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解読 ボウヤ書店の使命 ㉕-38

長編小説『路地裏の花屋』読み直しつづき。

《―ある夏の昼下がり。
 奈々子はトンボ棚の部屋で月に一回の整理をしていた。継続の申し込み期限が切れた管理ナンバーリストを見ながら一致する棚を探し、棚に置いてある箱を取り出してはテーブルに置いていく。その日片付けるのは五つのクリスタルガラスで、連絡があったものが四つ、連絡のないまま期限をひと月過ぎたので自動解約するものが一つだった。
 その日、いよいよ契約終了となる箱をテーブルの上に置いて、中からクリスタルガラスを取り出して並べると、それぞれが蛍光灯の光を反射してプリズムを作り出し、整理をしている奈々子を包むように煌めいていた。彼女は目を細めて眺め、私こそ癒される、眩しすぎるほどよ、と小さく呟く。一年前に来た木花蓮二朗というクライアントのことを思い出す。

――この棚に仕舞ってあるクリスタルガラスを一度全部取り出して、テーブルの上に積み上げてみたいと思われませんか。そうすると、この天井や棚や床に、一斉にこの虹のような光を創り出すでしょう。そう考えると仕舞っておくなんてもったいないですね。ねえ、先生、きっとそれは、驚くほど美しいでしょう――

 彼の言う通りだわ。
 浄化しようと取り出したクリスタルガラスのひとつは鉛筆を象ったもので、これを求めたクライアントは妻を亡くした喪失感に苦しむ五十代の男性だった。三年間契約の継続があり、四年目に解約の連絡が入って、暇を見てガラス細工を取りに行くと言ったがその後何か月も連絡はなかった。新しい彼女でも見つかったかしらと思って静かに微笑む。クライアントが取りに来なくても、ご本人の身に何かあったのだろうかとは考えないことにしている。二百個もあるのだ。ひとつひとつ気にしていては身が持たない。いずれにしても、クライアントはこのガラス細工が代行した苦悩からは解放されたのだろうから、そこで奈々子の役目は終わりだ。そう言えば、この男性はどうして鉛筆の形のガラスを選んだのかを教えてくれなかった。別に知りたいとも思わない。思わないようにしている。
 もうひとつのクリスタルガラスはブランデーグラス。幼馴染に恋人を盗られた女子大生だった。あの時、クライアントの女子大生は「乗り越えたら、このブランデーグラスでヘネシーを飲みます」と言ったけれど、二年間の契約後、継続終了の連絡があった時には、「ガラス細工のグラスは捨ててください」と言った。新しい恋人が出来たと言う。そうなると昔の恋愛なんて思い出したくもないのだろう。奈々子は言われたように庭で割ってしまうことにする。
 三つ目は銀杏の葉を象ったもの。飼い始めたばかりの小犬が散歩の途中でいなくなってしまった四十代の主婦で、銀杏の木の下に小犬を繋いでコンビニに入り買い物をしている間に、括り付けていた紐が解けて迷子になったまま帰ってこなかった。いなくなった犬の事よりも、そのことで娘が口を利いてくれなくなったことがショックなのだった。ところが数か月で小犬は発見され(近くのマンションの老人がこっそり持ち去って飼っていたのがばれたらしい)、トンボ棚の方は一年経たないまま契約終了となった。賃料を月割りで返して欲しいと言うので、規約には反するけれど数日前に振り込んだところだ。お金は返して欲しいが銀杏のガラス細工は要らないと言った。何か汚らわしいものとは縁を切らなくてはといった尖った口調だったが、それも別に珍しくはない。悲しみを厭わしく思う人は、癒えた後、その痕跡をも憎むことはよくある。

