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連載小説 星のクラフト 8章 #1

 ――地球はただ丸いだけではなかったのか。
 部屋の窓から吹き込む柔らかな夜風が心地よかった。
 ランはその風に吹かれながら、本当の地球の姿を想像していた。別次元が地球外に存在するだけではなく、地球自体にいくつも次元があり、それは土の下だったり、ガラス天井の上だったりする。
 目の前には司令長官から借りた《帰還》をイメージしたらしいオブジェがある。どこか懐かしさのある建物の模型。地球人が、これぞ家だと考えている家。彼らはこれを帰る場所の象徴だと思っているに違いない。
 オブジェを眺めていると、ふいに心臓の辺りが寒々として感じられた。
 ――なんだろう、この気持ち。
 言葉にすれば孤独感かもしれない。懐かしさのあるオブジェを目にすればするほど、懐かしさといった感情を持つ環境からほど遠い身の上を思い出す。辛いとは思わない。寂しいとも思わない。孤独。生まれてからずっと、それが当たり前のようなものだった。だからこれまでは孤独感など持ちようがなかったのだ。その「懐かしい」オブジェを目にするまでは。
 スマホを手に取り、ナツに連絡しようか迷った。
 孤独だと言っても、ナツだけは少し違う。これまで、ずっと二人で任務を果たしてきた。仕事上、秘密など持ちようもなかった。だから、ランからすればナツとの間に垣根はない。もちろん、ナツのプライベートに関してはそれほど何も知らないから、全存在を分かち合っているわけではないが、ランの方にはもとからプライベートなどというものはない。全てが仕事だ。だから、ランからすればナツとの間に重大な秘密などなかった。今は、船体の鍵を持ち出してしまったことだけは打明けていないが、それ以外に壁はない。
《ちょっと、話せないかな》
 気付くとメッセージを打ち込んでいた。
 ほとんど間を置かず
《珍しいね》
 返事がくる。
《夜風に吹かれていると、寂しくてね》
《なんとまあ、いよいよ珍しい》
《部屋に来ないか。話したいことがある》
 鍵を持ち出してしまったことを打明けるつもりはなかった。オブジェについて、感じるところを話したいだけだった。
《それはありがたい。正直、マイホームパパを演じ続けるのも大変でね。ワインを持って行くよ》
《了解》

 まもなく、部屋のドアの前にナツが立った。ランは見飽きたはずの髭面を見てほっとする。このところ、あまりにも様々なことに変化があり過ぎたから、この相変わらずの男臭い顔つきは貴重なものになりつつある。
「わざわざ御足労頂き申し訳ないね」
 皮肉でもない。
「何を仰いますやら」
 ナツは笑顔になり、赤ワインのボトルを目の前に突き出す。「家族にはこれも任務と言えば、酒も飲めますからね」
 ランはナツを部屋に招き入れた。

「オブジェ、借りてきたんだ」
 ワイングラスを傾けつつ、ナツにオブジェを見せる。
「へえ、それはまた、どうして?」
 ナツはランの用意したキャビアの乗ったクラッカーを口の中に放り込んだ。
「見た事があるような、ないような。なんだか懐かしい建物の模型だと思ってね」
「わざとそれを借りてきてじろじろ見て、無理に懐かしがりたいとでも言うのか。普遍的ノスタルジーを求めて……、か」
 クラッカーをワインで流し込んだ後、にやついている。
「どう思う? これについて」
 ランはジョークには付き合わず、早速オブジェをナツに手渡した。
「どうって、これまた珍しく、漠然とした質問をするね。ひょっとして、次元上昇したら、哲学者にでもなったのか」
 ナツは受け取ったオブジェを眺め回しながら、ランをからかった。
「そうかもしれないな」
 からかわれていることはわかっていたが、実際に、そうかもしれないと思えた。
「冗談だろ。やめてくれよ」
 ナツが顔を顰める。「この任務に、似合わないだろう」
「そうかな」
 ランがオードブルに手を伸ばしかけた時、
「あっ」
 ナツが声を大きくした。
「なんだよ」
「これ、あのオブジェじゃない」
 今度は小さな声で言う。
「どういう意味? あのオブジェのはずだよ。司令長官から借りてきたんだ」
「いや、これは違う。別のものだ。いわば、フェイクだ」
 スマホを忙しく操作しながら、さらに密やかな声で言い、「あの時、写真を撮っておいたんだ」ランにスマホ画面を見せる。オブジェの写真だった。
 ――なんだって? こちらこそがフェイクを作って司令長官に返そうと考えていたのに?
「どこが違うの? 同じじゃないか」
「よく見て。屋根の板。写真のものには細い板目が入っているけれど、目の前のこれにはほとんど入っていない。やすりでこすったりしないだろう」
 ナツに言われて、ランは眼を凝らした。
「ほお、本当だ。こうして写真でよく見ればわかるが、ナツ、一見してよくわかったな」
「当たり前だよ。何年この任務に就いていると思っているんだ」
 ナツは得意気に顎を突き出して見せ、ワインをぐいと飲んだ。

つづく。

#星のクラフト
#SF小説
#長編連載小説

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