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解読 ボウヤ書店の使命 ㉕-43

長編小説『路地裏の花屋』読み直しつづき。

《十章 カタギリトモヒロとインド料理屋の休日

<カタギリトモヒロの告白>

 大通りから牡丹通り商店街のある路地に折れると、天井には薄緑色のアーケードが掛かり、支柱にはビニール素材で作られた桜や紅葉の造花が一定間隔で飾られていました。そういった人工的な賑わいでさえもあっさりと打ち切られている最奥の場所に、僕と男が出会った雀荘は存在しているのです。
 アーケードの先には路地の終点を塞ぐT字路と人気のない公園しかない。雀荘は建物の二階部分。一階には、対面に交番があるのに、堂々と演歌専門のレコード屋を装ったアングラ的アダルト本屋があり、壁に風俗の広告が何枚も貼り付けてある細い階段がある。それを上がると、負けた客が憂さ晴らしに蹴飛ばしでもしたのか、一度壊れて部分的にベニア板を貼り直した薄い板製の扉があり、ぐらぐらするドアノブを掴んで押し開けると、年中窓のカーテンを閉めたままの煙草臭い雀荘が現われ、小さなカウンターバーと雀卓が二つ。そして窓の内側からセロテープで貼り付けた手書きの看板も、何年も作り直さないので文字が日に焼けて薄れたままとなっているのでした。
 だから常連客以外にはほとんど目にも留まらない存在感でしたが、高レートのマンション麻雀とは違って、ここでは勝負の行方やそれに伴ういざこざもそれほど派手なことはなく、大方の事は交番も見て見ぬふりのまま放置しているらしく、ひっそりとしているわりには、牡丹通り商店街発足から何十年経っても店じまいすることなく、細々とながらも継続しておりました。
 そこに通う客も店の風情に合せたかの如し。夏でもすり切れた皮ジャンを脱がない髭まみれの爺さんや、昼間から学校にも行かずにふらりと訪れ目を決して合わせようとしない若者といった、おそらくは表の社会から追い出された輩ばかりで、互いに長年顔見知りであるにも関わらず、素性を語らないまま常連として認識し合い集っていました。
 僕もそんな輩の一人。娘を残して妻に先立たれて再婚もせず、休みになれば家政婦に娘を託しての雀荘通いでした。どうせ行き場所のない奴らから叱られるわけもなく、不愛想なままだらだら過ごすことが出来、もっと出世しろとか夢はないのかとか、どうして再婚しないのかなどと急き立てられず、むしろ理想的な疑似家族と思えなくもなかったのです。そもそも出来のいい人間ならば立ち寄るはずもない場末のユートピアだから、随分長い間、そこでは素敵な輩を目にして妙な苛立ちを掻き立てられることもなかった。
 その霞んだ理想郷を突き破るようにして、雀卓の一辺に驚くほど容姿の整った男が座ったのでした。
 初めて男と出会った時のことは今でも忘れません。大袈裟なようですが、彗星の如くと言った登場ぶりでした。いつもサラリーマン風のスーツを着て身長は百八十センチほどか。足は長く肩幅も広い。牌を扱う指は細長くて顔立ちも彫が深く、寂れた雀荘でなくても人目を惹くでしょう。当然、常連の誰もが「おや?」と思わずにはいられない違和感がありました。しかも誰とも打ち解けない。ひとたび卓の一辺を陣取ってしまうと、煙草を口にくわえたまま一言も発することなくひたすら打っているのです。本当か嘘かは知らないが『木花蓮二朗』という名前であることと、生業は街外れで数学塾をやっていること以外には素性を周囲に打ち明けた様子はなく、そのお蔭あってか、最初はそこにいる誰もが、このように素敵な彼氏であったとしてもきっと何かしら曰くつきの人生をお持ちであることは間違いないだろうと、それだけは、どうにか信じておりました。もちろん常に一触即発という空気はあったし、誰もが、早くいなくならないかな、と思っていたことも否定はできないのですけれど。
 男が初めて顔を見せてから二か月ほど経った頃、誰が言い始めたのか、「蓮二朗は妻の誕生日に赤い薔薇の花を買うそうだ」と噂が流れました。そんなことくらい大げさに取り上げる必要もなさそうだが、そもそもどんな場所でも違和感があるほど見た目のよい男は嫉妬されやすいものでしょう? 容姿が場にもそぐわず、輩の間でぴりぴりとした緊張感があったところにその噂でした。壁や天井、置いてあるもの全てが客の吐き出す煙草の煙でいぶされている灰色一色の中、赤い薔薇の花束など頭の中に思い浮かべるだけでも鮮やかすぎたのでしょう、経緯は分かりませんが、迂闊にも何かの拍子に話題に出てしまえば、もう消えることのない印象をくっきりと植え付けてしまったらしく、結果、何やら大袈裟な噂になってしまいました。しかもそれが『妻』への贈り物というのだから、いかにも正統の中の正統、王道の中の王道、まるで別世界。あのように煙草の脂で汚れた壁の中で少しでも幸せそうな匂いなど放つと嫌われるのに、そこまで真ん中を射ているとなれば、いちいち憎らしそうに取り沙汰される。いや、もはや、むしろ滑稽話であるかのようにいろいろと改ざんされ、すっかり本当らしく浸透しているのでした。
