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前略草々 田中慎弥著『流れる島と海の怪物』

 深夜降り続いた雨は止んだ。植木は涼しい雨の恵みで生き生きしている。鳥たちの来た形跡はあるけれど今は静か。雨上がりの森や公園を楽しんでいるに違いない。
 
 どこかで、死ぬほど好きな作家はいないと書いたが、特に文体の好きな作家はいるかと聞かれたら田中慎弥さんと答えるだろう。と言っても、この事を認識したのはすばる8月号の『流れる島と海の怪物』を読んだから。芸術家というのは、ひりひりする真実を垣間見てしまうものだなあと、今回の小説にはつくづく感心したが、内容がどうあれ、文体そのものが好き。そんなに特徴的な文体ではないように感じるかもしれないが、モチーフと文体の一体化、書き慣れた万年筆の滑りの良さ、微妙な点の打ち方や体言止めの小気味良さ等が読んでいて心地いい。
 いずれにしても、昨日、つまり2022年7月12日の午後に、カフェの椅子に座って、すばる2022年8月号に掲載されている田中慎弥さんの『流れる島と海の怪物』を読んだことは一生忘れないだろう。



 私は田中慎弥さんにお会いしたことがある。下北沢のB&Bで行われたイベントに参加した。その時、この方は小説家なのに嘘がつけない人なんだなと思った。会場で『ひよこ太陽』を買って、サインをして頂いた。
 勝手な想像かもしれないが、田中慎弥さんは小説しか書かない人に見える。あるいは小説を書くしかない人。それは他に能力がないだろうと言っているのではなく、もう少し分解して丁寧に書くと、小説の側に惚れ込まれてしまってそうするしかなくなったような感じのする人だ。
 世間には器用な人はたくさん居て、何か学問やライター業やタレント活動のついでに小説を書いてみたら賞を取ったとか売れたとか、あるいは小説家としてだけ生きたいがタレント活動などにも誘われて断れずとか、とにかく兼業小説家が多いものだが、田中慎弥さんは専業なのではないか。他のお仕事を調べていないからわからないが、文章には専業小説家の香りが漂っている。それはあらゆる意味でしんどいことだろうと思う。真実が作られる以前の柔らかな時空に小説家の触覚をピンと伸ばして差し込み、探索しながらペンを走らせるのは体力と精神力の強靭さが必要だ。
 専業プロとして特化する事に特別な意味があるはずはないと器用人たちからのダメ出しを食らいそうだが、やはり文章を見ると、根拠を何とは指摘し難いが、やはり違いはある。それが良いか悪いかは好みであったとしても、違いのあることは歴然としている。

草々

(米田素子)

追伸  これを書いた後、検索してみたら、田中慎弥さんのB&Bのイベントは2019年7月11日だった。なんだか不思議。小田切ヒロさんのBBQ動画も何かを差しているんだな。昨日、&beのプライマーを買いました。なんとなく、シンクロナイズドチョイスにて。

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