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【小説】なないろトマト               


              今秦 楽子

〈あらすじ〉

12年後の日本では
めざましく発達する人工知能AIが
人間の仕事を奪っていった。
増加する失業者に対し
政府はベーシックインカムを
導入する決断をした。

一律12万/月

岐路にたった新社会人たちは、
豊かさを求め、
瀬戸内の古民家で共同生活を始める。

営業職で食べていく事を選択した裕(ゆう)。
彼を取り巻くシェアメイトたち。
豊かさを得るための労働とは。
働くこととはなんだろう。
裕の苦悩と自立を描く。





2035年。

日本においても
ベーシックインカムが導入された。
国民ひとり12万円/月の支給。
赤ちゃんから死にゆくその日まで支払われる。

人は食べるための労働を手離し
豊かさを得るための労働にシフトする。

1年後の施行を前に若者たちは
選択を迫られた。





2034年、春。
10年前からじわじわと浸透させようとする
  政府の施策は来年の僕たちの卒業と共に
               施行される。



□■大学生、裕(ゆう)の場合

♢1


「裕は、就活だよな。何社うける?」

そう言って親友の淳也はどこか余裕の
ある素振りで話しかけて来た。

「淳也と始める古民家からリモートで
仕事できるところにとりあえず2、3社ね」

卒業したら広島の瀬戸内を望む家に僕と淳也、その他5人ほどが集まって暮らす予定に
なっている。
就活のいらない淳也は古家を探し回る予定で。

ベーシックインカムのおかげで
僕も淳也も思わぬ方向へ舵を切った。
支給内で出来る暮らしに淳也は仕事に就かず
畑を耕し、たまに絵を売ると言った。
僕はできれば営業職につきたいと思っている。


大学では教授がこんなことを口にした。

「就職を目指すものだけ、
このゼミに残ってもらおうと思う。
将来のことよく考えて身の振り方を
決めておくように」

淳也は余裕で笑っていたけれど。

なんとなく就職できるだろうと、この大学へ
入学した。3年前にはベーシックインカム
なんて気にも留めていなかったのに。

発達するテクノロジーでA Iによる労働力の
乗っ取りが行われていた中、働けなくなった
国民を補償する政策として国が打ち出したもの。
それがベーシックインカム。

僕の大学でも就職するものそうでないもの、
多様な暮らし方が提案された。



♢2


「楽しければそれでいいんじゃん」

そんな風に笑う淳也はキラキラしていてて。
あちこちから情報をすくって来ては
ふるいにかけて、よりよい明日を探している。
今は広島で暮らすメンバーを探している最中だ
といい二、三人には一緒に古民家の改装に
加わってもらいたいと言った。

「ゼミも抜けることだし一度みてくるわ」

淳也のフットワークの軽さは想像以上だった。

僕も就活するといえ、
なければないで広島の家でしたい事を
探せばいいななんて、
そんなに就職にこだわってもいなかった。

淳也のように絵は描けないけれど、
何らかの可能性はあるだろうと思って。
ただ組織というものの中で自分を試したくて、
新しい人間関係を築きたいなんて気持ちも
あって就活を始めてみた。

日を変えて僕はあるシステムを売る会社の
3次試験、面接試験に臨んだ。

洗顔後にはお気に入りの化粧水をつけて
保湿クリームをのばす。最近は肌の調子もよく
一時期悩まされたニキビも減って。
わからないくらいに薄めにメイクを施して。

すこしかしこまったジャケットに
日頃手入れして来たこの顔で印象を上げる。
お肌のお手入れもこの日のためというのも
あながち間違えではなかった。

どの会社も面接試験はリモート面接なので、
緊張もさほどなく気さくにアピールできた。



♢3



「広島の家、夏休みには僕も合流できるし、
連れて行って欲しいな」

夏休み前に就職を決めた僕はあと抱えるのは
ゼミの論文ぐらいで単位もだいたい
取れていた、淳也とは違って。

「ちょうど次から作業にかかるつもりで
いたから、よかったら助けてよ」

「僕でよければ。
住む家の改装から手伝えるのは嬉しいし」

夏休み、淳也と広島を目指した。
淳也が集めたメンバーも合流して。

「はじめまして」

僕と淳也が挨拶を交わしたのは、智希くん。

「智希です、大阪から来ました。4回生です。
淳也さんとは話したんですが、ここで
コワーキングスペース兼カフェを営もうと
思っています、よろしくお願いします」

智希くんは細身でも
要所要所に筋肉の塊を携えた身体で。
この淳也の発信した古民家再生の話を知り、
就職を蹴って参加したなんて話してくれた。
コーヒー豆を自家焙煎するのが楽しみとも
いった。

