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星のクラフト 6章(全体つなぎ・肉付け)最後尾にあらすじ掲載

「この絵画を見て、どう思うか」
 司令長官はランに0次元の製作場であった建物の絵を手渡した。
「どう思うか、というのは?」
 ランは絵と司令長官を交互に見た。早朝から急に部屋に呼び出したりして、司令長官は一体何を言い出すのか。
「君たちがパーツ製作をしていた建物はこの21次元では崩壊し、あたかも思い出のように一枚の絵画になってしまった」
 司令長官はホテルの厨房から届けられたコーヒーポットの取っ手を自ら握りしめて持ち上げ、二つのカップに注ぎ、ランにも勧めた後、自身でも一口飲んだ。「絵をよく見てごらん」
 絵画は淡い色彩で描かれている。画材はわからない。パステルのようにも見えるし、水彩絵の具のようにも見えるが、どちらでもないだろう。0次元の残像が21次元の場に念写されたようなものだ。
「僕はまだ21次元というものをよく理解できていませんが、下位次元のものが上位次元に表象する時にはこのようなものではないですか」
 絵画になってしまった建物を見ても懐かしさすらない。そもそも建物にはなんの愛着もなかった。この中身である人々や製作物は全て21次元に来ることができたのだ。それで充分だ。
「それはそうだろうが、右側のガラス窓の横に、あるべきものがないと思わないか」
「あるべきものとは?」
 ランは眼を凝らして絵画を見つめた。
「そのガラスには船体室の空気孔と、船体が飛行するまでは接続しているチューブ類が畳み込まれている鉄製の入れ物があるはずだ」
 よく見ると、確かに、ない。
「描き忘れたのではないでしょうか」
 念写のようなものだと言っても、絵画だから、誰かが写生して描いたものだと思っていた。
「さきほど君が言った通り、これは誰かが描いたものではなく、0次元の記憶が21次元に表象として現れたものだ。念写だね。0次元の法則とは形式の異なる写真と言ってもいいだろう」
「では、空気孔とチューブ入れは誰の記憶にもなかったので、念写されなかったのではないでしょうか」
 ラン自身、それほど記憶にない。
「ここで言っているのは個人的な記憶ではない。場の記憶だ。そして、破壊のタイミングで現れたからには、建物が消える直前の記憶が投射されているはずだろう。そうでなければ、あの瞬間にこれが落ちているわけがない」
 司令長官は珈琲を啜った。「これが、それ以前に建物を撮影したものだ。これは司令部からの高性能望遠鏡で撮影した現実的な写真。念写などではない」
 ランは一枚の写真を受け取り、絵画と見比べる。
「確かに、写真にはあるのに、念写によって作られた絵画でははっきりと、空気孔とチューブ入れが抜け落ちていますね」
 見比べると違いは歴然としている。
「それだけではない。その窓に描き込まれるはずの船体の姿が皆無だ。念写だとしたら、うすぼんやりとしか見えないのは当たり前だが、皆無とはいかがなものか。他の窓には電灯や棚とおぼしきものがうっすらとでも残っているのに」
 司令長官は絵画に描かれた窓の辺りを指した。太い指先がわずかに震えている。
「それは、そうですね」
 納得しないわけにはいかない。「船体は破壊されずに、0次元に残されてしまったのではないですか。残っているものは21次元の絵画に投影されない、とか」
「それはない。あの後、すぐに、やはり高性能望遠鏡で0次元を偵察した。船体が残っている様子はない」
「それならいいのではないですか」
 ランは司令長官の狼狽ぶりに驚いていた。
「よくない!」
 長官は声を強くした。
「何が、そんなに――」
 ランが言おうとすると、
「もういい。帰ってよし」
 声を荒げて命令した。
「長官、わかりました。戻ります。絵画の異変について、心にとめておきます」
 ランは頭を下げ、司令長官の部屋を後にした。

 どうして絵画の中には船体の姿が皆無なのか。船体に接続している空気孔や燃料チューブも念写されなかったのか。
 自室に戻ってからも、ランは司令長官から言われたことを考え続けていた。
 ――もしかして。
 自身の手のひらを見る。二の腕、ふくらはぎ、太もも、腹。
 ――あり得ないと思うが。
 金庫に仕舞い込んでいる船体の鍵を握りしめた感触を想起する。そして、鍵がソファに接続して、窓から体ごと飛び出して飛行した日のことを思い出す。気付くと暗闇の中に居て、どうにか暗闇から外に出ると司令長官の部屋に居た。あの時は司令長官がシャワー中だったから助かったが、もしもリビングでくつろぎでもしていたら、あっという間に見つかって大変なことになっただろう。
 あの暗闇はと言えば、絵画と共にもたらされたオブジェの中だった。両掌分程度の小さなサイズのものの中に、自身の身体が入ったとは信じられないが、21次元ともなれば、不思議の国のアリスよろしく、大きくなったり小さくなったりすることができるのだろうか。クラビスなどは鳥であるインディ・チエムになることすらあるという。
 ――僕は、鍵を接続すると、ひょっとして。
 再び掌を見る。
 ――クラビスがインディ・チエムになるように、僕もあの船体になる。
 あり得ないと思いたいが、ソファを介してではあるもの、誤って身体に鍵を接続した日に街を飛行したのは事実だ。司令長官の部屋にあるオブジェの中に突入した出来事を自分なりに咀嚼するためには、そう考えるのが最も理に適ったことだった。
 ――でも、どうして行先がオブジェに?
