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連載小説 星のクラフト 1章 #3

↓昨年(2022年8月)に引き下ろした物語のリンク

↓本日の推敲バージョン

「いいえ、そうではなくて――」
 話し始めた彼女の唇にはクリームのようなものが付いていた。やはり文字通り、ケーキを食べ過ぎた人ではないか? クリームの下にはイチゴジャム。よく見ると、瞼にもブルーベリーソースの跡が着いている。まさか瞳でケーキを食べたりはするまいが。ソースの着いた手で目をこすったのだろうか。
「そうではなくて?」
「私はケーキなど食べてはいません」
 泣きじゃくりながらも唇を尖らせて不快そうな表情をした。
 私はその表情を見て、ハッとした。
 ――これは地球に棲息する人類ではないのではないか。
 地球に棲息するものであれば、皮膚の上に一枚の覆いがある。それは蝉の羽根よりも薄いがビニールよりも頑丈な膜で、人それぞれに色が違って見えるものだ。彼らは目の前に立つ相手によってカメレオンのごとく色は変化し、光ったりどす黒く澱んだりするのだ。
 しかし、彼女にはその覆いがなかった。夕刻だったから見えなかっただけとは言い切れないほど、皮膚は外界に対して剥き出しで、何も被せられていない輪郭が都会の風をまともに受けている。
 彼女の後ろに束ねた髪からは真夏に熟す青い実の香りがする。やはりこれも地球人のものではない。あの青い実はとある星の海辺でだけに生息する樹木のものなのだから。
 地球人に対しては厳格すぎるほどの警戒心を持つ私も、彼女に対しては驚くほど無防備になって、一ミリも迷うことなく速やかに接近した。

「でも、さっき、帰るための鳥の形を無くしてしまったと言いませんでしたか」
「それとケーキにどんな関係があるのです?」
 ぎゅっと黒目を寄せて私を睨んだ。
「だって、ケーキを食べたら、鳥の形は失われてしまうとこの星では決まっているのだから」
 黒目の圧力にひるんで、私はその場しのぎの出まかせを口走った。
「食べていないったら、食べていないのよお」
 両手を下に押し下げ、地団駄を踏むまでして大声で鳴き始めた。道行く人が私と彼女をじろじろと見ながら通り過ぎていく。
「ちょっと、そんなに泣かないでください」
 ――子供だったのか。
 慌ててなだめ、背筋を伸ばし、「その鳥の形とはどういうものですか」真面目な調子を装って尋ねた。
「さっきケーキを食べたら失われるとか言ったくせに、鳥の形について知らないとでも言うの」
 子供みたいに見えるが、矛盾点を見逃すことはなかった。
「ごめんなさい。あれは冗談でした」
 許しを請うために精一杯の愛嬌を携えた笑顔を作って見せたが、そんな笑顔などに効果はなく、彼女はもっと大きな声で泣き始めた。
「だまされたわ。ひどいわ、ひどすぎる。こんな目に遭うなんて。鳥の形を無くしただけはなく――」
 手の甲でごしごしと涙をぬぐい始めた。瞼に着いたブルーベリーソースがますます拡がって頬の辺りまで汚す。
 どうしようもなくなって、彼女の手を取って近くの公園のベンチに連れていき、泣いている理由について、もっと真剣に聞いてみることにした。
 ――いったいどうしたことなのか。

 もうすぐ日が暮れる公園では街灯が灯り始め、権力を誇示しようとするカラスたちが激しく鳴いて、辺り一帯を威嚇しながら木の上を飛び回っている。それを気にもかけずに犬の散歩をする人やランニングをする人が行き交い、時々は私と彼女の方にちらりと眼をやるものの、関わり合いたくないらしく何も言わずに通り過ぎていった。
 彼女はベンチに座ると、しゃくりあげつつも、どうにか泣き止んだ。
「鳥の形って、どういうもの?」
 私は頭の上を飛び交うカラスを見て、鳥と言ってもカラスと雀では随分と形が違うだろうと考えた。
「それに乗ってきたのよ。鳥の形に乗って」
 唇をへの字に曲げ、眉を八の字にしてまた泣き出しそうな表情をした。結局、「鳥の形」としか言わない。
「青い実の成る星からだね」
 質問を変えてみた。
「どうして知ってるの?」
 突然、背筋を伸ばして私を見た。
 ――やはり、そうか。
「知っているとも。私もそこから来たのだから」
 彼女の顔を覗き込むと、
「本当に?」
 一瞬で表情が晴れ渡った。日暮れ時の涼やかな風が吹いて、彼女の髪からはより一層強く青い実の香りがした。
 私は頷き、
「ある方法でその星を経由してこの星にやって来て、それ以来、ある方法でずっと滞在している。でも、まさかあの星から来た人とここで遭遇するとは思わなかった」
 冗談抜きで言った。
 これまで素性に関しては、誰に対してもずっと隠していた。でも彼女に対しては隠す必要もないだろう。おそらく嘘ではなく、彼女はあの星から来た存在であり、羽根を無くした堕天使のように帰れなくなっているのだから。
「それにしても、どうして、ここに来たの?」
 私は明確な理由をもってここに来たのだが、彼女にもそんなものがあるだろうか。
「偶然よ」
 絶望的な様子で肩を落として地面を見つめ、忌々しそうに雑草を靴裏で蹴っている。
「やっぱりか」
「どうして、やっぱりなの?」
「理由があって来たのなら、街角で泣いたりはしないでしょう」
 私が言うと、彼女はそれはそうねと初めて素直に同意し、鞄からハンカチを取り出して、顔中の涙と鼻水を思いっきり強くぬぐい去った。

つづく。

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