「愛莉です。二十歳です。愛知から来ました。
友達の百華とメンバーになる予定です。
以前はアパレルの店員をしてたんですが、
この家が完成したら、
畑とその野菜でサンドウィッチの販売が
できたらいいなって考えています」

「百華です。愛莉と同じく愛知から来ました。
歌が好きでアコギを弾きながら配信なんかも
しています。
愛莉の畑を手伝いながら、曲が作れたらな
と思っています。よろしくお願いします」

二人組の女子たちはおとなしそうに僕たちを
みていたが、話すと強めの発声で僕たちに
すーっととおった声を届けた。

「それとこちら大山さん、古民家再生すまいる
のNPO代表で僕たちの家の改装を支援
してくれる方で、指導もしてくれます」

日に焼けた大山さんはTシャツの上からも
ガタイのよさを醸し出している。
民家があちこち空き家になって再生させては
移住者を受け入れて、
何より日本の家屋の質の良さ、
可能性の無限性に心奪われていると言った。
僕にはその大山さんの言葉から
「営利」なんてみじんも感じられなかった。



♢4

「すごい草だねー」

広い庭にはたくさんの草が茂っていて。
大山さんの持って来た草刈り機で
まんべんなく刈ったたあと、
僕たちが手作業でスコップやシャベルで
雑草の根を掘り返していった。

僕は智希くんと作業スペースが近くなって、
一言二言、交わし合った。
就活が言ったほど厳しく感じなかったのは
ベーシックインカムの兼ね合いなのかななんて
世間話から。

智希くんはエンジニアとして就職を
決めていたけれど、そんなにときめかなかったと
言った。

それより淳也の話を聞いて
深刻な地方の過疎問題に何かできるならと、
こちらの暮らしを選んだらしい。

都会からの移住者に、
安定したシステムでコワーキングスーペースの
併設をと淳也に提案したそうだ。
淳也とは連絡を重ねたみたいで
打ち解けあっていたようだった。

またコーヒーの自家焙煎もその場で
飲んでもらってもいいし販売してもいいし。
各地の豆を直接取り寄せて今、
吟味してると言った。

庭の土にスコップで垂直にひとさしして
掘り返すと根が付いてくる。
地味な単純作業だけれど、一回一回手応えが
異なって、夢中になる。
そんな中、夢の話をすると膨らんでいく未来が
見えた。

愛莉ちゃんと百華ちゃんは二人並んで
作業して。日焼けが気になる愛莉ちゃんは
大きなつばのある帽子に首の後ろをタオルで
かばっていた。

まとまった雑草をかためてはゴミ袋に
持ってくるのは百華ちゃんの方だった。
百華ちゃんは愛莉ちゃんとは反対に暑いから
と肩を出した服装になって、
最低限の日焼けクリームだけ塗って来たと
話した。

晴天の空に輝く百華ちゃんの背中は、
天使のような、実直な働きアリのようだった。


♢5


「お疲れさまー!」

ゲストハウスで乾杯をする。
並べられたカレーを前に、
アルコールが飲めない愛莉ちゃんと智希くんは
フレッシュジュースを掲げた。

大山さんの紹介で来たこのゲストハウスは
僕らの家から車で10分という場所に
建っていた。
ここもまた大山さんが手がけたらしく
古い民家の匂いがした。

みんなで作ったカレーはニンニクが入ったり
セロリのみじん切りが入ったり
トマトが入ったり。
智希くんや愛莉ちゃんのアイデアが
採用された。

大山さんが差し入れてくれた食材は
新鮮なものばかりだった。
この町の物流は自動化が完了していた。
ドローンが商品をはこび、
自動運転のタクシーが人をはこんでいた。
スーパーは店舗を無くし倉庫から配送する。
地産地消、
地元の農家から差し入れられたものだった。

話によると
淳也の畑もドローンで出荷するらしい。
免許を持つ智希くんの手によって。

「お疲れさま、どう?俺の集めたメンバー、
あと二人くるけど」

湯上りに濡らした髪の毛をタオルでこする僕に
ワインとグラスをもって淳也が隣に腰掛けた。

「みんな、いい子そうじゃん。
智希くんはけっこう話せて気が合うと思った」

僕は話の中心にいる淳也が少し羨ましかった。
誰とでも打ちとけて一緒に何かを
起こそうとしている淳也、
それに引き換え自分のことしか考えていない僕
はどこかひけめを感じた。