 あのオブジェは「帰還」を物質化したものかもしれない。どのような旅も必ず成功する、そして、その成功とは帰還のことだと、パーツ製作員たちの前で演説した日のことを思い出した。ラン自身の言葉が物質化したのか? 製作員たちを鼓舞したのは、日数としてはそれほど前のことではないが、遠い過去のようだ。
 0次元の中で発生した概念である「帰還」は、確かにあのオブジェに似た家屋へと戻ることをイメージさせる。屋根があり、壁がある家屋。実際、ナツと二人で船体に乗り込んで宇宙に飛び出した時でも、帰還する時には船体室のあるあの建築物を目指していた。「帰還」が脳の中で「家屋」と結合していたのだ。
 ――しかし、もうあの建物はない。
 絵画になってしまったのだ。それでも概念としての「帰還」だけは未練がましく物質化したのか。
 ランは金庫の中にある鍵を、今度は直接自身に装着することを想像してみた。身体は船体となり、どこかを目指して宇宙飛行する。でも、ランの究極的な成功とは「帰還」だから、どんなに遠くを目指したとしても、あのオブジェの中に引き戻されたしまうのだ。
 リオの鍵はどうだろう。今はクラビスが預かっているリオの鍵。あの鍵をリオに接続すると、リオもあのオブジェへと向かうのだろうか。身体測定や血液検査、DNA検査をしてまで特注されたリオだけの鍵。もちろん、かつてはリオなりの帰る場所を持っていたはずだが、もしかすると、今、この場所でリオがあの鍵を装着すると、あのオブジェへと飛び込んいくのかもしれない。あのオブジェだけが「帰還」を代表しているのだ。
 おそらく、あのオブジェには磁力が効いている。あらゆるものの最終目的地が帰還する家屋なのだとすれば、概念の物質化したオブジェへと突入する。ある意味ではブラックホールと言えるのかもしれない。
 ――それにしても。
 あの鍵はランのために特注されたものではないはずだ。船体の鍵だ。
 ――いや、待てよ。
 ランはこの任務に就く前のことを思い出した。健康診断と称して、血液の採取、CT撮影、DNA診断、細部に至る身体測定が行われた。
 ――あの鍵は僕専用の?
 だとしたら、これまでの船体での旅は、ランそのものの飛行だったのか。船体は身体保護の為に作られた単なる甲冑。ランが鍵を持ち出したために、船体の機能は0次元で粉砕されたりはしなかった。鍵が機能を確保しているのだ。0次元の建物と船体とこの身体を接続していた空気孔とチューブ類はランの体内に還元され、複雑な次元間接続を乗り越えて船体の機能を保持した。
 ――まさか。
 両腕で自身の身体を抱きしめた。
 0次元から21次元へと生まれ出たのだ。
 ランは自身の身体をゆるく抱きしめた。だとしたら、あの0次元の建物は子宮のようなものだ。へその緒としてのチューブは切り取られたが、それらは体内に取り込まれ、自家発電する生命を持つ船体として生まれ変わった。しかし、今のままでは、あの鍵を使ってどのように飛行しようとも、あのオブジェの中に戻ってしまう。
 ――どうすればいいか。
 ソファに寝転び、天井を見つめながらぼんやりと考え、突如として
「そうだ!」
 口に出して言い、飛び起きた。
 すぐにスマートフォンを取り出し、司令長官宛てにメッセージを送った。
《お願いがあります。オブジェをしばらくお貸しいただけませんか。》
 数分後
《どうして》
 と返信がある。
《0次元での出来事を思い出しながら、検証してみたいのです。》
《何を?》
《そのオブジェが表すものが一体なになのかを、です。》
 しばらく間を置き、
《わかった。今部屋に居る。取りに来ていい。》
 許可が下りた。

 オブジェを自室に持ち帰ったランは、テーブルの上に置いてまじまじと眺めた。
 ――これが「帰還」か。
 パッと見たところ、どうということもない家屋の模型に過ぎないが、「帰還」だとの認識の上でよくよく見てみると、当を得ていると思える。豪華すぎず、貧相すぎず、四面がしっかりと囲まれていて、暖かそうだ。すっぽりと保護される気がする。
 ――こんな場所、僕にはなかった。
  *
 ランは地球で生まれたが、地球探索要員として育てられた。
 他の星から訪れた地球探索要員は、時期がくればその記憶は消されて地球用の過去の記憶を装填される決まりになっているが、時々、その工程が失敗したまま、地球探索要員として育てられた過去を隠して生きている存在がいる。クラビスもそうだと言った。クラビスはインディ・チエムを介してそのようなことが可能となったらしいが、他にもなんらかの不手際、あるいは幸運でそうなった人々が地球内で連帯している。ランはその連帯組織の中で生まれたのだ。そして、育った。
 誰が正式な親なのかわからない。もはやわからなくていいと思っていた。だから自由なのだと考えることにした。定住すべき義務もなければ、愛情に縛られることもない。
 地球探索要員たちがそこで生まれた子供たちに施す教育は、結局のところ、地球探索要員になるべき教育でしかなかった。なので、ランは真の地球人たちと交わって仕事をするのは困難で、主に地球探索要員たちの仕事を手伝っていたところ、宇宙飛行士の任務が舞い降りてきた。その職務につくはずだった存在が失踪してしまったので、その存在に成り済まし、何食わぬ顔で任務に就くようにと連帯組織から言われた。
