見出し画像

観光地「嵐山」にある南朝の天皇陵とは

 京都を代表する観光地である嵐山にひっそり佇む天皇陵をご存じだろうか。その名も第98代長慶天皇だ。

 そもそもこの天皇の父である第97代後村上天皇は、南北朝時代の南朝側の天皇で、後醍醐天皇の皇子として、さらには後継者して戦いに次ぐ戦いで生涯を終えている。吉野を拠点にしながらも時には賀名生(あのう)まで逃げ延び、さらには北朝側の内乱である観応の擾乱の際には、京都にまで攻め込んでいる。現在、石清水八幡宮がある男山近くには、後村上天皇行宮跡の石碑も残っている。

210403 後村上天皇行宮跡

 長慶天皇は後村上天皇の第1皇子で南朝第3代の天皇。父後村上天皇没のあとをうけて南朝で即位した。すでに衰退の南朝側にあって、河内(大阪府)天野山金剛寺、吉野山や奈良の栄山寺と御所を何度も移している。軍事的には劣勢であったが、文化的には和歌御会などを多く催すなど、積極的に取り組み、『源氏物語』の言葉の注釈書『仙源抄』の著作もある。

 しかしこの長慶天皇の即位は長年謎めいており、明治以降専門家による考証によって、大正15(1926)年に至って初めて歴代に列した。一説には天皇は譲位後に南朝勢の協力を求めて、全国を巡ったことから各地に御陵伝説地が点在し、南部煎餅の祖とする伝承もある。御陵がある場所は、京都市右京区嵯峨天竜寺角倉町で、嵯峨東陵と呼ばれており、最寄り駅は嵐電の嵐電嵯峨駅だ。

 またこの場所は晴明神社が管理している安倍晴明の墓にも隣接しており、その墓の裏側には角倉稲荷と呼ばれる社があり、かつて京都の豪商であった角倉了以の邸宅があったことを今に伝えている。晴明の墓の前には早咲きの桜も咲くことから、嵐電沿線沿いにある車折神社と一緒に、早咲きの桜を愛でがてら参拝するのもおすすめだ。

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?