「仲間」という単位のなかにはじめて
立った僕は人との距離感を見誤りそうで、
そんな事を淳也に言っても
仕方ないと思っていた。

「明日から家を触るって言ってたから、
エネルギーためて挑まなきゃいけないね」

新しいメンバーがどんなだの、
いよいよ始まった僕たちの家がどうなるか
だの夜更まで淳也とふたり語らった。



♢6

「いきます!」

灯りが大きくともった。
静かな夕暮れ、汗の匂い、木屑の香りが
混じり合う。
カフェスペースを厨房をリビングスペースを
煌々とその灯りは照らした。
この家に命が宿ったようだった。

隣を見ると淳也の頬に涙がひとすじ
つたっていた。
彼のこの家に対する気持ちは、
僕の思うのよりもっと熱くて。

ようやく住める状態になったこの家に、
愛莉ちゃんと百華ちゃんが住みはじめた。

二人に留守を任せて、
僕たちは一旦大学の生活に戻る事にした。
淳也は卒業するのに単位がギリギリで。
僕は卒論のためゼミに参加した。

秋が深まり街路樹が色付きはじめ木枯らしを
感じるころに、単位が取れた淳也が一足先に
広島の家に住むと言った。

僕はまだ大学に縛りつけられていて。
淳也のことを気楽でいいなと思っていた。
僕は卒論に向き合うしかなくて。
これから社会人になる実感を少しずつ
かみしめていく。

東京の作られた緑地や海や低い空で
僕は呼吸している。
吸い込んでも楽にならない空気を
吸って吐いて。
あの夏、海が見えて青空が広がって山も近い、
暑いなか作業した広島の家と比べて、
今、僕はちぢこまってどうしようもなく
ここを離れることも出来ないでいた。

淳也と比べるべきではないのはわかっている。
だけれど、彼の自由奔放なところ、
強いリーダーシップ、才能。
どれをとっても魅力でしかなくて。

それにそぐわない自分を
さげすんでみてるだけだった。


♢7

「寒いな」

東京にも雪が降り、
光がキラキラと並木道を照らす。
都会が都会たるきらめきに包まれ、
もうすぐここを去るのかと思うと
愉快でもあり憂鬱でもあった。

僕は僕らしく生きるだけなんだと
言い聞かせながら、心の片隅にくすぶる
モヤモヤを昇華できないでいた。
そんな冬。

やっと重荷だった論文を書き上げ、
僕は最後のゼミを終えた。
風はまだ冷たいけれど、確実に暖かな日も
やって来て桜は春を待ちわびている。
まだつぼみをかたく携えて冷たい風から
身をちぢこまらせていた。

少し経って淳也が卒業式のため上京して来た。
僕の家に3日泊まった。
淳也は広島の話を盛りだくさん持って来た。

畑を引退しようかという農家さんから
3人でできそうな土地を借りられたこと。
今のうちに鍬を入れ
愛莉ちゃんと百華ちゃんに育てる野菜を
決めてもらっていること。
古民家再生に携わりたいこと。
パン職人の男の子とVチューバーの女の子が
やってくることを教えてくれた。

淳也の持って帰ってきた瀬戸内の風とは
全く別の無機質なこの東京で僕らは卒業した。



♢8

「営業部に配属になった細木 裕です」

PCの向こう側には数名が本社の会議室から、
そして5、6人ほどが自宅や作業スペースから
僕の挨拶を見守っていた。
先輩の菅田さんが
これから指導についてくれる事、
もしもリアルで本社の仕事がしたければ
いつでも出社していいと付け加えてくれた。

