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天地創造❸はじめの状態:〈トーフー〉と〈ボーフー〉 :תֹהוּ וָבֹהוּ

天地創造III はじめの状態:〈トーフー〉と〈ボーフー〉

前回の天地創造IIではバーラーという動詞に注目して、創世記1章で神様が創造したものは物質よりも、機能や意味ということを一緒に見ました。もちろん、神様は物質的な宇宙空間を造られたお方ですが、創世記の1章はそのことについてはあまり語っていません。むしろ、機能を創ったことに言及しているのです。

そうなってくると、はじめの状態という意味が変わってきます。もちろん、何もないところから、神様はすべてつくられるお方ですが、創世記1章では物質的になにもないことに重点をおいているのでしょうか。それを、是非一緒に考えてみたいと思います。

はじめに神が天と地を
創造〈バーラー〉された。
地は茫漠〈トーフー〉として
何もなく〈ボーフー〉
闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。
創世記 1章 1〜2節

ここではじめの状態は、茫漠(トーフー)と何もない(ボーフー)として書かれています。これらの単語は聖書でどのように使われて、どのように理解するべきなのでしょうか?


茫漠(トーフー):תֹהוּ

では、茫漠と訳されている〈トーフーは〉どういった意味があるのでしょうか?
今回もまず、聖書箇所を挙げてどのような状況で使われているのかを確認したいと思います。

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トーフーは偶像や荒野を表す表現として使われているところを見ると、物質的な「無」という概念とは少し違う事がわかります。少し、イザヤの記述を見て見ましょう。


 わたしは
 隠れたところ、
 闇の地の場所で、                 語らなかった。
 茫漠としたところ〈トーフー〉で
  ヤコブの子孫に 『わたしを尋ね求めよ』とは   言わなかった。
  わたしは主。
                    正義を語り、公正を告げる者。
イザヤ書 45:19

この記述を見るからに、ヤコブの子孫(=イスラエル)は〈トーフー〉に居たことになります。そして、その場所は「神が語らなかった場所」であることがわかります。創世記一章においても、「神は仰せになった」という言葉から、〈トーフー〉が消えていきます。
創世記一章のトーフーを宇宙ができる前の状態、もしくは、地球に酸素や、光がない状態だとすると辻褄が合いません。

〈トーフー〉というのはむしろ、「無秩序」という表現がしっくりきますね。
〈トーフー〉は「機能や秩序の欠如」を表している表現だと言えます。

何もない〈ボーフー〉:בֹהוּ

さて、上の表を見てお気づきの方もいるかも知れませが、〈ボーフー〉という言葉は〈トーフー〉が使われているときにのみ聖書に出てくる表現です。〈トーフー〉に付属してつけられる言葉です。旧約の中では〈ボーフー〉は三回しか使われない単語で、どれも〈トーフー〉と同じ時に使われることから、これも無秩序や、無機能の状態を表していることがわかります。

そもそも、〈トーフー〉と〈ボーフー〉が物質的な「無」と表現するとすれば、辻褄が合わない聖書箇所があります。

地は茫漠〈トーフー〉として
何もなく〈ボーフー〉、
闇が大水の面の上にあり
創世記1章2節

世界のはじめに、地が〈トーフー〉と〈ボーフー〉だった状態の頃にはすでに大水があった事がわかります。
このことから、〈トーフー〉と〈ボーフー〉が必ずしも、物質的な「無」の状態を表すよりは秩序的な「無」の状態を表すことのほうが辻褄が合います。
さらに、創造〈バーラー〉という単語が物質だけではなく、秩序や機能をつくる、意味をつくる力であることを考えれば、創世記一章は物質ができていったということよりも、なぜこの世界が機能し秩序立てられ、そしてそれらは「良かった」かということがわかると思います。
次回からは、神様が創造された一つ一つのことをゆっくりと見ていきましょう。

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