私の母親の妹の、結婚相手である叔父が亡くなった時
今年、2024年に入って、
有名人が、頻りに、亡くなったが、
最近、私の、ある親戚も、亡くなった。
その時、私は、長年、抱えていた感情の、わだかまりの一つから、開放されたような思いになった。
ここで、おかしな言い方をするが、
有名人のように、惜しまれて、亡くなる人間ばかりではない。
以下は、そのような話である。
内容について、人によっては、
「読んでいると、辛くなる」
「賛同し難い」と感じる部分もあるだろう。
そのような場合は、読むのをやめて、
話を無視していただきたい。
01.予期せぬ内容の電話
私の母親には、妹がいる。
その妹の結婚相手であり、
私からは、叔父に当たる人がいる。
(以下、私の母親の妹を、Tとする。
叔父の名を、Cとする)
今年の、10月15日だったか、
午前三時頃に、Tから、突然、私の母親の所に、
Cの事で、電話が、かかって来たのである。
「おっちゃん(Cの事)、
今、病院に運ばれて…。
何やら、意識や、なくて、危ないらしいわ。
行って来る」
深夜というか、日付で言えば、既に、翌日の早朝の時間帯に、
こう、母親が、私に言ったのを覚えている。
まさに、予想だにしない事であり、私は、戦慄を感じ、
「ええ?」としか言えなかった。
02.Cの経歴
昔、Cは、ある有名な飲料の企業の、北陸地方の営業部に勤めていた。
日本が、バブル期で浮かれていた時は、高額な手当をもらえるほど、非常に儲かっていたという。
2001年、私が高校を卒業した頃、
Cは、その会社を定年退職した。
(俗に言う、肩叩きを受け、退職した、という)
その後、Cは、いろいろ、仕事を探した結果、
最終的に、あるタクシー会社の運転手をしていた。
Cは、年金生活だけでは、やっていけない、という事だった。
03.亡くなる間際の、C
今年、2024年、10月、
Tから、私の母に電話が、かかって来た日、
仕事の関係か、Cは、七尾にいた、という。
(七尾とは、石川県にある地域である)
Cは、仕事帰りの車の中で、突然、苦しみ出した、という。
その状態で、Cは、Tに、携帯で電話をかけたそうだ。
つまり、その時まで、Cは生きていたのだ。
Cは、七尾の、ある病院に運ばれた。
Tも、ある親戚と一緒に、そこへ向かった。
以前、Cは、車を、二台、所有していたのだが、
晩年には、Cが所有している車は、一台しかなかったので、
Tは、親戚の手を借りるしかなかった。
私は、Cの容態について、「危ない」と言っても、
きっと、助かる、と思っていた。
しかし、意外な事に、私の両親が、病院に向かった時、
そのまま、Cは息を引き取ってしまったという。
Cは、食道の近くに出来た、静脈瘤というものが原因で、死亡したという。
以前、私の兄が、Cについて、
口から、黒い塊のようなものを、吐いたのを見た事があると言っていた。
おそらく、この時点からして、
Cの体には、異常があったように思う。
今年になる前の、何年も前から、Cは、助からない体だったのかも知れない。
04.Cの訃報を聞いても、悲しくなかった私
今年、Cは、75歳で、亡くなった。
私の父や、母も、実は、Cと、同じ年齢だ。
Cが亡くなった事について、本来、悲しむべきなのだが、
私は、そうはならなかった。
冷淡と思うかも知れないが、
私は、Cの事が好きではなかった。
それは、昔の事が影響している。
05.昔、Cに言われた言葉
昔、私は、高校の頃、不登校になり、
2001年、高校を卒業した後、一年半ほど、何もしないでいた時期がある。
その時、Cから、私は、ものすごい事を言われた事がある。
「お前、親に甘やかされとってんろう。
過保護、やってんろう。
□□(私の父の名)も、
〇〇ちゃん(私の母の名)も、俺からすれば、甘いわいや」
「俺の住んどる所の近くにも、お前みたいな奴、おるわいや。
そいつ、家で何しとるんか、知らんけど。