僕は本社に通って慣れることも考えて、
入社日からしばらく広島に行くことを控えた。
とりあえず、リモートで仕事が覚えられるか。
そこにかかっている。

「細木くん、地方行くんだってね。
もしよかったら、
それまでに東京組で集まろうって話しててね、
どうだろう、細木くんも東京にいるうちに
参加してくれたら」

入社して1週間ほどたったある日、
菅田さんから会議の前にこんな話が出た。

そう、僕は入社したけれど、
何か実感が沸かない空虚な世界に
身をおいていた。
それが何なのかようやくわかった気がした。
二つ返事で参加の意思を菅田さんに伝えた。

とある金曜日、
新宿にある居酒屋で僕を含めて4人が集った。

「お疲れさまー」

それぞれサワーを持って乾杯した。
今日は僕の歓迎会でもあり、
移住に伴う送迎会でもあった。

「細木くん、古民家に住むんだって?」

いきなり
菅田さんが僕のこれからに絡んできた。

「そうなんです、
夏休みに住むメンバーで手入れして。
今すでに4人が暮らしてるんです」

菅田さんはベーシックインカムが始まった
今だから出来ることで、
全然準備してなかった自分たちはしたいことが
仕事になってる現状なんだと嘆いていた。

「これからどんどんIターンは
増えるんじゃないか?」とぼくが付け足すと、

「こうして、リアルで仕事仲間と集うのも
捨てられない」と返って来た。

今回こうして誘ってもらって思うことは、
ほんとそうで、
リアルで付き合える人たちと仕事をするのは、
何ものにも変えられないというものだった。
来週1週間は会社に出社して覚えられることは
覚えて広島に持ってきたいと決めた。
それに菅田さんも乗ってくれた。


♢9

「遅い合流になりました」

僕は広島に居た。
そして玄関先で淳也に出会った。

東京では菅田さんのおかげで
リモートでするべき仕事も少し進められた。
2回ほど菅田さんとサシで飲んで。
人間臭い先輩だった。
あの日と今日のギャップを埋めながら
淳也に目を配せた。

「お疲れさま、来たね!これで全員そろった」

広島は晴れていた。
瀬戸内は太陽の反射でキラキラと穏やかな顔で
僕を迎えてくれた。淳也は泥のついた長靴で
首から垂らしたタオルは地元のアニキの様で。
そのタオルで汗を拭いながら、
これもまたキラキラした笑顔で迎えてくれた。

「荷物は二階においているから、
上がって奥の右側ね。おれと同じ部屋。
よろしく」

淳也はそう言って、
玄関からすぐ見えている階段を指差した。
あの日みんなで仕上げたこの家は住人の生活の
かおりをまとっていた。
けれど材木の匂いや皆で塗った壁の質感は
紛れもなく僕たちで作った家だった。

リレーで新しい畳を入れた二階の部屋は
8畳の部屋が4つ。
僕の部屋は奥の右手にあった。

手荷物と郵送した荷物を開け、
すぐ使うものだけ取り出した。
ノートパソコンを手に
一階のカフェスペースに降りてみた。

縁側から瀬戸内を望むここのカフェは
床の間を残したまま畳を床に張り替えた。
思い出の空間。
今は和モダンをモチーフに智希くんの選んだ
家具が置かれている。
智希くんセンスの良さがうかがえる。

カフェブースには幾本の竹で編まれた
テーブルやチェアーが。
そこには二組のお客さんがコーヒーを
飲みながら縁側の方に目をやっていた。

ワークスペースには
広さのある大きなテーブルを囲むように
座り心地の良い椅子が並んで。
パソコンを置き、そこへ腰かけてみた。



♢10

「いらっしゃい」

智希くんが挨拶した。
するととキッチンの方からコックさんの服装で
和成と名乗った男の子もやってきた。
和成くんは袖をまくった腕は筋肉質で
手もゴツゴツしていた。
そんな肉体に比べて太めのまゆに大きな目は
チャーミングだった。
明日の惣菜パンの下ごしらえをしていた
と言った。

二人揃ったところで

「開店おめでとう」

なんて義理がたく挨拶を言った。

「アイスコーヒーをひとつください」

智希くんに注文するとお客さんが帰ったら、
みんな集めるよ。
と二組の客に遠慮して小さな声で伝えた。
そして声を出す仕事の時は庭にある
個室スペースを使って欲しいと加えた。

僕は手にしたパソコンの動作はどうか、
庭の個室から会社と繋いでみた。
画面の向こう側には菅田さんが
応答してくれた。
庭にある納屋を改装したという個室スペース
からは動作は問題なかった。
明日の会議は大丈夫だと安心した。

一通り確認した後、智希くんの入れた
水出しアイスコーヒーをひとくち喉に送った。

庭でする仕事は思いのほか気持ちよかった。
瀬戸内が運ぶ海風は僕を開放的にして
胸を張ることができた。
東京でアスファルトの中建っているビルの合間
を漂っている僕はちぢこまっていたから。

「ありがとうございました」

智希くんが最後のお客様を送り出しながら、
片付けを始めた。

「裕くん、久しぶりです」

畑から帰ってきた愛莉ちゃんと百華ちゃんが
カフェスペースに戻ってきた。
半年ぶりに会う彼女たちは日に焼けて。
あんなに気にしていた日焼けをモノともせず
作業着を着た愛莉ちゃんは、
もう日焼けなんて気にしていられない。
と言った。

