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連載小説 星のクラフト 7章 #10

「やっぱり、あの本だ」
 ローモンドは本棚から抜き取り、表紙を撫でた。
「ずいぶん埃が付いているのね」
 昨日借りてきたものよりもずっと古いものに見える。
「やっぱり手書きみたい」
 ローモンドは埃を掃い、頁を開いて目を近付けた。
 見ると、彼女の言う通りやはり手書きで、中の文字は借りた本と同じようにインクの色が褪せてはいなかった。ほとんど誰も読んではいないのだろう。
「書いてある内容も同じ?」
「どうかな。えっと、エピグラフは――」
 ローモンドは最初の頁を開いた。「△|:|◇: わたしは あなたの 愛を 信じます、これを わたしの 最後の 言葉と させてください」
「同じね」
「ローラン、今日、ここに泊まろう。内側から鍵を閉めてしまえば誰も入ってこないし」
 ローモンドは本から顔を上げる。頬が紅潮している。
「危ないわ。食べるものもないし」
「ローランの家から少し持って来たでしょう。あれを食べればいい」
 これまでに見たことのないほど、目が輝いている。
「どうして、この家にこだわるの?」
「思い出したの。この本の内容を」
「読み聞かせてもらった部分?」
「それだけじゃない」
「それだけじゃないって?」
「私、この本を知ってた」
 ローモンドの目はさらに輝いた。少し息が早くなり、顔色もますます紅く染まっている。
「どういう意味?」
 どんなにローモンドが興奮していても、私にはさっぱり意味がわからない。
「この本に書かれていることのほとんどを思い出し始めたってこと」
 唇を一文字に結び、何があってもここに泊まるのだと頑固になっていくようだった。
「思い出したって、おばあちゃまに読んでもらう前に、誰かから聞いたってことかしら」
「そうじゃないの。いや、そうとも言える」
「何を言っているのか、さっぱりわからない」
 私は少し苛立ちを覚え、強く口調で言った。そうじゃないとか、そうとも言えるとか、何を言っているのだろう。それに、さすがに、この誰もいない家に泊まるのは危険過ぎる。
「ローラン、ごめんなさい。私、興奮してしまって」
 ローモンドはやっと少し落着きを取り戻した。
「怒っているわけじゃないの。でも、この家に泊まるのは危険すぎるでしょう。誰も住んでいない様子ではないわ。本には埃が着いているけれど、畳や窓の桟は清潔。梁と柱の間に蜘蛛の巣も張っていないし、ここには誰かが住んでいる。住んでいないにしても、定期的に掃除はされている」
「確かに、それはそう。でも、再びここに戻って来るかどうかはわからない。ついさっき、出て行ったのかもしれないし」
「どうしてそう思うの?」
「この本の内容を思い出したから」
 また奇妙なことを言い出した。
「その説明ではわからないのよ」
 つい、また声を荒げてしまう。
「ローラン、わかった。じゃあ、こうしましょう。私が本当にこの本の内容について知っているかどうか、試してみない?」
「どうやって」
「この家の二階には、昨日のホテルで見たクリーム色の鳥の羽根がある。きっとある。この本の内容の通りであれば」
 ローモンドは決然として言う。
「もしもそれがあったなら――」
「そう、あったなら、私の言うことを信じて、ローラン」
 再び目を輝かせて私を見つめる。
 私は迷った。
 あるわけないと思う。でも、この目の輝きを見ていると、羽根はありそうだ。もしも羽根があった場合、ここに泊まることになる。胸の辺りが空くような不安がよぎる。
 私は今まで、地球探索要員の養成所に居た頃からずっと、中央司令部の敷いた道に従って生きてきたのだ。もちろん、その道程にも不安がないこともなかった。養成所での競争や、地球に初めて来た時の孤独。それらも充分に過酷な運命だった。だけど、原則として、全ては従ってさえいればよかった。たとえ自身が破滅に導かれているとしても、どこか諦めに似た安心感があった。自身を破滅に追い込んだのは中央司令部であり、私自身ではないと考えれば、私は私に対して潔白のままで居られる。悪いのは彼らであり、私ではない。
 でも、この家に泊まるのは、どう見ても中央司令部の予定からはズレているだろう。恐らく、これまでの私の行動パターンから計算すると、今日中にお嬢様が調査してほしいと言っているエリアに入っているはずだ。
 過去のパターンから導き出す未来予想のアルゴリズムから、今、私は外れている。ローモンドの存在をお嬢様たちは知らない。知っていたとしても、話をすることのできない地球人だと思っている。彼女たちは地球人をそれほど異能な種だと思っていないから、私の行動パターンを変えさせるほどの影響力はないだろうと考えているのかもしれない。でも、私はローモンドと出会うことで、初めて、合理的ではない、のんびりとした旅を楽しみたいと思ったのだ。そのせいで完璧な未来予想アルゴリズムから離れている。
「ローモンド。この家に泊まるかどうかを決めるのは後にして、とにかく、その羽根が二階にあるかどうか、それを見に行くことにする。それから考えましょう、私にも時間の余裕をちょうだい」
 今この瞬間にできる答を口にした。
 ローモンドはうなずき、微笑んだ。

 薄暗い階段を上がり、引き戸で閉じられている二階の部屋に入った。
 スイッチを入れ、明かりを点ける。
 部屋に家具はひとつもない。
 板間だ。焦げ茶色で節だった板。
 その真ん中に、そのクリーム色の羽根はふわりと置いてあった。

(七章 了)

つづく。

#星のクラフト
#SF小説
 

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