 そうは言っても所詮は噂、僕としては本人の口から聞いたわけでもなく、事実なのか作り話なのかもわからなかったから、最初のうちは、単なる典型的な美談も歪んで受け取られればこうなるのかと取り合いませんでした。あれほどの美男子となってしまうと、本当か嘘か分かりもしないことをさらにああだこうだと改ざんされて噂されてしまうのかと呆れ、話題に出ても相槌も打たず聞き流しているだけでしたし、実際、噂そのものに関してはそれほど気にもなりませんでした。周りの輩が嫉妬とも軽蔑とも言えないひねた調子でいつまでもひそひそ語り続けていても、むしろ『木花蓮二朗』のことを気の毒に思うくらいだったのです。
 ある日。どういうわけか、どの卓でも満貫を出す輩が多発し、一局一局の勝負がやたらと大きく上下し、誰の手元にも、これまでに遭遇したことのないヤクを期待できそうな配牌が次々に並んで届くことがありました。そうなると、いつもならすぐに鳴いて小上がりばかりしようとする投げやりな輩でさえも、かっかかっかと目を血走らせつつ、じっとこらえて面前で勝負しようとするし、皆がそういう気迫を見せれば見せるほど、場の空気もますます魔物めいて、いっそ勝ち負けよりも、仕上がりの華やかさを競い合おうかとの狂気がじわりじわりと浸透してくるものなのですが、そんな中でもその男だけは優雅な様子を一切崩さず、長い指先で牌を静かに運んで、周りの空気には全く心を動かされようとはせず、鳴くべき時は鳴き、堪えるべきときは堪えるといったいつもの態度を保ち続けていた。手元に置いている点棒を見ると、特に勝っているわけでもなく、さほど大きく負けているわけでもない。中ほどの成績のまま、熱気が滑稽にすら思えるのか薄笑いさえ浮かべながら打っていました。
 その様子を見ているうちに、これまでは他の輩よりは冷静に彼を見ていたはずの僕も、その何物にも乱されぬ姿に場違いな余裕を感じずにはいられなくなって、何か毛嫌いしたくなる異物感を覚えました。するとあの噂のことが思い出されて、こんな嫌味な奴なら妻に薔薇を贈るというスカしたこともするだろう、と心の中で悪態までついてしまいました。
 おかしなものです。彼についての真実など何も知らず、また彼が特に秀でて独り勝ちをしている訳でもないのに、雀卓周りに立ち昇る異様な運巡りの熱気に包まれてしまうと、見ているだけで腹の立つような一種の妬ましさが当然の権利を得たかのようにむっくりと起き上がって、もうそうなると根拠もないのに自信を持って嫌な奴だと決めつけることが出来たのです。
 冷静に立ち戻って考えてみれば我ながら恐ろしい心の動きではありますが、その時には、このお蔭で、周囲の輩の気分に共感できる人間になれたのだとむしろ肯定的に考えました。どの輩も『木花蓮二朗』が悪いわけではないことくらい承知の上で、自分の中にあるやり場のない妬ましさを解消するために、ねちねちと陰口を言っていたのだと、不思議に、場末の理解者という偽善の立場さえ獲得するに至ったのです。
 理由のない嫉妬心ほど心地悪いものはありません。だって、すでに負けていることを自ら認めているようなものだから。理由がないのだからこそ、どうやっても覆せない負けが動かしがたく目の前に居座っているのです。僕自身、突如として心の中に発生してしまった不思議とも言える妬ましさの上に、くだらないやっかみに肝を煮えたぎらしている自分の浅薄な人間性に対する落胆の思いが重なって、どう対処すればよいかもわからなくなっていきました。だからと言って反省して改めるわけでもなく、一度芽生えてしまった嫌悪感は心の奥底にねっとりと定着し、その日以来、たとえば彼に当たりを投げ込んでしまった輩が、どうせあのような色男には何件か別宅があり女がいるに違いない、妻には罪滅ぼしに薔薇を贈るのだ、などと腹いせに言うのを聞くと、当然不確かな話であるにも関わらず、実にけしからん奴だ、と憤りの思いが湧いてくるのでした。もちろん、ひと呼吸おいてみれば、いわれなき憤怒の残滓を自分でなぞるはめになり、どっと気分が落ち込んだのは言うまでもありません。》

つづく。

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