放っておきゃ、そのうち、お前も、そいつみたいに、『だら』になって、しもうやろういや」
「じいさま(私の母方の祖父)や、
おっさま(私の事)、甘やかしておるさかい、
こんなんに、なりんわいや」
という言葉を言われた事がある。
「だら」というのは、「馬鹿」とか「阿呆」という意味に当たる方言だ。
Cは、私と一緒に暮らしていた訳でもない。
他に、Cが、逐一、私の学校の様子を見ていたわけでもない。
私の、母方の祖父は、私の状態とは関係がない。
このように、どうして、Cが、私に対して、そのように、決めつけた事が言えるのか。
私は、Cの言葉に、腸が煮えくり返り、怒り心頭の心地だった。
この時、Cからは、「何、チンピラ、巻いとりん、お前?」
という言い方をされた。
これは「機嫌を悪くしている」という意味の方言であり、
屢々、子供扱いされる時に言われる。
一体、Cの言葉に、誰が気分を良くするだろうか。
私は、この時、二十歳に差し掛かるあたりだった。
世間一般としては、この年齢の人間が、何もしていない、というのは、やはり危機感を覚えるものだろう。
しかし、なぜ、よく事情を知らない人間に、そこまで言われるのか。
警察沙汰になるかも知れないが、
Cに摑みかかって、ぶん殴ってやれば、よかったのかも知れない。
06.私と、Cが合わない所
元々、私は、Cとは合わない所があった。
Cは、酒や煙草が好きで、パチンコが好きだった。
(Cが、年金生活だけでは、やっていけない、というのは、
パチンコなどの遊興費が足りない事が理由である)
私は、逆に、そのような事は、好まない。
Cは、若い頃、相撲部に入っていた。
このためか、やたらと、Cは、上下関係にこだわり、
挨拶を強要して来たり、
気に入らないと、人に暴力を振るう癖があった。
おかしな話だが、
私は、「おはようございます」とか「こんにちは」とかの挨拶について、
気分が悪くなる時がある。
人間社会では、無理矢理、言わされる時があるからだ。
私が中学校に通っている頃、不良の上級生などが、やたらと、このような事に、執着し、
難癖をつけて来る事があった。
これでは、挨拶の意味が、本末顚倒になっている。
Cも、同様だった。
それで、私は、Cには、よいイメージがない。
Cは、よく、人に威張ったり、暴力を振るったりするのだが、
反対に、頭を使う事は、苦手だ。
Cは、「すべからく」という言葉を、
「全て」という意味で使うなど、言葉の誤用を平気で使ったりする。
「全て」という意味の言葉を、別の、奥ゆかしい言葉で言いたいのなら、
「ことごとく」と言うべきである。
文系などの勉強で、学校の教師から、
「言葉の誤用はするな」と、口うるさく言われていた私などは、Cの言葉の感覚には、辟易する。
Cは、私が受けたような、教育は、受けていないし、
別に、そんな事は、重要だと思っていない、というのが、分かる。
それで、私は、おかしな感じになって来る事がある。
Cは、何でも食べる、食い道楽だった。
それが、食中毒になる恐れがある、牡蠣でもだ。
私は、どうして、そんなに、Cは食べる事が好きなのか、と驚いてしまう。
Cは、料理をする事もある。
(Cは、ある飲料の企業に勤めていた時、
主に、寮生活をしていた)
しかし、包丁を使わせると、食材を、いびつにしか切れなかったりする。
これを見ると、Cは、おそらく、プラモデルなんてものは作った事はないだろうし、
性格が、大雑把だというのが分かる。
人が言う言葉に、その人自身の考えが、はっきり現れるものだ。
「本ばっかり読んどっても、何にもならんわいや」
「俺の知り合いに、本やら映画やらの話ばっかりする奴、おるけど、
全然、合わんなあ」
Cからは、このように、私は言われた事もある。
いろいろな事を考えると、
これで、どうやって、Cは、あの有名な飲料の企業に、就職したのだろうと、私は疑問に感じる。
思うに、Cは、筆記試験の成績ではなく、
スポーツ推薦などの特待生として、就職したのかも知れない。
