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解読 ボウヤ書店の使命 ㉑-4

 ヒヨドリが雛育ての時期に入ったので、辺りの雀たちはのびのびしている。雀の得意技として、一羽が右から左斜め上に飛んだ後、すかさず左から右斜め上に飛ぶのがある。要するにクロスに飛ぶのだが、これを時間差で行い、おや?と目で追っている間に二羽とも見失う仕組みになっている。
 近頃はこのクロス飛びをそこら中で行うし、今日(2023年5月19日)などは一羽がエレベータの前で待ち構えて、階段から降りようとする私がついエレベータに乗るようにとその方向へと飛んで見せた。雀なりにナビをしているらしい。そして、エレベータを降りるとやはり待ち構えていて、外に出ると右側へと飛んだ。ショッピングモールを指している。推測だが、森には行かないようにさせたいのではないか。昨日の続きで蛇が出るからかもしれないし、ヒヨドリの雛育てを邪魔させないようにしたいからかもしれないし、この雀が主役の時期にヒヨドリとは対面させないようにしたいからかもしれない。
 あらゆる理由が考えられるが、私は雀の指示とは逆の森の方へと向かった。今日はサンダルではなくしっかりとした靴であり、蛇が出ないかと用心して大きな足音を立てて歩くつもりだった。
 行くと、人間は一人もいなかった。蛇が出たとの噂が拡がったのだろうか。ヒヨドリは樹木の高い所に一羽で止まっていて、私の姿を見てから甲高い声で何度か鳴いた。私はのっしのっしと蛇を祓いながら歩き、近くまで行って小さくピと口笛を吹いた。
 ――蛇を恐れず、そして安全志向の雀のアドバイスに背いてまでも会いに来たのだ!
 私は何か誇らしい気分になった。なんどかピとやり取りをした。

 それでも長居は無用。近道を抜けて森を出て、もう少しワイルドではない緑地へと向かった。酸素を吸うつもりだ。とにかく緑地に行って酸素を吸うことを忘れなければ身体は快適だ。
 そこからトカクコーヒーへと向かい、バーボン付の豆を使った珈琲とプリンを注文し堪能した。ここにしかない味。

 その後、店を出ると再びヒヨドリの声がする。そして、清澄庭園に向かうのではなく、トカクの裏側の道へと案内する。
 ――なんだろう?
 雀もチュンと合流して、ナビが始まった。結果、木場公園と現代美術館に出た。
 ――なるほど。このコースなら効率的に周遊できるな。
 いつもはどちらかとなってしまっていたが、この順番なら速やかに行ける。現代美術館で展示しているものは以前観たものばかりだったが、その中の『被膜虚実 めぐる呼吸』展をもう一度観ることにした。

前回もかなり気に入ったし、それなのに(理由は忘れたがなんとなく)足早に歩いて観た記憶があり、見直しておきたい気持ちもあった。
 案の定、多くの見落としがあった。まず小沢剛さんの『地蔵建立』は数枚の写真で作られた作品なのだが、仰々しい地蔵設営から、最後にはひとつの記号へと変化することを表していたのだ。それから、潘逸舟さんの『帰る場所』は映像作品なのだが、ちょうど始まりのタイミングに遭遇したので最後まで観ることができたのだが(5分程度)、匍匐前進しながら海へと向かう人が最後にどうするか、きちんと全部を通して観ると感動する。胸を打たれる。そして、サム・フランシスさんの大作は、よく見ると絵の中に「断絶」の箇所があり、そこを見落としてはいけなかったのだと思った。しかし、断絶があるのに全体として躍動している。そのことが重要なのだった。
 鈴木陽子さんの作品は前にも気に入ってじっくりと鑑賞したのだったが、今回はアクリル絵の具と油彩の風合いの違いを見ておくこともできた。風合いはそれほど変わらないと思った。
 展覧会は同じものに何度も行くと深く観ることができる。最初からじっくり観ることができればいいのだが、二回目に行くとやっぱり、どうしても見落としが見つかり、そこに感動することが多いものだ。

