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聖書を読むコツ:いのちの木②            ー 人は木!? ー

人は木

「木々は聖書の物語の中で、とても大切で、生き生きとした役割を持っている。創世記1章を見る限り、木々は受動的な物質ではない。聖書のストーリーで要となる場面において、必ず木が登場し、能動的な働きをしている。」

聖書の中の木

聖書の中の言葉で、「かたち」などのキーワードはなん度も繰り返され、一貫したテーマを構築しています。例えば「かたち」とはヘブル語で「ツェレム」といい、数々の場面で用いられます。

創世記1:27
神はこのように、人をご自身の「ツェレム」に創造された。

出エジプト20:4-5
あなたは、自分のために、「ツェレム」を造ってはならない。・・・
それらを拝んではならない。

2コリント4:4
神の「かたち」であるキリスト

このように、「かたち・ツェレム」という言葉が聖書の中を旅をして、キリストに着地しているのがわかると思います。


「木」も同じです。この言葉も聖書のいたるところで旅をして、重要な場面に登場します。特に聖書の中で人々は「高きところにある木」のそばで神に会い、試練において失敗や成功を経験しています。

聖書の中にある木について面白い事実は、木というものは人に続いて聖書の中でよく強調される生き物であるということです。
(創 1-2, 出エ 3, 詩篇 1, ヨハネ 15:1-5, 使徒 5:30, 10:39, 13:29)
聖書のストーリーは、まず始めに神様がこの世界を美しく創り、人間がそれを管理するように計画します。しかし人間がその世界を壊してしまいます。そしてもう一度神様が世界を元に回復させる計画を立てる物語です。木々は聖書の中において計画的な場面に登場します。

例:
創世記18章 1節
主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現われた。彼は日の暑いころ、天幕の入口にすわっていた。


聖書の大切なターニングポイントとして以下の場面で登場してきます。
・創造の物語
・エデンの園
・人類の堕落
・契約
・約束の地
・メシア像
・イエスのたとえ話
・イエスの死
・聖霊の働き
・新しい創造


人々と木々はペア 創世記1章

さて、まず「初めから」、始めましょう。実は創世記1章から、人と木はペアで描かれています。第一日〜第三日と第四日〜第六日はペアになっているという話は、天地創造シリーズで話したと思います。そして、注目すべきは、第三日と第六日です。創世記1章(世界が創造された経緯)と2章(人が創造された経緯)を読むと以下のことがわかります。
第三日 ー 神が「木々」を「地から生みだす」
第六日 ー  神が「人」を「地から生みだす」

さらに、聖書の著者が書いたデザインを考慮して、このペアをまとめていくと以下のようになります。

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聖書の著者は第三日目と第六日目に関連性を持たせるように、サイメトリーな文学構造を用いて、読み手に木と人が関連していることを伝えてから、聖書のストーリーに入っていくように呼びかけています。これが、聖書を読む初めのマインドセットということになります。


木の命と人の命

さて、ここで命を考えてみましょう。まず、神はご自分で全てを生み出す者です。そして、人と木は「種」を持っています。どちらも、自分たちの中に、自分たちに「似た姿」を再現する、もしくは生み出す力を持っています。これは「神のかたち」の現れとして描かれています。
聖書の著者たちは、こういったシンボリズム・象徴を用いて、私たちに世界観を伝えることに長けている人々でした。
創世記1章の物語は、神様が木に自分自身で繁殖するように任せていることに、注意を向けさせようとしています。これを踏まえて読むと「木の命」が永続性の命の象徴であるというコンセプトを掴みやすくなっています。
(注:これは、一つの神のかたちです。全てではありません。聖書は生物的に次の世代を生み出せるものたちだけを神のかたちだと説いてはいません。現に、キリストは結婚しませんでした。)

人と木の起源と運命

聖書は人と木の起源と運命を語るときに、とても似ている言葉を用いています。
どちらも、「地から生じた」ものである
どちらも、「同じ終着点がある」(エデンの園の中央)

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さて、上の聖書箇所を比べてみると、
人:地から「ヴァィヤツァ」したものを、エデンの園に
木:地から「ヴァィツァマッ」したものをエデンの園に
配置しているのがわかると思います。そして、人はこの二つの木(善悪知識の木といのちの木)と出会い、試練に合うのです。

これらが「人と木の出会い」のモチーフとなっています。されに、このモチーフが発展していき聖書の物語の中で、人は「いのちの木」や「試練の木」の役割をはたしています。人が木の役割を果たし、その試練にあっている人に対しての選択肢となっているのです。どちらを選ぶか、どちらに進むか、誰に聞き従うか、聖書は人を「いのちの木」であったり、「善悪知識の木」であるかのように描いてくれているのです。
知恵の書である箴言では、知恵の女王と義人はいのちの木であると表現しています。

箴言3:18 
知恵(の女王)は、これを堅く握る者には「いのちの木」である。
これをつかんでいる者は幸いである。

箴言11:30
神に従う人の結ぶ実は命の木となる。
知恵ある人は多くの魂をとらえる。


聖書を読んでいく時、以下のような言葉に意識をすると深い黙想と、聖書のポイントがわかってきます。

人と木:聖書的言語ペア
・言葉、種
・実
・根こそぎ抜く(子供に恵まれない)
・切り倒される
・水
・葉

聖書的物語は、人々がどのように「いのちの木」や「試練の木」として機能しているか読むように設定されています。

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