もし、それが事実なら、私と、Cは、本当に、正反対である。
07.どさくさに紛れて、おかしな提案をして来た事がある、C
昔、2001年頃、私が高校を卒業した後の頃、
Cは、不本意ながら、ある有名な飲料の企業を退職したが、
そこには、退職金というものが出た。
Cは、その金の使い道について、
私や、私の親に、おかしな提案をして来た時がある。
私が住んでいる家について、
その金で、飲食店、兼、居酒屋に改築して、
「一緒に商売をしよう」と言って来た事がある。
Cは、Tを連れて、にこにこ、笑いながら、
「ここは、自然もあって、家も広くて、宝の山やわいや」
「俺や、海から、獲って来るタコとかあるから、
それをタコ飯とかにして、料理に出せば、売れるぞ」
「サザエ飯とかも、いいな」
「□□(私の父)と、
お前には、店のボーイさんになってもらえばいい」
「何もない所ほど、意外と流行るかも知れんぞ」
と言って来た。
私は、一体、この男は、どういう頭をしているのか、思った。
私の父や母は、Cとは、「兄弟あけやから」という理由で、
一応、Cの話を聞いていた。
「兄弟あけ」というのは、「兄弟関係」という意味の方言である。
私が学校にも行かず、仕事もせず、家で何もしていない事について、
一見、救済するつもりでいるような話に聞こえるが、
単に、Cの趣味だけの話だ。
この時、私の父親も、失業中だったが、
自分の家を、飲食店、兼、居酒屋にするという話を、どう思っただろうか。
Cの提案は、余計な、お世話というか、
図々しいものである。
私は、酒飲みの相手をする仕事など、したくはない。
第一、家を、飲食店、兼、居酒屋になどしたら、
私が住む場所は、どうなってしまうのか。
いつも、Cが、このような目線で、私の家を見ていたと思うと、
私は、不愉快になった。
私は、危機を感じて、即座に断った。
「おっちゃん、
頭、ちょっと、のぼせとるんじゃないんか。
頭、冷やしたらどうや」
と、私が言ったら、Cは、
「頭、のぼせとんのは、お前の方やわいや。
われこそ、頭、冷やせえや。
帰らんか。
もう、ここには、絶対、来んわいや」
と、Cは、猛烈に、怒りを露わにして、Tと一緒に帰っていった。
その後、Cは、私の家には、本当に来なくなった。
私は、Cに対して、失礼だったろうか。
しかし、もし、Cの話を承諾していたら、どうなっていたのだろうか。
08.私の祖父の葬式の時の、Cの行動
2013年頃、
私の母の父、つまり、私の、母方の祖父が亡くなった。
私の母方の祖父は、享年、88歳だった。
その通夜には、かなり人が集まっており、
私の、従兄弟も、何人か、いた。
そこで、Cは、突然、「カラオケに行かんか」という提案を言い出した。
私の、母方の祖父の通夜だというのに、何を言っているのか、という話である。
それを、Cの結婚相手の、Tに注意されると、
なんと、Cは怒り出したのである。
一体、どちらが、おかしいだろうか。
この通夜の時、あろうことか、Cは、Tに暴力を振るった。
Cは、Tを蹴っ飛ばしていた。
このように、Tは、よく、Cの暴力の犠牲に、なっていた。
この時、私は、三十代だった。
Cの傍若無人ぶりを私は見た時、
私は、Cを、思わず、ぶっ飛ばしてやりたい気持ちになった。
しかし、私の母が、「二人の間に入るな」という事をした。
今、思い出しても、腹立たしい出来事だ。
09.C同様に、人に暴力を振るう事があった、T
Cの事について、私が嫌いに思うのは、
本人に対してだけの事ではない。
その結婚相手の、T、
つまり、私からすると、叔母からも、私は、嫌な目に遭わされた事がある。
Tもまた、私に暴力を振るって来る頃があったのだ。
私からすれば、Tは、別に可哀想な人ではなく、
Cと同様だった。
1996年頃、私が、中学生の頃になる。
私は、よく、母方の祖父の家へ行く事があった。
私の住んでいる場所は、人口が非常に少なく、
