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連載小説 星のクラフト 1

 工房の二階では二人の男が麦酒を飲んでいた。
「いよいよ、出発の準備を始めるとするか」
 口ひげを生やした彫りの深い顔立ちの男が瓶に直接口を付けた。
「まあ、そうだな。そろそろか」
 もう一方の男は麦酒をグラスに注いだ。短髪を桃色に染めた色白。想定したよりも泡が立ち、こぼれそうになったので慌てて引き寄せて啜った。
 口ひげの男の名はナツ。
 桃色髪の男の名はラン。
 ナツとランは麦酒瓶とグラスをカチンと合わせた。

 一階の工房では数人の作業員が全体像も知らされずにパーツを製造している。菱形のパネル、突起物の飛び出た球体、サボテンから作られた糸で編んだマット、など。一人ずつに設計図が手渡されて、緻密に形にしていく。必要な材料や切り貼りするための道具や接着剤、塗装用具は設計内容に合わせて配布されている。

「もうすぐ、パーツは出来上がるからな」
「完成したものから順に船に持ち込んでいこう」
 二階にいるナツは隣の部屋を指した。そこに船が置いてある。「工房で働いてくれた人たちはどうする?」
 ナツは手の甲で口ひげについた泡をぬぐって、ランの目を見た。
「全員、次の働き場所が決まっている」
 ランは涼しい顔で答えた。
「それはまた、上出来なお話だな。ランが探してきたのか? 役場から表彰されるだろうね」
「彼らが優秀だからさ」
 ランが桃色の髪をかき上げ、切れ長の目の端でナツを睨む。
「だけど、向こうに着いたら組み立てるために、一人くらいは同行してもらわないと――」
 ナツが言い掛けると、
「いや、全員、もう決まっている」
 ランが二階の設計室中に響く声できっぱりと言った。
「組み立てはどうするんだ」
「大丈夫だ」
「ラン、君がやるのか」
「いや、彼らがやる」
「彼らって?」
 ナツは麦酒瓶を握りしめたまま、背筋をきゅんと伸ばしてランをまっすぐに見た。
「だから、工房のやつら」
 ランはグラスから麦酒をそっと飲んだ。
「次の職場が決まってるんだろう?」
 ナツは顔をしかめて麦酒をぐいと口に含む。
「僕たちの船が次の職場だよ。全員連れて行く」
「まじかよ、誰が賃金払うのさ。第一、あの小さな船に乗れるのか? ノアの箱舟じゃあるまいし」
「あの船に乗るのは僕たちだけさ」
 ランはうっすらと笑った。
「じゃあ、どうすんの、あいつらは」
「こうするのさ」
 ランは椅子から立ち上がり、窓のカーテンを開けた。夕日が沈もうとする瞬間で、小高い丘と林しかない辺りをオレンジ色に染めていた。
「どうするの?」
 ナツが聞くと同時に、ランは窓際のボタンを押した。
 途端に家中が揺れ始めた。
「なんだ。どうしたんだ」
「こうするしかないんだ」
 家は地震のように大きく揺れ、ナツは叫び声を上げながら、慌ててテーブルの下に入った。
「なにをしたんだ」
 瓶とグラスは倒れ、そこら中にせっかくの麦酒がまき散らされた。壁時計は激しく左右に揺れている。
「ほら、ここから外を見て、ナツ。そんなところに入っていないで」
 ランは柱に捕まりながら窓の外を見ていた。
「ラン、大丈夫か、君は正気か?」
「まったくもって正気。ナツ、君の方がどう見てもうろたえている」
 ナツはテーブルの下から這い出し、どうにか立ち上がってランのいる傍に立った。
「な、なんだ、これは――」
 家ごと宙に浮いている。
 いや、浮いているのではなく、大地から切り離されて、浮かぶように上昇している。
 夕日に染まった大地と森と、その周辺を飛ぶ鳥達が徐々に下方へと遠ざかっている。
「船出するんじゃなかったのか」
 ナツは青ざめていた。
「だから、これが船出だよ」
「建物ごと?」
 ランはうなずく。
「工房の人々は全て了承済みだから」
「ちょっと待って、君は独り者だからいいけど、俺の妻と子供はどうするの」
 ナツが言った時、ランが腰にぶら下げていたラッパを取り、大きな音で鳴らした。
 すると、大きな荷物を背負って子供二人を連れた女性が隣の部屋から出てきた。
「マヤ、トキ、モモ」
 ナツが叫んだ。顔面蒼白。尻もちもついた。
「あなた、絶対に反対すると思ったから、今まで言わなかったの。ランに誘われて、それで、結局、本当に出立するまでは黙っていた」
 女性は緊張が解きほぐれたのか、それとも恐怖からか、その場によろよろと座り込んだ。
「ママ」
 まだ小さな子供が女性の横にしゃがみこみ、ナツは慌ててよろけながら駆け寄った。
「マヤ。大丈夫か。ラン、なんてことしやがる」
 今にも怒り出しそうなナツの腕をマヤは掴み、
「あなた、ランに誘われたと言ったけど、実際には私が頼んだのよ。一度出奔したら、数年は帰ってこないだろうから、私、そんなの嫌だと思って」
 必死に訴えた。
「子供たちの学校はどうするんだ」
「学校なんてどうでもいいわ」
「どうでもいいって、お前――」
 しばしの沈黙の後、ナツもマヤの横に力なく座りこんだ。

 つづく。
 

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