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解読 ボウヤ書店の使命 ㉕-13

 長編小説『路地裏の花屋』の読み直し。
 続きから。

あやのはこの木蓮の家におりました。私より七つほど小さな子どもでした。
 私が漢字ばかりを学んで一年ほど経ったころ、あやのは平仮名を勉強し始めました。平仮名の教本を手に入れ、庭のどこかで拾ってきた枝を使って土に描いて学んでいる。それを見て、私も平仮名を学ぼうと思わなかったわけではありませんが、どういうわけか平仮名というものが私の頭にはさっぱり馴染んできませんでした。先に漢字ばかり学んでしまったからでしょうか。なんだかぐにゃぐにゃした線で作られているし、字と音が結びついているだけでなんの意味もないわけですから、ある日、これを『あ』と読むと覚えても次の日にはすぐに忘れてしまうという始末でした。小さなあやのがすいすいと覚えていく横で、私はどうにも頭に入らないわけですから、恰好が悪いったらありゃしない、それで平仮名からはひとまず逃げの一手。読めないことがばれないように、あやのが勉強をやり出したら用事を作ってその場を離れるようにしたものです。
 このあやのも幼稚園だの小学校だのといったものに通っている様子はありませんでした。いかにもわけありというようにひっそりと木蓮の家に預けられていたのです。話し言葉も達者なわけでもなく、いつまでも人見知りをして一人でお手玉をしたり草花を摘んだりして遊び、それでも私にだけは時々野花を束にしたものをくれたり、庭で仕事をしている私の背中にふざけてお手玉をぽんと投げたりして、わずかな親しみを見せてくれました。私も時にはモンシロチョウを捕まえて彼女に見せてやったり、紅葉した楓の葉を本に挟んで乾かしたものを紙に糊で貼ってやったりして、交わす言葉は少なくても心の中で可愛がっているつもりでいました。そのうちに、私も、あやののおかげか、少しずつではありましたが平仮名も読めるようになりました。
 彼女が八歳か九歳の夏頃でしたか。いつものように親方の指示で木蓮の家に手伝いに行きましたら、いつまで経っても彼女が姿を見せませんでした。私が、あやのは? と、庭いじりをしている木蓮に聞くと、あやのですか、帰りましたよ、と言うのです。帰ったって、どこへ? と聞くと、彼女の家に決まってるじゃないですか、彼女はしばらくお預かりしていただけですよ、と言う。
 木蓮は私の方を見ることもなく、わざと平静を装ったかのように見えました。私が黙ったまま横で立っていると、手に着いた土を払いながら立ち上がって庭の梅木辺りをぼんやりと見つめました。なかなか次の言葉を言わないので、なんとなく私も同じように梅木の方を見ると、初めてあやのと会った時のことを思い出しました。親方の家から木蓮の家に楓を運んだ暑い夏の日、よく冷えた麦茶を届けてくれたのです。そのことを思い出して何とも言えない気持ちになった。頭の中に浮かんでくる姿は、つい先日のものではなく、紫陽花柄の浴衣を着て転ばないようにたどたどしく歩く幼いころの様子でした。
 つい最近までそんなあやのだったような気もする。いつまでもあどけないままでいて、決しておませな表情を見せることもなく、最初の面影のまま茶室の内外で字を覚えたり掃除をしたりしていたのだと思い出される。楽しそうとまでは言いませんがさして苦痛を感じる様子もなく暮らしていたのですから、それがどうして急に家に帰らなければいけなくなったのかと、手前勝手ながら無性に腹も立って参りました。そこで木蓮に挑むように問いました。
「なぜあやのを預かっていたのですか」
「気になるのかい?」
「いけませんか」
「大した理由ではありませんよ。腹違いの双子がいるもので、ちょっと憚られるというので隠れておりました」
「腹違いの双子って?」
「よくあることなのですよ。本妻と妾、両方の間に子どもが出来てしまって、どういうわけかぴったり同じ日に生まれる。しかも、なんだか顔までそっくりで、いっそ双子だったということにして本妻が育ててしまえばどうか、という成り行きは」
「でも、あやのはここで、一人で育ったじゃないですか」
「そうですよ。彼女は妾さんの子どもの方で、本妻が引き取るのを嫌がったのです」
 木蓮が言うことには、同じ日に生まれてしまったその二人があまりにそっくりで、もしも本妻が引き取って育てた場合、どっちがどっちかわからなくなったら困るだろうとして、あやのを一緒に育てることは出来ないと本妻から断られたそうです。では一緒に育てる必要もないのだし、そもそも生んだ母親である妾の所で育てましょうとなると、それでは夫の気持ちがいつまでも切れずに妾にも向かうから嫌だと本妻が言った。大変な思いをして子を生んだというのにあまりにひどい話ではないかと泣いたそうです。そんな折に、そのお家の茶会を主催する仕事をしていた木蓮に白羽の矢が立って、すでに預かっている養女も居ることだし、居場所も山奥で目立たないから都合がいいだろうと預かることになったのだとか。

