こさなければいいが。「話したの?」
「いや、目が合うと、向こうから目を逸らした。経験上、別れましょうの合図だ」
「は、経験豊富なナツさんなので、まるで職人の直観ですね」
 思いっきり嫌味を言ってやった。
「褒めてくれてありがとう」
 ナツは顔を歪めて笑う。
「どういたしまして」
 二人はかつてのように、声を上げて笑った。

つづく。

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