この世の仕組みって完璧に設計されてるよな〜。創った存在に会ってみたい。
本当はすべての人間が全知全能で、何でも知っているし、願えば瞬時に叶う能力を持っている。時空なんて余裕で超える。
でも、それじゃあつまらないよね、ってことで得意不得意を設定して個性をつけて、こんな環境で育ってこんな価値観を身につけて、って大まかな人生のストーリーを描いて生まれてきた。
というのが本当かどうかわからないけど、すべてわかった上で生まれてきたらとたんに味気なくなってしまうので「生まれた瞬間にすべて忘れる」というルールだけはかなり強めに発動しているのかもしれない。まあ中にはすべてわかった上で生まれるというルールをあえて上書きしている人もいるのかもだけど。
何がフィクションで何がノンフィクションなのか。
何がリアルで何がバーチャルなのか。
たしかなのは今こうやって文章を書いている自分がいる。この文章を読んでいるあなたがいる。他のすべては自分が見たいように見ている。すべてフィクションで、バーチャル。だとしたら?
観測者がいなければその対象は存在すらしないという量子物理学の実験がある。シュレディンガーの猫とか。つまり、観測者(=自分)がすべてを生み出しているということ。見なければ存在しないし、願わなければ叶わない。みているから在るし、願っているから叶う。すべて自分が起点。
「こんな現実、願ってない!」と強く願っているから、嫌だと思いたくなる現実が現れている。
ピンク色のゾウを思い浮かべないでください、と言った瞬間にピンク色のゾウが頭に浮かんでいる。
願わないようにすることは難しい。願いたいものを素直に願う瞬間を意図的に増やしていくしかない。大切なのは素直さ。
・・・つまり何が言いたいの、と自分で自分にツッコミたくなるはちゃめちゃ文章ですが、要するにこの世をとことん楽しめば良いということです。と、他の誰かに宛てたわけではなく、自分で自分に言い聞かせてます。
何をやっても良いし何もやらなくても良い。自分がやりたくないことをとことんやり続けても良いし、やりたいことだけやってても良い。オールオッケー。
大切なのは、そのときそのときで湧き上がる思いを察知し、それをできるかぎり素直にすばやく叶えること。
あ、コーヒー飲みたい→コーヒーを淹れて飲む
あ、お風呂入りたい→お風呂を沸かして浸かる
考え抜いた望みではなく、ふと湧き上がってきた想いを抵抗感なく実行してあげること。味わい尽くすこと。
気持ちを味わわずにやり過ごしてしまう状態が続くとそのアンバランスさを整えようと、ショッキングなイベントが発生します。病気になったり、職を失ったり。
ネガティブに見える現象はすべて軌道修正を促すイベントです。避けたい出来事ととして捉えがちですがそうではなく、むしろ浮上のきっかけを与えてくれるありがたいイベント。
自然とネガティブに感謝できるようになるまでネガティブは続きます。自然と、というのがポイントで、もちろん最初は無理矢理感謝しても良いけれど、いつか感謝が湧き上がってくるタイミングが来ます。そのとき、感謝できることに感謝できるようになって人生のステージがワンランクアップ。この世は源に向かってどこまでもメタ構造が続いているんですね。夢から醒めたらまた夢だったりして。
と、また話がどこかへ行っちゃったところで終わりに。この宇宙の仕組みって本当にすごいよな、と思ったところからつらつら書きました。たぶんそろそろ、この宇宙の法則に則って、地球も運営されていくんだろうと思ってます。
次はもうちょっとわかりやすく書こうかな〜。
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