不老不死とはいかないが。

※以下の文章は全て私の空想からなるものであるため証拠も何もなく、また批判についても一切受け付けない事を先に謝罪し、始めることとする。こんなぐにゃぐにゃした文章を研究室の担当教授に見られれば、「お前は俺の下で3年間何を学んできたんだ!論理が破綻している!」と怒鳴られるに違いない。こと研究活動において、私のような論理性のないペーペーには言論の自由すら認められていないのだ。あぁ嘆かわしい。
…まぁ冗談だが。

「人生において、"楽しい"とは何なのか?」ー最近一人でいるときによく考える。友達や家族と共に時間を過ごすこと、自分の行動で世界のなにかを変えること、何かの分野で頂点を獲ること…など人にとってその答えは多種多様であろう。そもそも正解があるわけでもなく、知ったところでどうなるわけでもない。ただ現在、私がこの命題に解答するならば、それは「活動する事」である。

世の中には「ジャネーの法則」というものがあるらしい。その法則によると、体感時間において人生の折り返しは20年であるとのことだ。小さいうちは何もかもが初めてであるが、年を取るにつれ毎日が同じ事の繰り返しとなることで過ぎる時間を早く感じるようになるらしい。これは私にも当てはまることで、午前中布団の中にいると気づいたら午後、なんてことがざらにある。布団の中は近い未来へスリップするタイムマシンなのでは?と錯覚するくらいだ。

 この法則に抗うにはただ一つ、「自分にとって初めてを増やす」ことである。よく言われる「何にでも挑戦!」というやつだ。私は超保守的人間であり、あまり挑戦は好きではない。そのため、生活の中で挑戦ではなくとも、自分にとって好きな「初めて」とはなんなのかを探してみた。

 そうして見つけた自分にとっての好きな「初めて」は「学んで活用する」ことである。例えば、小説を読んで新しく言葉を知り、それを日常会話で使ってみる。その時に、なんとなく「あぁ、本を読むって楽しいな」と感じる。聞き手からすると「知識をひけらかす嫌な野郎」と思われるのかもしれないが、これはあくまで例えなので許してほしい。他にもPCについて学んだ事で改造を行ってみたり、筋トレのハウツーを調べ実践したりするときにも「なんとなく楽しい」を実感する。つまり、得た知識を殺さず生かして実践することに楽しさを見出せるのではないか?と思う。

 大学4年の頃にエーリッヒ・フロムの「愛するということ」という本を読んだことがある。この本を私の頭で正しく理解できているかはわからないが、ある内容が印象に残っている。それは「自らの意志を原動力として行うことが真の活動の定義であり、それこそが世界と自分を結びつけることへと繋がる」といったものである。人間は孤独には生きていけない、そのため活動(これは自分の外への影響がないものも含まれる)により社会と結びつくことが重要であるらしい。私にとっての「楽しい」もこれに近しいものではないか。特に誰かに言われたわけでもなく、自分で調べやってみる。研究室の教授も「研究は俺の趣味だ!」とよく話してくださるが、それも「真の活動」の一環であり、教授は無意識にそれを知っているのではないか。私には実験を「真の活動」にあてはめるほどの度量も頭脳も遊び心も足らなかったわけだが、この差があるからこそ教授の凄さを改めて実感する。

 話がそれてしまったが結論に移る。といっても大した結論もない。自分にとっての「学んで活用する」、つまり活動こそがこれからの私の人生に楽しみを与えてくれるのではないか。また、私もこの世に生を受けたからには健康に、そして長生きしたいと思っている。そのため、自分にとっての「活動」をもってジャネーの法則に抗い、少しでも長い人生を送っていきたいものだ。不老不死とまではいかないが。

 自分でも何が言いたいのかわからなくなったため、この辺で筆を投げることとする。

 

 

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