 最初は専用の訓練も受けていないのに無理だろうと断ったが、誰だって専用の訓練など受けないのだと説得され、引き受けることにした。連帯組織が何人もの人を生活させるだけの財力を持っているわけではない。ランのように、連帯組織内で偶発的に生まれる「地球生まれの地球探索要員」は増える一方だったのだ。
  *
 しばらくオブジェを眺めた後、ランは一人でホテルの外に出た。森の小道を歩き、何か使えるものは落ちていないかと探した。
 司令長官に返すための、「本物とそっくりな偽オブジェ」を製作することにしたのだった。

 オブジェは主に木で出来ていた。薄く切って板になったもの、角材を裁断したもの、樹木の皮、楊枝のごとく細い棒。
 森が豊だったから、あっという間に見つかるだろうと考えていたが、それは全くの誤算だった。風に吹き飛ばされて落ちてきた枝や、剥ぎ取られた樹木の皮は豊富にあったが、人工的に用意された板や角材、楊枝はない。
 ランは地面や樹木の上方をじろじろと眺めながら、びっしりと落ち葉の積もっている林の中まで歩き回ったが、一時間経ってもこれといった成果はなかった。
 気付くとずいぶんと森の奥まで到達していて、これ以上行くと、ホテルの屋根上に掲げられた紋章が見えなくなるところまで来ていた。
 ――道に迷ってもいけない。
 振り返ると、すでにどの方角から来たのかわからなくなりそうで、恐怖心が芽生えた。ささかな恐怖心のようだが、身体全てが凍り付きそうで、自身でも血の気が引くのに気付いた。
 ――森というのは、侮れないな。
 21次元では完璧にコントロールされているとしても、歩道を逸れて歩く人のことまでは想定していない。21次元であっても、歩道からはみ出して歩くのならば、それは0次元地球の野生の森と同じだ。
 ――あぶなかったな。 
 反省し、どうにか戻れそうな位置で折り返そうとした自身の気付きに感謝し、帰路に着こうと一歩進めたところで、甲高い鳥の鳴き声を聞いた。
 ――インディ・チエム?
 即座にそう思った。一度聞いたら忘れられない、心の真ん中をハッとさせる切ない響き。
 立ち止まり、樹上を見上げると、葉が激しく揺れる場所があった。どうやら、そこに鳥がいるらしい。
「インディ・チエム?」
 ランは鳥に向かって呼び掛けた。それに応えるかのように、また甲高く、透き通った響きで鳴いた。そして、帰路の方角に向かって素早く飛行し、数メートル先の樹木に止まる。
「案内してくれるのか」
 ランは微笑んだ。ホテルの紋章を目指していれば、大幅に迷うことはないはずだが、インディ・チエムが導いてくれるのなら心強い。
 少しずつ先に飛ぶインディ・チエムの後を辿るようにして、ランは森の中に作られた人工的な歩道に出た。少し先には、あの盗聴機構から逃れている樹下のテーブルがある。インディ・チエムはそこまで飛び、テーブルの角に止まって、柔らかな声でこちらを呼ぶように囀った。
「ありがとう、インディ・チエム」
 テーブルまで歩いていくと、インディ・チエムはその上の樹木の枝に飛んで逃げ、わざわざ導いてくれる親切心にはそぐわない、厳重過ぎる警戒心を剥き出しにした。
 ――クラビスにしか懐かないのか。
 樹木は濃い緑で、そこにいつまでもクリーム色の鳥が止まっているのは危険な気もした。
「インディ・チエム。おいで」
 手を伸ばし、呼び掛けても、テーブルには降りてこない。
 ふいに、テーブルに人の影が横切った。 
「インディ・チエムは警戒心が強くてね」
 後ろから声が聞こえる。見ると、クラビスだった。
「クラビス。居たのか」
「僕がインディ・チエムに案内するように頼んだのですよ。散歩をしていると、ラン隊長が小道から外れて林の中に入っていくのが見えましたのでね。ややもすると、ラン隊長はもっと森の奥に入って行きそうに見えたから」
「もう隊長と言うのはやめてくれよ」
 ランはむっとした。「任務は終わった」
「わかりました。呼び捨てでいいのでしょうか」
「そう。ランと、それでいい」
「では、ラン様、何か探していらっしゃったようですが」
 まだ様を付けているが、すぐに呼び捨ても難しいのだろう。
「作りたいものがあってね。その材料が落ちていないかと探していた」
 嘘をつく必要もない。
「どのような材料?」
「薄い板や、角材、極細に削ってあるもの」
「そんなものは、この森に落ちていませんよ」
 クラビスが笑いながら言うと、インディ・チエムもクククと囀る。
「探し始めてやっとわかりましたが、それはそうでした。この森は0次元よりもむしろ、ゴミのない、人間のいない本格的な森を演出してあるらしい」
 癪に障るが仕方がない。
「どうして、そのように人工的な材料が必要なのでしょう」
 クラビスは笑うのを止めた。
「オブジェ、見ただろう? 0次元の建物が崩壊した後に突如として現れた絵画と共にもたらされた、あのオブジェ。あれと同じものをそっくりに作りたくてね」
「どうして?」
「理由は聞かないでくれ。いつか話すが、まだ話す段階ではない。それより、そういった人工的な木材を手に入れる場所を知らないかな。知らないだろうね、クラビスもここに来たばかりなのだから」
 ランはイラついてテーブル板を指でコツコツと叩いた。
「ありますよ、手に入る場所。お連れしましょうか」
 クラビスが言うと、インディ・チエムが興奮したかのように鳴いた。
「あるのか。どこに?」
「森の奥です。僕はここに来てから数日間いなかったでしょう? あのバスルームに《名前》と書いて姿を消していた間。あの時、この辺りを散策していました。インディ・チエムがいれば怖くないから、森の奥まで行ってみました。そこに、仰っているものはありますよ」
