同調圧力

昨日(2020/2/28)のCOVID-19にまつわる休校対応において、メディアやSNSではつくば市の決定が多く取り上げられています。

賞賛する声が多い中、疑問を抱く声もまた少なくなく、これについてはどこにその人の価値観軸を置くか?で意見は共有しづらいことだと思うので、市民としては市長が発信した決定を静観したいと思います。

さて、タイトルの件ですが、私はつくば市政や市長のSNS発信内容やタイミングについて、疑問を抱きつつ自分の中で消えていかないときは、SNSへのコメントや市へのメールなので忌憚なく意見や批判として発信しています。

先の記事にも書きましたが、残念ながらそうした意見や批判をすると、匿名での嫌がらせや病気扱いする誹謗中傷的な意見が届くことも少なくありません。

一つの意見に対する賛否もまた自由なので、自分の意見に対して反対の意見があることは全く問題ないと思いますが、問題なのは

「意見・批判することを躊躇させてしまうような雰囲気」

であると思います。

つくば市長は若くして市長に選ばれました。当時は総合運動公園の建設等についての住民投票まで行われるくらいに市内でいろいろ問題が騒がれたこともあり、多くの市民が変化や世代交代を望んでいたのだと感じたものです。

そんな若い(といっても私と3歳しか違いませんが)市長は、これからのつくば市を「世界のあしたが見えるまち」として、科学やスタートアップを軸に国内外へのPR活動を積極的に進めています。そして、そうした活動に賛同しSNS等で積極的に応援の声を上げているのも、同年代の比較的そのようなことが好きな人たちのような気がします。もちろん市の将来に必要だということで老若男女たくさんの人が応援していることもあるでしょう。

そこで問題と感じるのは

「市長を支援する世代がSNS発信を積極的に活用することによる弊害」

ということです。わかりやすい例がFacebook。

以前、市長が海外の空港にてノートPCを2枚重ねて使用し「つくば市のネットワークに海外から入って仕事をしてる」というアピールをしていました。それに対して「万全じゃないのだから、そうしたことは危ないのでは?気を付けてください」と私がコメントをすると、その数時間後に

「あなたの投稿は気持ち悪いですね」

という匿名メールが届きました。私は本名でFacebookから市長への疑問をストレートに伝えたのに、恐らく市長を応援する人にとっては不愉快だったのでしょう。わざわざ匿名を考えてこの1行のために私のHPの問い合わせフォームから送信してきました。

私自身はもともと人とは違う考え方だと自覚しているので良いのですが、それでも以降は若干意見や批判をしづらい雰囲気となりましたので、一般的な方でしたら怖くて二度と意見や批判を出来なくなってしまうかもしれません。

そうしたことが続くと、市長のSNSや市に対する意見は肯定的な意見のみ表に出てくるようになり、いつしか意見や批判を述べたい人への同調圧力となりかねない。というよりも既にそのようになっていると、Facebookのコメント欄を見ると感じざるを得ません。

「賛成する人が多数なんだから当たり前だよ」

と言われるかもしれませんが、そうした中でも少数の市民の疑問の声も、また大切なはずですが、それができなくなることが危ないと思います。

そもそも現在の市長も先日の市議会での市長選出馬を絡めた答弁にもあるように「前市政を批判した上で自分の意見を発信することで当選してきた」といっても過言ではないでしょう。そして、それは当時の住民投票で、民意で選ばれた市長の進めてきた総合運動公園に対して8割の市民が反対、つまり疑問を表したわけで、そうした結果が今の市長でありそれらを支援する方々であるわけです。

今の市長を批判したり疑問を投げかけることに対して

「批判ばかりして面白いの?」

「人の悪いとこばかり指摘してる」

という声も目にしますが、果たして4年前の住民投票の際に反対に投じた8割の市民の中で、「代案を示して反対をした」「本当にメリットは無かったのか?デメリットばかり強調したのではないか?」に当てはまる方がどのくらいいたのか?と思います。

24万人も市民が居れば、それぞれに対して好き嫌いは当然あるわけで、意見・批判をお互い言うこともごく自然のことです。ご近所住民に対して、会社の上司に対して意見や不満は多かれ少なかれ誰でも言っているのではないでしょうか?

では、なぜそれが自分が住む街を運営する組織やそのトップに対してとなった場合に否定されなければならないのでしょうか?行政に対して批判する人を「ご病気ですか?」と批判することは許されるのでしょうか?

現在のつくば市に住みながら、この「同調圧力」が少しずつ強くなってきているような気がしてなりません。

「人がやることだから至らない点はあります。それは市長でも総理大臣でも同じ。一所懸命やってるんだから応援できないのですか?」

という声も目にすることがあります。もちろん努力していることは理解できますが、だからと言って疑問を抑え込むというのは、同調圧力による言論封殺にも通じる危ないことです。

学術都市を謳うのであれば、学問の基本の一つだと思う「議論・意見を述べる」を大切にし、誹謗中傷を除く賛否意見については、気兼ねなく自由に発信できる雰囲気を作らなくては、「行政だけでなく市民も一体となって」という本当の意味での市民参加は望めないと思います。

願わくば、批判すら自由に出来るような雰囲気を感じられる街になってもらいたいと思います。



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