店なども、殆ど、ない所だ。
私にすれば、気易く、話し相手になる人間がいるのも、
気晴らしが出来るのも、
その家ぐらいしか、なかったからである。
その家が、実家に当たる、Tにしても、同じ事だった。
Tは、その家や、Tからすると、姉に当たる、私の母がいる、私の家を、よく出入りしていた。
私は、Tと、母方の祖父の家で、鉢合わせする事が、よく、あったのだ。
どういう、会話がきっかけだったか、
よく覚えていないのだが、
ある時、Tが、私に、
「あんた、ゲームばっかりしとらんと、ちょっこし、勉強さあしね。
いくら、夏休みでも」というような事を言った事が、きっかけだったように思う。
その時、私が、「うっせえな」と言った。
私にすれば、私の母に対して、口を利いている時と同じようなつもりだった。
Tは、私の母と、よく一緒にいる事が多かったので、
私は、Tについて、私の母と同じ態度を取るだろうと思っていた。
しかし、Tの反応は、私の思っているようなものとは、全く、違っていた。
「誰に向かって、口、利いとる!」
突然、Tは、猛烈に、怒り心頭となって、私に、平手打ちを食らわして来た。
しかも、両側の頰に、である。
Tに叩かれた瞬間、私は、目が、ちかちかしたのを覚えている。
ここまで、する必要はあっただろうか。
10.、昔、保育士をしていた、Tだが…
昔、1980年代後半になるが、
Tには、保育士をしていた時期がある。
実際に、私が、その保育園に通っていたので、
私は知っている。
その時、Tについて、やはり、子供への虐待行為があった。
「〇〇(ある子供の名前)は、なんも、言うことを利かんから」
「暴力じゃなくて、愛の鞭」
Tは、ある子供に、平手打ちしていた事を、こう言って、申し開きしていた。
非常に、大雑把、やまかんちきというか、
今なら、絶対、許されないだろう。
Tは、保育士と言っても、名ばかりであった。
昔は、このような保育士が多かったのだろうか。
11.Tのもう一つの側面
私の叔母の、Tには、別の側面があった。
昔、私が住んでいた地域の近くの、更に、ある地域に、
ある書店があった。
そのテナントの中には、あるケーキ屋と、
ある喫茶店があった。
メルシーという名前の喫茶店だったように思う。
保育士時代の、Tは、そこに、私を連れて行ってくれる事があった。
ここで食べる、ミート・スパゲッティは、とても、おいしかった。
この料理を知ったのは、この店が初めてだったように思う。
しかも、私が通っていた保育所の帰りだった。
私は、特別待遇だったという訳である。
このように、叔母の、Tには、優しい面もあった。
しかし、一方で、Tは、人に暴力を振るう面もあったのである。
いろいろ考えると、
1996年頃、突然、Tが、私に暴力を振るって来た事についても、
浮かんで来る事がある。
Tと、暴力といえば、Cの事である。
今、思うと、これは、Tが、結婚相手の、Cに、日頃、受けていた暴力からの、腹いせだったのではないか、と私は、思っている。
だからと言って、私が、Tのストレス解消役のように、Tから、このような事をされる覚えはない。
Tの行為の元凶が、Cだったとすれば、本当に、頭に来る話で、許せない話だ。
12.私の母の言葉
私は、どう考えても、あまり、Cの事は、尊敬は出来ない。
私は、Cの事を思い出すと、頭に来る。
私は、様々な理由から、
今年、2024年、Cが亡くなっても、Cの、通夜や、葬式には行かなかった。
私の母親は、Cに対する、私の反応について、
「人それぞれの考えやからね」と言いつつ、
話をしているうちに、以下のように言っていた。
「相手の事や、嫌いやからって、
葬式に行かん、なんて、子供やわ。
大人の社会てが、そんな事を言うとられんげんて」と言っていた。
これが、私の母親の本心だった。
こういう母親は、
昔、高校を卒業した頃の私に、
Cが言った、屈辱的な言葉を耳にしていない。
実際の会話の現場を見ていない。