「今からでも行けるのか」
「もちろん」
 そう言うが早いか、クラビスは立ち上がった。

 肩にインディ・チエムを乗せたクラビスは、さきほどランが歩いて行った方向とは逆側へと歩き始めた。
「その方向に行くと、林はすぐになくなり、すぐにホテルの駐車場に出そうだが」
 後に付いて歩きながら、太陽や方角を確認する。
「途中で降ります」
「降りる?」
「すぐにそのポイントに辿り着きますから」
 インディ・チエムは肩に止まったまま、羽根を緩く羽ばたかせた。
 五分も歩くと、林の中に切り株があり、《中心から5キロ》と彫り込んであった。クラビスはそこで立ち止まり、しゃがみ込んで
「これが目印」
 切り株の端をそっと指で触れる。「中心については後でわかります」
「それで、どこから、”降りる”の?」
 辺りは白樺に似た細長くまだら模様の幹をもつ樹木が延々と生えていた。
「この切り株の《中心から五キロ》をまっすぐに読める位置に立ち、そこから向こうに三本目の木の下です」
 クラビスはその位置に立ち、まっすぐ向こうに指を向けた。インディ・チエムは弱く金属の振動音に似た音を発している。まるで虫の羽音のようだ。
 ランはクラビスの指す方に向かって歩いた。
 ――まず一本、二本、三本目。
「この木?」
「そうです。その木の根元を見てください」
 クラビスも落ち葉を踏みしめながら近づいてきた。そしてしゃがみ込み、掌で積もった枯葉を掻き出し、土を露わにさせていく。インディ・チエムはその木の枝に止まり、二人を見下ろしている。
「ひょっとして地下?」
 ランも手伝い、枯葉を避けていく。小さなマルムシが居て驚かされつつも、作業の手を止めずに進めると、ほとんど土だけになったところで、何か固いものが指先に当たった。
「板?」
 指の腹で撫でてみた。つるつるしている。
「板上のものがあります」
 クラビスはまだまだ不十分といった様子で、休まずに枯葉を払いのけ、露わになった土も掘り始めた。
「土も?」
「そうです。土も」
 まもなく、ガラス板が現れた。
「ガラスか」
 ランは船体室を思い出した。「まるで、――」
 言い掛けると、
「船体室みたい、でしょう?」
 クラビスが土を掘る手を止めて言う。頬に土が付着して黒く汚れていた。
「そう、船体室みたいだなと思って。あの、破壊されてしまった――」
「いや、どうかな。まさに船体室、だと思いますが」
 手の甲で拭ったので、クラビスの頬はさらに土が付着し、いたずらをした子供のように見えた。
「船体室? もう崩れ落ちたのでは?」
「そう思ったのですが、どう見ても、この地下にあるものは船体室です」
 一メートル四方程度分の土が避けられると、クラビスはポケットからスマートフォンを取り出し、電灯機能を使って内部を照らした。
「ほら、どうですか」
 促されて覗くと、確かに船体室に見える。船体を設置する台とその台に上がるための階段、部屋の隅にある荷物を置く棚。
「どうして、ここに?」
「わかりません。インディ・チエムの誘導に従って歩き、インディ・チエムの仕草に従って枯葉と土を避けると、これが出現した」
「でも、船体はない」
「そうです。それが問題です」
 クラビスはランをじっと見た。
 その目に見据えられ、ランは自身が船体そのものになったのではないかと考えたことを思い出した。それは鍵を持ち出し、その鍵で飛行したから。いや、そもそも船体は自身の甲冑だったにすぎず、自分こそは鍵を使えば飛行する身体の持ち主ではないかと思えたのだった。
 ――地球で生まれたけれど、地球人ではないから。
 長年、ランの人生を苦しめてきたプロフィールが、そう信じ込ませるだけの力を持ったのだった。
「で、僕が探している、オブジェの材料は?」
 当初の目的を思い出した。
「ここから四十メートル離れたところに建物自体の屋根があります。その先っぽにスイッチがあり、それを押すと、このガラス板が外れて、下に降りる階段が現れる」
「どういうこと?」
「どういうことって、階段を下りていけば、パーツ製作員たちがパーツを作っていた工房に行くことができます。そこには、角材もベニア板も、なんでもありますよ」
 クラビスは薄く微笑んだ。「私は21次元とやらに上がって来てから、インディ・チエムの導きでここに辿り着き、さきほど申し上げた通り枯葉と土を払いのけて、手順通りにガラスの板を外し、中に入って、しばらく過ごしました。はっきりと確認しました。これは、私達が居たあの建物です」

 森の地下にあのパーツ製造工場があるのだという。司令長官の言う通りここが21次元地球だとすれば、21次元地球にとって、0次元の建物はこんな森の土の下にあることになる。
「21次元に到達した時、僕たちがそれまでに居た建物は目前で崩壊したように思ったが」
 ランは土の隙間から顔を出したガラス板から内部を覗いた。
「私も見ました。全員の目前で崩れ落ち、絵画とオブジェに変わり果てたのです」
 クラビスはうなずく。
「この地面の下にある建物は、以前から21次元に保管してあった予備だろうか。つまり、僕たちが居た建物そのものではない」
 ランは眼下の建物には船体がないことも理由となって、自身が居たものだとは信じられなかった。