 さて、長すぎる前置きはここまでにして、『スカシユリ』の解読に入る。主人公のハトコが雨の中で眩しい光に打たれて帰宅し、何か自分が前とは違う人間になったような気がしているところまでを読んだ。

 続き。

《 翌朝はよく晴れていた。朗らかな鳥の声も届く。ベランダに行って、あの干したままになっていた洗濯物を見た。まだある。雨の雫が滴り落ち、ところどころ、朝日に照らされて光っている。眺めていると、その家の窓が開いて腰の曲がった老人が出てくるのが見えた。
(あ、いたんだ)ハトコは少しほっとする。(どうするんだろう)
 見ていると、老人は、洗濯物を吊り下げた状態のまま、ギュッ、ギュッと絞っていき、絞ったものを再びパンパンと伸ばした。全てやり終わると、また部屋の窓から中へと戻っていった。雨に濡れたものを、そのまま乾かす気であるらしい。
(えっ、あのまま?) ハトコは茫然とする。(雨水は大気中の汚れを含んでいるけど)
 しかし、昨夜のサクラの言葉を思い出す。
「ママはいつでも、自分の思う通りにならないと怒るのよ」
 そうかもしれない。乾けばいいのよと思い直す。

 なるほど、ハトコは少し変容している。他の人のやり方を認めようとし始めている。

 続き。

《 数日後、再び一階の窓に雨の雫がポツンと付いた。
(あ、雨かしら)テレビの音量を下げた。少し雨音が聞こえる。慌てて二階に上がりベランダに出てみると、確かに雨が降り始めている。
「雨ですよぉ」と言おうとしてやめた。
(ま、別に、それぞれのやり方があるだろうし、こんなことを言うのはやめよう)

 自分の洗濯物だけを取り入れて窓をぴしゃりと閉め、取り入れた洗濯物を抱えて一階に降り、テレビの音量を上げる。ところが、しばらくすると、気になり始めた。みんなが洗濯物をどうしたのか知りたかったのだ。耐えかねて確認に行くと、やはり、あの一軒だけは干したままだった。あの老人の家だけは気づかず干したままになっている。
(そっか、言っても言わなくても何も変わらない。それぞれのやり方があるんだわ)
 妙に納得して何も言わずに一階に戻り、洗濯物が雨に濡れてしまうのを気にしない練習を始めた。やはりだめだった。
(ああだめだ、もう、いっそのこと)
 ハトコは立ち上がり、ビニール傘を差して家の外に出た。老人の家を訪ねて、洗濯物が濡れていることを直接お伝えしようと決めたのだ。

 また大きく変化した。もちろん、黙っていられないところは以前のままだ。しかし、家を訪ねてまでそれを伝えようとは行動力ではないか。

 続き。

《 表玄関側に回り込み、玄関チャイムを押した。何度押しても反応はない。
(いないのかしら?)玄関の引き戸に触れ、少し開けようと試みた。鍵はかかっていなかった。思い切ってすっと開けてみる。
「ごめんくださあい、いらっしゃいますかぁ」
 反応はなかった。今度はお腹から大声を出してみる。
「ごめんください、雨ですよぉ」
 すると、玄関から続いている廊下の、左側にある障子がすっと開いた。
「なんでしょうかぁ」大声だった。腰の曲がった年寄りの男が現れた。顔には深い皺が刻まれていて、髪の毛は真っ白だった。相当、高齢のようだ。
「雨ですよぉ」
「はぁ?」
「だから、雨ですよぉ」限りなく大声で言う。「洗濯物、干したままでしょう?」
「おぉ。そうですか、それは、それは。アタシはもう、耳が遠くてねぇ」大声で言う。  
 それを聞いてハトコは納得し、
「じゃ」と言って外に出ようとして、ふと玄関の靴箱の上に目が留まった。黒い犬の写真だった。前に首輪とリードも置いてある。
「これは?」
 指を指して老人に尋ねた。
「あぁ、これですか。昔、飼っていた犬ですよぉ。何年も前に逝っちゃいました」
 絞り出すような大声で言う。
 見ると、写真の横に、黄色いスカシユリが一本、備前焼の花瓶に生けてあった。ハトコはどきっとする。
「これは?」
 大声で聞いてみた。老人は、皺だらけの顔をますます皺だらけにして笑いながら、「ユリならば群れて咲くより孤独に咲くがよろしいでしょう」と言った。「それでちょっと、ある場所から拝借したまで」
 肚から絞り出すようにして笑い声を上げ、「雨を知らせてくれたお礼に」と言って、花瓶から取り出しハトコの手にもたせてくれた。両手で手を包んでくれる。ユリを持った手が、ぽっと温かくなるようだった。「雨ですよ」と伝える時には、あんなに威勢よく玄関の扉を開けたはずだったのに、小さな子どもに戻ったような気持ちになった。
 黒い犬の写真をちらっと見て、大雨の中を歩いた日の話をしたくなったが、なんの脈絡もなく説明しようがなくて、どうせ聞こえもしない小さな声で「ありがとう」とお礼を言いその場を離れた。》

