7/15 心を開くということ

私は基本的には化粧は好きじゃない。

この世がスッピンデブ髪ボサボサムダ毛ボーボーがマジョリティの社会だったらいいのにと思っている。

なので化粧禁止の高校まではずっとスッピンで過ごしてきたし、大学入学後もスッピンで貫くつもりでさえあった。

結局、私大キラキラギャルの圧に負けて、泣きながら親に「化粧をさせてください……」と一式譲ってもらい、私の化粧人生が始まった。

その後は少しずつ試行錯誤を重ね、石原さとみのCMを真似たり、ざわちんの物真似メイクの真似メイクをしたり、そして今は韓国・中国アイドルメイクを踏襲したスタイルに落ち着いた。

という感じで、最初は社会に適応して仕方なく始めたものではあったが、好きなものを真似ることで、ある程度嫌いではなくなったし、人生のルーティンに組み込まれるようになった。

さて本題に入るが、「化粧をする人間」になると生じるのが、「いつ、誰になら、スッピンを見せられるのか」問題である。

まず私の基本的な価値観を述べると、

①彼氏には段階を踏んで両方を見せる。
②スッピンを知っている旧友、またかなり仲が良い友人にはどちらの状態でも最悪会える。
③両親の前ではできるだけスッピン。むしろ化粧を見せたくないかも。
④会社の人、知人程度には原則スッピンは見せない。
⑤一人の時は基本スッピン。おしゃれ街に出るときは逆にバチバチに決める時もあり。

というような5ヶ条がある。
一人、彼氏、両親、というような家族的関係性だと化粧は必須ではないなと思う。
一方で、それ以外の関係性の場合はマナーとして、そして自身のアピールとして化粧をしていく。
ざっくりそういった線引きにしていて、仲の良さによってやや変動があったり、っていうのが私の中の「普通」だと思っている。

なので困るのが「好きなときにスッピンでいいんだよ!」派閥からの強引なスッピン勧誘である……。

コロナ禍でのコミュニケーション機会向上のために、ここ半年くらい「リモートでの朝礼で顔を出す」ことが義務づけられるようになった。
 
それ以外で会議や商談がしょっちゅうあるならもちろん朝から化粧をして朝礼に臨むが、異動前も今も、基本的には朝礼しか顔を出す機会が無い。

となるとせっかく化粧をしても化粧品のムダ、ただの肌荒れになるムダ、で化粧をするメリットが無さすぎるのだ。

しかしながら私は会社の人にはスッピンは見せないという信条がある。
なので折衷案として、スッピンにマスクをして参加することにした。
これで前髪も下ろせばほぼ目元しか見えないし、御目汚しにはならないだろうという目論見である。

実際、顔出し朝礼はただ起きてるかの確認だし、発言はマスクしてようができるし、表情は目元やジェスチャーで十分だ。なんだったら音声だけでもそこに存在感を出すくらいに会話を回す自信さえある。
てかそもそも出社の人はマスクしてるから、それとなんも変わらんわけ。

にも関わらず、「なんで家なのにマスクしてるのー!」「スッピンでもいいじゃんー!」派閥がやってくるのだ。

一理なくもないが、そうしたら私の中ではもう、「じゃあ普段の出社も、コロナ明けてマスクしなくなっても、“スッピン“でいいじゃん」となってしまうのだ。

そうしたらもう私の信条は全て破壊され、常にスッピン人間と化すだろう。

大学時代のサークルの合宿でも同じことを思った。

合宿って、だいたい食事や飲み会の前に風呂に入る流れになっていると思う。
(正直これもほんとはちょっと嫌だなと思っている。家みたいに飯食って風呂入って寝たい)

ここで、入浴後に化粧するかしないか論争が出てくるのだ。
結構な割合で「面倒だしもういいじゃん~」と言ってスッピンで飲み会に参加する人がいる。
しかし私は「じゃあ今まで化粧してみんなに会っていた、あの苦労の日々は何?!」となってしまうのだ。

多少悩みはするし、スッピン勢の中でバチバチにキメる訳にもいかないので、ナチュラルに留めはするものの、結局私は軽く化粧直しをし、飲み会が終わり次第また落として寝るのだ。

ということで、会社にしろ大学などの友人関係にしろ、「今まで化粧してきた努力」と天秤にかけた結果、今後も化粧をして生きていく=スッピンを隠して生きていく方を選んでしまうのだ。


「無人島に化粧品3種類持っていけるなら何がいい?」という、コンプレックス暴く専用心理テストがある。

私はファンデ、コンシーラー、アイブロウのベースメイク三種の神器からわかる通り、肌が一番のコンプレックスである。

ニキビによる赤ら顔、毛穴、乾燥、テカリ、などなど、そこら辺を隠せればあとは最悪なくてもいいかなというような感じ。

それはどうしても、Zoomのフィルターをかけてもなんだか気になる感じで、自分自身が目を当てられないので、化粧をしないのならいっそマスクで目以外を隠したいのだ。
(逆に目がコンプレックスだったらアイメイクだけするとか眼鏡をかけるとかで対応してただろう)

なのでどうしても「口を開けて発言しているところが見たい」などの要望があれば普通に化粧をして対応をするだろう。
まぁ現在はマスクしてない人でも無言無表情なので、マスクの有無は全くコミュニケーションに影響を与えていないと思いますけどね()

ということで、特に私はこの信条を変えるつもりはないが、ただたしかに「好きなときにスッピンでいいじゃん!」の方が楽だろうなと思う。
つまり私がこうなるには、「まぁこの人たちにならスッピンで対応してもいっか」と家族のように認識できる程度に、心を開く必要があるということだろう。

それの善し悪しは置いておくとして、たしかにもう少し「仲の良い友人」のハードルを下げてみてもいいのかなと、思ったりした夜。





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