「私もそう思いました。上部はこのような建物をいくつも製造して、次元間移動のためのプロジェクトに備えているのではないか。私達はその実験のうちのひとつだったのではないか」
 クラビスは肩に降りてきたインディ・チエムの胴体に頬を寄せる。
「きっとそうだね。これは僕たちの居た建物ではない。似ているけれど」
「まずそう思うのが当たり前です。ところが、インディ・チエムと共に下に降りた時、そうではないことがわかった。これは、まさに私達が居た建物だった」
「どうしてわかる?」
「私は真っ先に、私の居た部屋に向かいました。建物ごと宇宙空間へと向かった時、五人部屋に割り振られました。壁の傷や天井の色を確かめれば、まさにあの建物なのかどうかがわかるだろうと思って。工房では仕事に夢中で建物のことなど気にしませんが、プライベート空間となれば、何か思い出せるでしょう」
 クラビスが言うと、インディ・チエムが甘えるかのようにクルルクルルと鳴く。
「見つかったのですか。何か、目印となるものが」
 ランはインディ・チエムが首を傾げる様子を見ていると、この小さな愛らしい鳥の知性に対して信じられない思いがした。どんなに信じられなくても、この建物がある地点にクラビスを導いたのはこのインディ・チエムなのだ。
「目印もなにも、インディ・チエムの羽根が落ちていた」
 クラビスは肩に止まっているインディ・チエムを横目でちらりと見る。
「羽根?」
「そうです。建物の中で他の人が目の前にいる時には、なるべくインディ・チエムは籠の中に入れていました。生き物を嫌がる人もいるからです。でも、誰もいない時には、籠の外に出して、文字通り羽根を伸ばさせていました。籠の中は息苦しいだろうと思って。どうやら、その時に落ちたらしい羽根が一本、床の上にあった」
「偶然でしょうか。ひょっとして、インディ・チエムはわざと一本引き抜いて、目印に置いたのではありませんか」
 ランはもぬけの殻だったクラビスのホテルの居室に忍び込んだ時、クリーム色の羽根が一本落ちていたことを思い出した。それを拾い上げたリオが、これはインディ・チエムのものだと言い、それが決め手となって、間違いなくクラビスの部屋だと断定できたのだった。
「そうかもしれません。気付きませんでした」
 クラビスは虚を突かれた表情をした。
「だとしたら、インディ・チエムは最初から、この建物が崩壊しないこと、崩壊したとしてもなんらかの方法で復活するだろうこと、あるいは、そのような仕掛けになっているかもしれないのを、前もって知っていたことになる」
 ランは柔らかそうなクリーム色の鳥を驚嘆の眼差しで観る。もちろん、まだそうとは決まったわけではない。だが、どのくらい深く、遠くまで知り抜いているのだろうと思うと、なにか果てしなく広大な空を連想させるのだった。インディ・チエムが飛ぶ、広くて青い空。
「どうします? 中に降りてみますか」
 クラビスに言われてぎくりとする。
 森の底。
 行ったことなどない。
「そんなことをして、降りている間に、何者かによって、この蓋が閉じられたとしたら?」
 ぞっとする想像だ。
「じゃあ、私がここに居て、見張っていましょうか」
 クラビスがランの眼を真直ぐに見て言う。
 そう言われてみて、ハッとする。
 それほどこの男のことを信用できるだろうか。
「信用、できませんか」
 見抜かれている。
「信用しているよ」
 嘘であればあるほど、直ちに言葉にすることができる。「でも――」
「でも?」
「そんな危険を冒してまで、ベニヤ板や角材が欲しいわけではないから。今日のところはやめておこう」
「そう仰るのなら、そうしましょう。絶対に危険がないとは言えませんから」
 クラビスは微笑み、インディ・チエムを樹木の枝に止まらせると、ガラス板の上に土をかぶせ始めた。ランも手伝う。土で隠れると、その上に落ち葉を乗せて行く。
 ガラスの板を完全に覆ってしまうと、クラビスはさらに林の奥へと黙って歩き始めた。インディ・チエムは枝から枝へと飛び移りながら、その少し先を行く。道案内しているのだろう。
「どこへ?」
「さっきの地下の建物の屋根の先に当たる場所へ」
「確か、そこにあるスイッチを押すとガラス天井が開くのだったね」
「今回、スイッチを押すつもりはありませんが、場所を教えておきましょう」
 先を急ぐように飛ぶインディ・チエムを追いかけながら、クラビスはランを振り返り、微笑んだ。
 似たような樹木が植えられた林の中を小走りに進んでいると、方角は全くわからなくなる。
「これでは、インディ・チエムがいないと絶対に迷子になる」
 ランは背中に流れる汗を感じていた。
「そう思われるでしょう。でも大丈夫です。樹木の上方に印があります。五メートルごとに青いリボンが結んである。私が結んだのではありません。初めからそうなっていた。つまり、この装置はもう知られているものなのでしょう」
 クラビスは高く伸びる樹木の上を指した。木立の間から降り注ぐ太陽の光が眩しい。
 しばらく行くと、インディ・チエムが樹木に止まり、動かなくなった。
「あの下です。あの、二重に青いリボンが結んである樹木の下」
 クラビスが立ち止まり、額の汗をぬぐって、指さした。「あの下の落ち葉と土を、さきほどと同じように掃いのけてしまえば、工房となっている建物の屋根の位置となる」
「それにしても、樹木が植えられているのに、この地下に建物があるなんて信じられない。根が屋根にしがみついているわけでもないだろうに」
 ランは樹木の根元を見つめた。
