自分の考える持続可能社会
本日4月22日はアースデー 地球環境を考える日 なのだそうです。
生まれて初めて聞きました。
せっかくの機会だと思いましたので、自分の考える持続可能社会について書こうと思います。
人間は生きるためにエネルギーが必要ですし、ゴミを出したりする必要があります。
そのエネルギーを得るために発電して地球温暖化が進んだり、ゴミを海に捨てたりして地球環境が悪化していくわけですね。
環境問題についてネットで書き込みをすると
「それじゃあ地球環境の悪化を止めるなら、人類は原始時代のようにほら穴に住むか、人類を滅亡させるしかないじゃない!」
という極論を持ち出す人がいて、うんざりします。
そういう人への反論として今回の記事を書きます。
今回は
①「エネルギー」と
②「ゴミ」の
2つのことに絞って書きます。
まず①「エネルギー」なのですが
「環境に負荷を与えずに発電できる範囲内で生活が出来ればいい」
と思ってます。
ほんの150年ほど前の江戸時代は電気なしで生活が成立していました。
江戸時代の生活を学ぶのは、環境問題に大変有意義だと思っています。
また江戸時代の生活をそのままコピーする必要はないです。
現代ではほとんど環境負荷を与えずに発電できる自然エネルギーがあるので
その自然エネルギーで得られた電気エネルギーを使用できること考えれば、江戸時代よりも高い生活水準で過ごせるわけです。
仮に2022年現在に自然エネルギー発電のみで日本社会を運用したとしたら、昭和初期くらいの電気使用量が確保できる社会じゃないかなと思ってます。
昭和の電気使用量や、現代日本の自然エネルギー発電量など全く調べてないですけど。感覚的に。
311以降、自然エネルギーによる発電量と充電池の量は右肩上がりで増加しています。
また、充電池代わりに使える揚水発電などもありますので、天候による不安定な自然エネ発電を、無難にこなせる量が増えていってるはずです。
今後も自然エネ発電量が増えていき、省エネな電化製品が増えていけば、数十年後には自然エネルギーによる発電量だけで、日本中の消費電力を賄える日がくるのではないかと思ってます。
その日が私の考える持続可能な社会の到来日です。
これを身近な物に例えるなら「電卓」です。
電卓は電池が入っておらず、ソーラー発電だけでほぼ無限に動作しますから、まさに「環境に負荷をかけずに持続可能な物」と言えるのではないでしょうか。
次に②「ゴミ」のことについて書きます。
ゴミは人間が生活する上で絶対に出てくるものです。
ゴミは地球環境を悪化させるので、ゴミを0にすることを目標としてる人もいるようですが、私はそれはやりすぎだと思っています。
身近な生ゴミを例として話します。
私は毎日バナナやリンゴなどを食べてますので、それらフルーツの皮がゴミとして出ます。
そのフルーツの皮の生ゴミですが、ベランダにおいてる植木鉢の土に埋めると、一週間もかからないうちに形がなくなって土に戻ります。
「コンポスト」というものです。
何年か前に市役所のチラシにコンポストのことが書いてあって、面白そうと思って試したらうまくいったので継続してます。
ただし、このコンポストですが、一度に大量に生ゴミを入れると、ゴミが土に戻るまでの時間が長引いて、虫がわいたり、不快な臭いが漂ったりします。
私は、この虫が湧いたり、不快な臭いが漂う状態を「地球環境の悪化」と捉えてます。
この環境悪化を防ぐには、二つの方法があります。
一つは「ゴミを出す量を減らすこと」
もう一つは「ゴミを処理できる植木鉢を増やすこと」
以上のことからゴミに関して、この私の個人環境を社会にあてはめて考えますと
①ゴミを出すのはいいけど、少なくする努力をすること
②ゴミを処理できる施設を確保すること
この二点を考えて社会が運用できれば、環境への負荷はほとんどないのではないかと思ってます。
ただし例えば、原発の使用済み核燃料など、無毒化できないゴミは環境悪化にしかならないわけですから、私は絶対に反対します。
というわけで、①エネルギーと②ゴミについて書きました。
他にも色々と語りたいことはあるのですがそれはまた別の機会に。
それではまた。
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