「あやのはいずれお返しすることは分かっていたから情はかけないように育てていたが、なかなか情なんてものはいやはや自分でどうにか出来るものでもないだろうと思って、こっそりあの梅の木にあやのという名前を密かに付けていました」
 木蓮は言いました。
「あやのが死んだみたいに言わないでください」
 私は余計に悲しくなってそう口にした。
「それはそうだね。彼女にしたら本当の家族のところに戻れて幸せなのだから」
「でも、どうして僕の居ない時に。僕だってお別れが言いたかったのに」
「突然夜中に電話が鳴って、『早朝に車が迎えに行くから』と先方から言われました。彼女の母親の体調が良くないので、近日中に亡くなりでもしたら大変だから呼び寄せたいと」
「だったら、しばらくお母さんの所に行って、またここに戻ってくればいいのに」
「まるで、楓の時にあなたの親方が言ったこととそっくりですね」
 木蓮は笑いました。「だけどそうはいかない。実はあやのは戸籍もまだない状態で、私だってこの先いつまで生きるかわからないし、茶室をあの子にやってしまっても構わないけれど、もしも結婚でもしたいと考えた時に戸籍がないのじゃ私の力でもどうにもしてやれない。まあ、立派なおうちに戻してやって、どうにか恰好を付けて将来の夢を見させてやった方がよかろうと、みんなで考えたわけです。それがあの子の幸せだろうと。しかし、名前すら、あやのはあやのではなくなるでしょう。あれは仮の名前でしたから。まあ、名前なんてどうでもいいと思いつつ、そうなると寂しいような気がするものですね」
 私はどう答えてよいか迷って黙ってしまいました。何もかもこれまでの痕跡がなくなってしまうのだと思うと、それが彼女の幸せであるにせよ、急にぽっかりと空いてしまった空間を目前にして、なんとなく置き去りにされてしまった私たちの気持ちはどうなるのだと辛く思えてきたのです。
 その後、木蓮は少し明るい表情になって、そうだ、君にひとつ手紙を残しておるよ、ちょっと待っていなさい、と茶室の中に入って行きました。しょんぼりとしてしまった気持ちにわずかながらの希望を感じて、私は梅の木の前に突っ立って待ちました。特別な用のない時には茶室の中には入らないようにしていたのです。親方にもそうするようにと厳しく言われていたし、木蓮も、庭のことで来てもらっているのだからとそれを尊重していました。床拭きとか障子の張替を手伝わせているのではないとのけじめでもあったのです。
 しばらくして木蓮が庭に戻ってきて、白い封筒に入った手紙をひとつ渡してくれました。受け取り、中から紙を取り出してそっと開いてみると、「いままでありがとう。さようなら」 と平仮名で書いてあった。「あやの」と記名もしてある。ひょっとしたら、これは彼女が書いた最後のあやのという名前かもしれないと思うと、私は急に涙が出ました。もちろん泣いたりしなくても彼女は生きているのです。彼女の母親や父親、義理の姉妹のいる場所で、最初は少し窮屈な思いをしていたとしても生きてはいるでしょう。でも、親方と木蓮の家を往復してばかりで学校にも行かない私とどこか似たような境遇で、しかもそのことになぜとも嫌だとも言わずそれなりに朗らかに生きていたあやのという名前の女の子は永遠に失われてしまった。もう、いないのだと感じていると、そう言えばこの気持ちはどこか、あの楓の時に似ていると思いました。白い植木鉢に収まっていた私だけの楓がいつしか庭木に植えられてしまった。自分だけのものだと勘違いしつつ大切にしていたものが失われた。
 私は梅の木を見るのをやめて楓の方を振り返ってみました。風に吹かれて庭の端っこで伸び伸びとしている。そうか、これでよかったのかもしれないなと、一度は思いました。窮屈な盆栽でいるより端っこでも庭の方が。でも、どう慰めてみても、事実として、あの小さな盆栽だった楓はもういなかったのです。そのことに変わりはありませんでした。
 私は楓の近くに行って、小さな風にも葉を揺らしている姿を眺めました。確かに最初の頃よりも大きくなって堂々とした様子になっていましたが、漢字の表す通り、緑の風を思わせる優しげな樹木で、きっとあやのもこんな風に、ささやかな可愛らしさを保ちながら大きくなって元気に暮らすだろうと考えることにしました。そして、手紙を見ながら、まだ当時では読めるだけで上手には書けなかった平仮名でしたが、『あやの』という文字を地面に何度も書いて、せめてこれだけはすっかり覚えてしまおうと思いました。

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