私の母親にすれば、私の事よりも、
自分の妹の、Tとの付き合いが優先という事なのだろう。
実際、私の母は、独りになった、Tの事を気遣って、
Cの通夜や葬式の準備を、進んで、手伝っていた。
そのくせ、2013年の、私の母方の祖父の葬式の時、
私が、Cの乱暴ぶりを止めようとしたのに、
却って、私の母が、私の方を止めたのは、何だったのか。
私の母も、Cの事は、嫌いではないのか。
このように、私の母は、いつも、我慢をしている事が多い。
13.Cの子供
Cには、子供が二人いる。
その二人は、どちらも、女で、
どちらも、既に、結婚している。
Cの葬式には、その二人が当然ながら、参列した。
二人とも、身長が高かったり、
煙草を吸う以外は、あまり、Cとは似ていない。
どちらかというと、Tの方に似ている。
二人とも、私よりも、年が上だった。
この二人は、Cとは違い、
暴力などは振るわず、
私で言えば、漫画やゲームの話が通じる相手だった。
漫画なら、長女の方は、『ろくでなし BLUES』、
次女の方は、『3 × 3 EYES』と、『幽☆遊☆白書』が好きである。
私は、Cの子供達とは、年が離れていて、
あまり、付き合いはなかった。
というより、私は、Cの子供達よりも年下なので、
相手をされていない、という感じがあり、
私の方から、避けていた。
彼女らの父親が、Cである。
彼女らは、私と違って、Cに対しては、
よい思い出や、イメージがあったのだろうか。
14.私の兄
他に、私の兄も出た。
兄は、私とは、別の場所で暮らしているが、
兄の子供も出たようである。
兄の妻は、出なかった。
もしかしたら、私のように、Cに対して、何か、思う事があって、出なかったのかも知れない。
私の兄は、私より、九つほど、年が上だ。
Cの子供達は、私の兄とは、年が近く、
兄も、この二人と会う機会があれば、よく話をしていた。
「酒ぐらい、飲まんぎゃ、
人付き合いなんて、出来んわよ」
他に、こう言って、兄は、よく、ビールを飲んでいる時があった。
やはり、Cとも、よく一緒に酒を飲んだりしていた。
兄は、別段、Cの事を嫌っていた訳ではないし、
Cの子供達とも仲が良かった。
そのために、兄は、Cの葬式に、参列したのではないかと思う。
私の兄は、バイクや自動車など、乗り物関係が好きで、
漫画なら、『あいつとララバイ』、『湾岸ミッドナイト』が好きである。
他に、兄は、音楽などをよく聴き、ギターなどの楽器の演奏も好きだ。
キャンプや、バーベキューなどのアウトドアもする。
私とは違い、多趣味である。
昔、兄は、煙草を吸っていたのだが、
自分の子供が生まれたのをきっかけにして、
煙草を吸わなくなった。
15.私の姉
私には、他に、年が六つ、年上の姉がいる。
この姉も、Cの子供達とは、年が近く、仲が良かったのだが、
姉は、住んでいる所や、生活の事で、いろいろ事情があり、
Cの葬式には呼ばれなかった。
私は、それは、それでいい、と思っている。
私は、別に、この姉とは、仲が良かったわけではないのだ。
姉にも、Cや、Tと同様、気性が激しいというか、少し、変わった所があるので、
会えないのなら、それで、良かった。
私の姉は、映画なら、『風の谷のナウシカ』、
漫画なら、『シティーハンター』が好きである。
16.人から「子供」と言われても
頑なに、Cの通夜や、葬式に参列しなかった私は、
他の参列者からは、浮いていたかも知れない。
私は、このように、家族というか、
周囲の人間と意見が合わない時がある。
私は、そういう時、いつも生き辛さを感じる。
自分の意思を殺してまで、
人付き合いなどする必要などあるだろうか。
棺の中で、死者となった、Cの顔。
そのようなものを見る機会など、一生に一度しかないのだから、
参列するべきだったろうか。
私は、人から、「子供」と言われても、
Cの事で思い出す事は、腹立たしい事が多いのである。
今では、昔ほど、頭には来なくなったが…。