「かつて私達が居た建物とつながっているのは、ガラスの天井と、この下にある屋根のスイッチだけです。さっきのガラス板の地点から下に降りてみればすぐにわかりますが、あの建物はそのまま0次元地球につながっています。そして、向こうからはこちら側は見えない。信じられないかもしれませんが、あの建物に降り立ち、二階のガラス窓や一階の窓から見える風景は私達が0次元に居た時と同じものが見える」
「まさか」
 にわかには想像できなかった。
「わかります。私もすぐには信じられなかった。でも、それは本当です。建物の扉から外に出ると、そのまま、かつて居たあの町に出られ、カレンダーや時計があれば、あの町の常識としての時間が今でも流れていることも確認できます」
「じゃあ、どうしてあの時、建物は崩壊したかのように見えたのか!」
 ランはつい声を大きくしてしまう。
「断定できませんが、おそらく映像でしょう」
 クラビスは冷静だった。
「映像?」
「そうです。上部が私達に、もうあの0次元の世界はないのだと信じ込ませるための装置」
「なんのために?」
 ランはとてもそのように落ち着いてはいられなかった。
「わかりません。次の職務に没頭させるためかもしれないし、なんらかの実験かもしれません。私が地球探索要員として育てられ、地球に送り込まれた存在であることは既にお伝えしましたが、悪意ではないものの、地球を探索するために、あるいはもっと住みやすいところへと改変するために、様々な実験が行われているのは事実です」
 クラビスはインディ・チエムに向かって口笛を吹き、腕を差し出して止まるようにと促した。インディ・チエムは従い、甘えるように鳴いた後、腕に止まり、横歩きをして肩まで上った。
「そこまで話してくれていいのか」
 ランはクラビスが包み隠さずにいろいろと話してくれるのが不思議だった。
「あなたも地球人ではないでしょう?」
 クラビスが目をまっすぐに見つめてくる。「あなたは私の仲間だ」
「どうして、それを?」
「いつか話してくれるおつもりだったのでは?」
「それはそうだったが、どうして先に知っているのか」
「見るとわかります。でも、何がどうと教えられるものではありません。地球探索要員としての訓練を受けた時に、見分ける訓練をしました。でも、あなたは地球人ではないにも関わらず、それを見分けることができてはいない。ですから、地球で生まれた異星人だろうと、私の方では判断しています」
 クラビスの瞳が鋭く光を放った。

 コントロールされ尽くした21次元のものとはいえ、森は樹木と土の香りがする。
 ランとクラビスは来た道を折り返すことにした。
「地球外の存在はどうしてそれほどまでに地球に興味があるのかな」
 ランは歩きながら、ずっと誰かと話してみたかったことを口にした。
「謎が多いからでしょう」
 クラビスは樹木の間から差し込まれる光に目を細めつつ歩く。
「謎?」
「地球の人間には様々な感情があるでしょう」
「地球外の存在には感情はないのか」
 ランの育った環境には地球外から来た存在しかいなかった。それでも感情がないと思ったことはない。
「あったとしても単純です。喜怒哀楽。それくらい。そんな私達の単純さについては好ましいと思いますが、複雑なものがどのような形態を持っているのかを知りたいのは当然でしょう」
 クラビスは肩に止まっているインディ・チエムを見て、「ねえ」と同意を求めた。インディ・チエムは首を傾げたままだ。飛び立ち、少し前の枝に止まる。
「地球外の星はどんな風景なのか教えてほしい」
 地球で生まれて地球で育ったランは、地球人ではないものの、地球の風景しか知らない。靴で踏みしめる落ち葉の感触はこの星そのものだ。
「私の生まれた星は殺風景でしたが、これまで中継星として使用されていた青実星は地球に類似していました。みんな青実星を通って地球に来たものです。その目的に合わせて、青実星を地球に似せて作ったのかもしれませんが」
「過去形か」
「前にも話した通り、今、そこでは異変が起きている。星の基盤となっている記憶装置が破壊され、地球に送られてくるべきものが送られてこないし、送られてくるべきではないものが送られている」
「それで、新たな中継星を作ろうとしているのが、今回の司令長官たちのミッションだったな」
 ランは歩を進めつつ、空を見上げた。ふわりと蛾のようなものが飛ぶ。ふと、自身が一体なんのためにこんなことをしているのだろうとの思いがよぎる。司令長官の指示に従って、ずっと仕事をして、その仕事は嫌いではなかったが、自分にとってどんな意味があるのかと考えてみると、よくわからない。
「それにしても、どうして、あの0次元装置には船体がなかったのでしょう。私が21次元に上がってくる前には、船体室にどっかりと鎮座していたのに。単なる装置だとしても、インディ・チエムの羽根が落ちていたことから考えれば、あの装置は現に私達が居た場所であるはずだ。船体がないのはおかしい」
 クラビスが言うと、ランはドキッとした。いっそ、鍵を持ち出してしまったことや、その鍵を自身に身体に接近させると、ラン自体が船体と化して飛行し、あのオブジェの中に舞い戻ってしまうことを話してしまいたかった。
「謎ですね」
 思いに反して、ランは打明けなかった。
 もっとも大事なことは誰にも打明けてはいけない。それがランの育った環境での教訓だった。もちろん、持ち出した鍵がそれに値するかどうかはわからないが、まだ話す時ではないはずだ。
