圓朝の「真景累ヶ淵」を訪ねて

圓朝の「真景累ヶ淵」の冒頭に「幽霊と云うものは無い、全く神経病だと云うことになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌いなさる事でございます」とある。神経病は明治初年の流行語との注もあるが、この時期になぜ流行したか、他にどのように使われていたのだろうか、気になった。

圓朝の「真景累ヶ淵」の「極大昔に断見の論というが有って、是は今申す哲学という様なもので」という説明も興味深い。明治になってから付け加わった「枕」だが、「断見」(断滅論)と「哲学」が重ねられている。かつて排除した誤謬の反復とみなしているのか。

六代目圓生の「真景累ヶ淵」では、枕の部分を噛み砕き、成立の背景の解説を交える。最初は「累ヶ淵 後日の怪談」として、「道具話」や「芝居噺」として道具立てだった。だが、明治維新後に扇一本で行うようになったなどと語っている。タイトルの「真景」と「神経」のいわれを、「神経病」と「断見」は落としていないので、やはりここが肝と考えられていたようだ。



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