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生成りの心

生成り、白でもなく何色にも染められていない自然のそのまんまの色。
違和感なく存在するその色が好きだ。

先日、noteのサポート機能を使って、あるアーティストにサポートした時のこと。
サポートの際、一緒にメッセージを送れるのだが、ふと、自分の送ったメッセージは何処に残っているのかな?と思い、いろいろ探してみたら、ちゃんと残っていた。当たり前だ。で、以前に送ったメッセージもなんとなく読み返してみた。
えっ、、、。
一年以上前のメッセージに返事が。いや、返事はその時のもので、気が付いたのが一年以上経っての今ということ。
わたしは、サポートのメッセージに返信されることを知らなかった。
なぜなら、noteの機能の中にサポートメッセージの返信が届いたというお知らせがないからだ。よく知らないけど多分。
にしても、まさか、えー!という感じ。
返事を期待していたわけでもなければ、返信の機能のことも知らなかったのだ。      あー、もぉぅ。嬉しいような残念なようななんとも言えない気分になった。
が、もしかしてこれで良かったのかもしれない。知らなかったから返信の期待はしなくて良かった。でも知ってしまったけれど、、、複雑。
遅くなったけど、”ありがとう”と嬉しかったことを伝えたい思いで溢れる。

そしてまたまた先日。
陶芸家の辻村史朗展に行ってきた。
陶芸のイメージする静とは逆に、土物の無骨が丸晒ししたような、躍動感と重厚さが場の雰囲気を迫力で覆っていた。
師匠も弟子も持たず、独学で陶芸を学び、今作りたいものを作り続けたら50年経ったという。
やりたいこと、作る発想が常にあり、これを作りたい、それしかない、といつも自分の心に忠実に生き、自分の生涯を一つのものに捧げる人生。そのためだけに生まれて来たような人だ。
”どんなことでもいい。たまたま陶芸だった“と言っていた。

作品を見終えた後、ある人のことが頭に浮かんだ。noteで返信メッセージを送ってくれていたアーティストも自分のやりたいことに情熱を注いでいる。やりたいことが沢山あって時間が足りなさそう。辻村さんも、人生が二生も三生もあったらいいけど、作りたいものが多くて、時間がないから作り続けると、流れていた映像での中で話していた。似ている気がする。

二人とも自分の心のまま、自然な心のままにやりたいことをやっている、生成りの心の人なんだなぁ、なんて思っていた。

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