「ところで、リオさんのことをどう思います?」
 クラビスはあらゆる謎を速やかに解決したいようだ。
「どうって?」
 ランにも思うところがあったが、これもまた、打ち明ける気にはなれない。
「リオさんは装飾担当として0次元の工房に派遣された人ですが、みんなで作ったパーツを特殊な箱に入れ、ダウンサイジングし、後で彼女の鍵を使って開ける任務を負っていましたね。変だと思いませんか」
 二人が歩くと、またインディ・チエムが少し前に飛び、枝に止まる。
「変というのは?」
「私たちは21次元に向かう階段を上っている時、誰も、あの0次元の建物が最終的に崩壊することを知らなかった。一度上がってしまってから、作ったパーツを取りに戻ることができると考えていたのです」
 クラビスは鋭い目でランの方を見た。
「それはそうだった」
「それなのに、彼女はラン隊長も知らなかった建物崩壊について知っていたことになります。それを視野に入れて、パーツを箱に仕舞い、ダウンサイジング化し、鍵を閉めた」
 クラビスの言葉に、ランは、「そうだな」と静かに答えた。
「クラビス、そう言えば、工房では彼女と仲良しだったのでは? リオはあなたのことをハルミだと思っていましたが、ハルミは唯一リオとだけ仲良くしていたと言っていたけど」
 ランはひとまず冷静さを保ちたかった。
「ハルミがどうしていたかはわかりません。ハルミは今、インディ・チエムになっているところだろうけれど」
 クラビスは親指と人差し指で輪を作って唇に挟み、息を吹き出して音を鳴らしインディ・チエムを呼ぶ。クリーム色の鳥はから舞い戻ってクラビスの肩に止まった。「ねえ、どうだった、ハルミ」
 インディ・チエムにハルミと呼び掛けるクラビスを見ていると、さすがに地球人とは似ていないと思えた。
「クラビス自身はリオと仲良くした記憶はないのか」
「ありません。装飾担当だったそうだけれど、パーツに装飾なんかしていましたか?」
「それはそうだな」
「実際、居たかどうかもわからない」
 クラビスは落ち葉を蹴飛ばしながら歩いている。
「0次元の工房に?」
「ハルミを知っているのだから0次元には居たのでしょう。でもそれはきっと、工房の外だ。工房を出ると、私はハルミと入れ替わってインディ・チエムになった。だから、彼女が私をハルミだと思っていたのなら、接触は工房の外に違いない」
 ランは0次元工房におけるリオのことを思い出せなかった。上部から派遣されている人がいるのはわかっていたが、その辺りの記憶がぼんやりとしている。
 ――だけど。
「どんな風に、リオを疑っているの?」
 最初に樹木の下で泣いていたリオを思い出すと、全てが演技だったとは思いたくない。
「単純です。上部から0次元に派遣され、21次元に移動する時に、パーツダウンサイジング化して箱に入れ持ち出す。そして、自身の鍵を使って施錠し、鍵と共に司令長官に渡す。それが彼女の任務だったと考えているだけです」
「だけど、鍵を失くした。そうでしたね」
 ランはクラビスの横顔を見た。
「そういうことになっています」
「どういう意味?」
「先日お話した、インディ・チエムが瞬間移動をして司令長官から鍵を盗んだ話は嘘です。インディ・チエムが瞬間移動をして入り込んだのは、リオのリュックの中。つまり、21次元に移動した直後、インディ・チエムは彼女のリュックから鍵を引き出してきました。インディ・チエムはガラスを通り抜けることができるくらいだから、リュックから引っ張り出すことくらい簡単なのです。嘘を伝えてすみません。でも、リオさんには仰らないでください。泥棒だと叱られますから」
 柔らかい風が吹いた。どこで咲いているのか、くちなしの花の香りがする。
「それは、リオがパーツをダウンサイジング化して箱に入れ、鍵を掛けて持ち出したのをインディ・チエムが知っていたから?」
 そう言うと、クラビスはランを横目で見て小さくうなずいた。
「私が先程の0次元装置に降りて行った時、全員で作ったパーツ類はものの見事になくなっていました。私が作った三つの構造物以外は」
「三つの構造物?」
「スケルトン構造で作られたピラミッド型のオブジェ、同じく球体、そして、透明な柔らかい棒状の物体が絡み合う形のオブジェ。設計書通りに作りましたが、あれはダウンサイジング化することはできなかったのでしょう。素材は地球のもので作りましたが、作ったのは私ですから。インディ・チエムが壊れないように上から思念でコーティングを掛けている。私にしてみればちょっとしたこだわり程度のことでした。変形しにくいものを作る。だけど、それは上部組織からすると想定外だったのかもしれません。変形しにくいものを作る人間がいるだなんて。そして、地球に地球外から来た存在が過去の記憶を持ったままで生息しているだなんてことは、です。上部組織からすれば、用済みの地球探索要員は全て過去の記憶を消して、地球用の過去を装着して生きていると思い込んでいるから、パーツ製作員の中に地球外の存在がいるとは思っていなかったのでしょう」
「インディ・チエムはどうやってダウンサイジングできないようにコーティングしたのだろう」
「それはわからない。リオがどうやって、他の物をダウンサイジングしたのかもわかりませんけどね」
 皮肉めいた言い方をした。