 謎の変化だ。この老人は一体誰なのか? そして、行動を起こすまでに変化したハトコは、今度は少女のように素直になった。

《 ハトコはドギマギしながらユリを持って歩いた。何が起きたのだろう? あの雨の日の出来事は何もかも夢だったのか?
 歩いていると、道の端っこに土まみれになって固まったものが落ちていることに気づいた。ピンクと黄緑のストライプ。見たことがある気がする。
(私の靴下だわ)
 ハトコは目を見張る。(あの日脱ぎ捨てた靴下)

 拾い上げてみた。乾いて泥がカサカサと固まっている。まぎれもなくハトコのものだ。つまり、とすると、あの夜歩いたことは夢ではないのだ。
 手渡されたユリの匂いを嗅いでみた。匂いはしない。でも、雨に打たれたユリとは違い、花びらが凛としている。

 ここでハトコは、変化する前の自身の抜け殻を見ていることになる。それは事実だった。本当に変容したのだ。ユリの花に投影されているが、どこか凛としているだろう。
 一気に最後まで読んでおこう。

《 数日後、「雨ですよぉ」という声がした。ハトコは誰かしらと驚く。リビングに居ても聞こえるほどの大声。窓を見ると、確かにポツポツと雫の形が付いている。
 急いで二階に上がってベランダに出た。すると、腰の曲がった老人が洗濯物を取り入れている。どうやらあの声の主は老人だったようだ。二階から失礼かしらと思いながらも
「ありがとう」と大声で叫んで手を振った。気づいたらしく老人も、取り入れる手を止めて振り返してくれる。
 そこで思い切ってハトコも、
「雨ですよぉ」一帯に響く声で叫んだ。

(よけいなおせっかいかもしれないけれど)サクラの顔がちらつく。
「雨ですよぉ」
 老人が再び大声で言った。
こちらを向いて笑う。まだ他の家は誰も洗濯物を取り入れに出てこない。
 気にせず、老人に向かって大きく手を振ってから、慌てて自分の洗濯物を取り入れた。 (了)

原稿用紙 三十枚 二〇一三年 七月作成》

 これまではハトコが一方的に雨を知らせる側だったが、今度は老人の側からも知らせてくれる。両方に変容が起きたのだ。
 ふと、私の周囲に居る鳥たちのことを思う。友達になる前にはよくわからなかったが、今では「蛇ですよぉ」と必死で教えてくれたり、「こっちが近道ですよぉ」と教えてくれたりする。私も鳥の習性が理解できるようになって、かつてのように雛育てをしている場所にどかどか踏み込んでいってピープー吹いたりしなくなった。それでもそっと会いに行くこともできるようになった。孤独に必死で雛育てしているに違いないと思って、おせっかいながら、ピと声を掛けに行くのだ。
 
 ※明日(2023年5月20日)に㉑-5として、この『スカシユリ』について、まとめの解説をする。

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