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no.0 / 日記を書こうと思ったこと

4月からずっと在宅勤務をしている。
月に一度くらいは出勤をするのだけど、それ以外はずっと家で会社貸与のノートPCを開いている。

初めのうちは「通勤がないってラク…!」「テレビとかラジオ楽しみながら仕事できる〜!」「合間に家事ができる!」となっていたものだけど、半年(半年!!)が過ぎようという今、意味もなく塞ぎこむことが増えてきた。

少し前に、在宅でも成果が出ることを見せてやるぜ、とはりきってやった仕事を上司に見せたところ、「俺は良いと思うんだけど部長に刺さってないんだよね〜」と言われてしまい何だかものすごく落ち込んだのだ。

ずっと家にいて、友人に愚痴のひとつもこぼしにくい日々を過ごしているせいか、そのひとつのダメージが思いのほか後を引いた。
逃げるようにいつものSNSを指で辿ると、いつもなら何かしら気晴らしになるはずが、ものすごい疎外感と「みんな楽しそうで充実しててうらやましいなあ、それに引き換え自分はぜんぜんだめで…」の泥沼にハマってしまった。

ズブズブと心が真っ黒に染まったので、SNSを見るのをやめた。在宅の自分が世界とつながっている気分になれる手段として手放せなかったのだが、とりあえずいくつかのアプリを隠した。

見ないぞ、と決めたら心が凪いだ。
手持ち無沙汰になってアプリを開きそうな気分になったら、本棚にある「よつばと!」(穏やかになれます)を手に取って読み返す時間に充てた。

そうして数日経つと、それまで死んでいたアウトプット欲が湧いた。

もともと自分のアウトプットが好きではない。
絵を趣味にしていたこともあったけれど、けっして上手い部類ではなかったし、一時期SNSで「蛇蝎のごとく絵の下手な人間をdisる」(本人は絵が上手い)知り合いの言動を見ているうちに、自分のことをdisられているような気分になってしまってから描けなくなった。
文章については、140字の枠にまとめると「フォロワー受け」を狙ってしまうし、手帳に書くタイプの日記はいくつになっても三日坊主で無理だった。

アウトプット欲は出たが、「誰かに見せるためのもの」は作りたくないと思った。
「誰でも見られるけど誰にも見せないもの」を持っていたいなと思った。
インターネットでずっと使い続けているHN(PN)があったが、そこからは少し距離のあるものにした。
そして、あまりつながりを重視しないnoteの温度感がいいかな、とここに決めた。

というわけで、前置きが長くなったが、めちゃくちゃメンタルがよわよわの自分にとって、ここが心のリハビリのできる場所になるといい。

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