 四つ目は、手のひらほどの大きさの立方体。これを希望したのは十二歳の少年で、母親に連れられてカウンセリングルームに来たがほとんどしゃべらなかった。母親が「それでは息子の代わりにお話します」と言って、少年に関する悩みと少年の長所や短所を滔々と並べ立てている間、彼は黙りつづけて、最後に無表情なまま「これが僕の悩みです。ね、分かるでしょ?」と奈々子に言い、顎で母親の方を示した。奈々子がクリスタルガラスの説明をすると少年の方が興味を示し、あまり乗り気ではない母親を押し切って、一年でもいいからやってみたいと言った。最終的には「この子が自分から何かをやりたいと言ったのは初めてです」と母親が喜び契約することになった。少年はたくさんあるクリスタルガラスの中からすぐに立方体を取り出した。選んだ理由は「似ているから」だった。「何に?」と聞くと、また顎で母親の方を指した。その仕草や言葉に母親は全く気付いた様子はなく、どうして息子が立方体を選んだのかについて深く考えもしないようだった。五年経って、もう少年とは言えなくなった彼から連絡があり解約したいと申し出があった。理由は、「母はもう丸くなったんで」ということだった。あの時、癒しが必要だったのは母親の方で、十二歳の少年が付き添いだったのかと気付かされる。結局母親自身の悩みが何だったのかは分からないけれど。ガラス細工は返さなくていいと言うのでこれもクレンジングの対象となる。
 さて、最後の五つ目。ただ一つ連絡のないまま解約になろうとしているものは「ハーキマーダイヤモンド」という名前のクリスタルガラスだった。このままであれば「ハーキマーダイヤモンド」を模したクリスタルガラスもクレンジングして次の顧客を待つことになるのだが、見れば見るほど次の顧客など現われるだろうかと考えてしまう。透き通ってはいるけれどどうみてもただの石ころだった。木花蓮二朗というクライアントが「悩みを話すことは憚られるけれど、あなたのトンボ棚を利用したい」と言い出して契約となったもの。蓮二朗はハーキマーダイヤモンドの実物を持ってきて、これと同じ形をガラス屋に注文し作ってもらいたいと言い出したのだった。石には何かの効力があると言った。巷でパワーストーンと呼ばれているものだろう。あの時、蓮二朗に、
「クリスタルガラスは石ではなく硝子ですから、これを象っても同じ効力は出ませんし、こういうのも失礼ですが形だけでしたら石ころみたいな置物が出来てしまうだけですよ」
 と説明した。
 石は透き通って美しいとは思ったが、形としては平凡な石ころでしかない。クリスタルガラスにはパワーストーンが携えていると言われる効果のようなものもないし、形こそが存在意義のほとんどだからそのような置物は意味がないような気がした。だから率直に言ったのだが、
「むしろ、わざわざ、そういう石ころみたいなものを作って欲しいのです」
 蓮二朗は頑として言い張った。「岩を含めて、世の中にある石と呼べるものの中で、そういったなんでもない石ころ、けんぱをするために子どもが路地裏で探して拾うような石ころが何よりも好きでして、塊と聞けばあれを思い出します。大きなものなんかよりも、小さく身を縮めているあの道端に転がる石の方が、実にうまく塊という概念を造形的に表現しておると私は考えております。料金は割高にして頂いて結構ですので」
「承知の上ということであれば私の方ではお断りする理由もございませんから」
 引き下がる様子はなかったので申し出をそのまま承諾したのだった。
 当時の蓮二朗の要望で本物のハーキマーダイヤモンドとクリスタルガラスで象ったものの両方を一緒に保存しておいたために、整理しようとした時、目の前には二つの透き通った石が並ぶことになった。あの時蓮二朗は、もしも私が取りに来なければ両方とも差し上げます、と言ったのだから貰っておいてもよいのだが、なんとなく薄気味悪いような気がした。どうにかして返したいと思う。そっくりな透明の石ころ二つ。
 どうしようかしらと、そのうちのひとつを手のひらに乗せ眺めているうちに、はっとした。テーブルの上のものと見比べる。一体どっちが本物のハーキマーダイヤモンドで、どっちがクリスタルガラスだったかがわからなくなっていた。あまりにもそっくりだ。特注してまで作ったのだから契約が終了すれば当然彼は取りに来るのだろうと思い込み、本人ならば違いを見分けられるのだろうと決めつけて判別用の印もつけなかった。蛍光灯の光を透かして傾け、蓮二朗に教わった通りプリズムを導き出してその具合を確かめたが、どうにも、その二つはほとんど同じに見えた。
 いずれにしても、テーブルの上に五つのクリスタルガラスと一つのハーキマーダイヤモンドが役目を終えて静かに並んでいた。明日満月光に晒して仕上げるために、その日は浄化水の中に漬けた後、シルクの布で丁寧に拭いていった。》

つづく。

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