「リオはクラビスの作った三つのパーツをダウンサイジングできず、こちらに持ち込めなかったことについてどう思っているかな。ダウンサイジングしようとした瞬間に、できなかったものがあったのだろうけど。」
 パーツは全て揃わなければ新しい中継星は作れないはずだった。
「パーツ類は全てダウンサイジングできるはずだと指示されていたとしたら、リオは私のオブジェをパーツではないと思ったのではないでしょうか。一応、どうしてダウンサイジングできないのか、と考えたかもしれませんが。たとえば、パーツ収納庫全体に光線を当ててダウンサイジングする方法があったとしましょう。そうすれば両掌に入る程度に縮小される。そして、箱に入れて21次元に持ち込む。その手順だけを教え込まれて、速やかに任務を果たせばいいのであれば、縮小されないものがあったとしても気にもしないのかもしれません。盲点ってそういうものだそうですよ。自分自身の任務に関係ないと思えば、目にも入らなくなるのだとか。そして、上部組織は、まだ鍵が開けられていないものの、開けさえすれば、あの箱の中に全てのパーツがぬかりなく入っていると考えているのです」
 クラビスはどこまでも細かく推理しているらしい。
「じゃあ、クラビスの作った三つのパーツがまだ0次元にあることを僕たち以外には誰も知らないのか」
「そうなります」
 クラビスが言うと、インディ・チエムが甲高い声で鳴いた。「あ、いや、インディ・チエムも知っているらしい」
 やがて、森の中にあるテーブルの場所に帰着し、二人はどちらからともなく椅子に座った。
「どうして、上部組織が彼らだけでパーツを持ち去ろうとしているのかはわかりません。しかも、わざわざ、私達をこの21次元まで連れてきた。組み立て要員として連れて来られたのかと思っていましたが、パーツを持ち去るのであれば、ここに来る理由はなかった。ラン隊長とナツさん以外は、です」
「隊長はやめてくれと言っているだろう」
「そうでしたね」
「いずれにしても、全部クラビスの推測に過ぎない」
「それも、そうですね」
「僕の推理も話しておこう。クラビス、上部組織は最初から君のことを疑っているのではないか。地球人ではないのではないかと」
「そうでしょうか」
 クラビスは短く応答する。
 なんとなく気まずい空気が流れ、二人は一瞬黙り込んだ。インディ・チエムが柔らかい声で囀り、気まずい空気に戸惑っているかのようだった。
「リオの鍵を僕に預けてくれないか」
 ランは手をクラビスに差し出した。
「それはできない」
「鍵を開けたところで、クラビスが作ったパーツがなければ、中継星は完成しないのだろう? もしも上部組織がよからぬことを企んでいたとしても、それは必ず失敗に終わる。あの建物の中に取りに戻ったりしなければ、ということになるが」
「それはそうですね」
「じゃあ、どうして?」
「どうせ、上部組織が保管している設計図のファイルを確認すれば、私の作ったパーツだけが入っていないことがバレるでしょう? 私が地球人ではないことがすでに上部組織にバレているとしたら、それは先日の私達の会話をリオさんが司令長官に伝えたからです。逆に、もしも今でもバレていなかったら、リオさんと司令長官の結びつきはそれほど強くはない。しかし、鍵を返してしまったら、そのことを確かめる方法がなくなってしまう。調査を終えた上部は直ちに0次元の装置に誰かを派遣し、私の作った三つのパーツを探し出すでしょう」
「いやに疑い深いですね」
「私はそのように訓練されましたから。ラン、あなたもそうでしょう。すぐに信用するなと教育されている」
 クラビスは初めてランを呼び捨てにした。
 森の中を生暖かい風が通り抜けていった。

(六章 了)

《あらすじ》
 
ランは司令長官から絵画の中に船体室に関するものがないことについてどう思うかと聞かれた。ランはその場では答えられなかった。
 ランが船体の鍵を持ち出したこと、それを使えばラン自身が船体となって飛行したこと、そもそもその鍵はランの身体に合うように作られたものだったのではないかと推理していたが、司令長官に打ち明けるわけにはいかない。
 ランはどうやら「帰還」を物質化したオブジェを司令長官から借り、研究することにした。そして、司令長官には本物のオブジェではなく、ランが模造したものを返還することを思い付いた。
 模造のための材料を森に探しに行くと、森には角材やベニア板は落ちていないことに気付かされる。そこでクラビスに出会い、角材などがある場所を知っていると言うので着いて行くと、そこは森の地面の下にある。ランたちが出奔してきたばかりの建物だった。クラビスは降りたことがあるらしく、インディ・チエムの羽根や、自身の作ったパーツがまだ置いたままになっていることから、間違いなくあの建物だと断定した。
 崩壊したのではなかった。それは、上部組織が作り出した演出だったに違いないと二人は考える。
 二人は地球人ではないという互いの素性について明かしあった。
 クラビスはリオを疑っているようだった。そもそもインディ・チエムは司令長官からリオの鍵を盗んだのではなく、リオのリュックから盗んだのだ。ランはリオの鍵をクラビスから預かりたかったが、クラビスは渡さないと言う。もしも、その鍵を使ってダウンサイジング化したパーツの箱を開けてしまうと、クラビスの製作物がないことが判明し、クラビスが疑われることになるからだ。


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