畑の一部で栽培を始めたけれど、
まだ土づくりの段階でまずトマトだけ、
植えたのだと言った。

簡単で収穫が楽で、
なにより愛梨ちゃんのサンドウィッチに
入いるトマト。さまざまな色でいろんな
種類を植えたらしい。
僕たちのようにさまざまなトマトたち。

部屋へ戻った百華ちゃんが色白の美人を
連れてきた。
詩と名乗ったその子は自室を使って
VRアイドルをしているという。
ちょうど配信が終わったらしく、
百華ちゃんと降りてきた。

和成くんの仕事の片付けが終わった
ダイニングで、淳也も揃って
みんなが集まった。
灯がともったあの日のように
皆がそれぞれ希望を抱いて集まる。
さまざまなトマトたちのように。



□■V Rアイドル、詩(うた)の場合


瀬戸内みたいな明るい世界、
わたしには不釣り合い。
詩はそう思いながら広島にやってきた。

あれはV Rの世界で見つけた貼り紙。
「瀬戸内の古民家で僕たちと暮らしませんか」 
淳也くんとの出会いだった。
見かけた張り紙に書き込んだ、
「興味あります」 と。

わたしは自分に自信が持てなくて、
小学校の途中から不登校になった。
誰とも接することなく家でただ寝ているだけを
していた。
見かねた親がV Rの世界で行われっている
リモート授業を薦めた。

こんな世界もあるよと買ってくれたグラス。
その先にあるメタバースの世界では、
自分を認めてくれるのは大人たちなんだと
実感した。
大人たちの価値観や寛大さはわたしの心に
スッと入ってきた。
授業もある程度出席できたのも彼らのおかげ。

何よりメタバースで出会ったkonekoさんは
かけがえなくて。
わたしをVRアイドルとして育ててくれている。
彼女は女性のスカウトマンだった。

あの時から今もずっと。
中には彼女のことをよく言わない大人も
いるけれど、わたしは彼女を信頼している。

わたしは「close eyes」という3人組の
ユニットを組んでいて。
ファンも着実に増えて、
メタバース内でステージやイベントを
開催している。
陽気なキャラクターの二人と反対に
ドライなキャララクターで。素でいっている。
だから心から楽しいし、
メタバース内では心地よく暮らせている。
リアルな世界ではまだ猫をかぶっているの
だけれど。

18になったら
家を出て暮らそうと考えていた。
もう親に心配かけたくない。
淳也くんの応募の貼り紙に飛びついた。
いろんな業種の住人を探してると淳也くんは
言った。
Vチューバーは今まで応募がなかったと言い、
食い気味に話を進めてきた。

共同生活だから共用部の掃除や食事の準備など
労働でもいいし対価でもいいので
納めて欲しい。
また自室の掃除は各自行う事。

まるで家にいる時と同じ様な条件で、
田舎暮らしができるのはわたしが求めていた
暮らしだったのかもしれないと
当時は思っていた。

けれどこんなに瀬戸内がキラキラした
ロケーションなのかとは思ってもみなかった。



□■パン職人、和成(かずなり)の場合


ずっと変わらずにいるのかと思っていた。
福岡で高校を卒業して専門学校を出て、
ある大手のパン工房で修行した。

毎日同じ時間に出勤して、
朝から小麦粉と向かい合う。
焼いたパンが売れてゆき、
ストックがなくなればまた小麦をこねて。

か細かった肉体も頑丈に肉づいて、
精神も鍛えられたと思う。
日を追うごとに教えてもらう立場から、
教える立場に変わって、
同期も独立をしたり、
この道を諦めたりと、
周りの意見が見えなくなって。

決定的だったのは去年のこと。
工房の手がオートメーション化した。
小麦粉に向き合ってきたのが今度は機械に
向き合う。
仲間たちが離れ、機械の守りが主たる仕事に
なってもまだ僕は変わらずにいた。

そんな中、SNSで見つけた、淳也の書き込み。
「瀬戸内の古民家で僕たちと暮らしませんか」 
なんとなく問い合わせてみた。
淳也の声は甲高く人懐っこい
イントネーションでおれの耳に飛んできた。
古民家はちょうど手入れが終わった段階で
早速ふたりが住んでいるらしい。

ひとりの女の子がサンドウィッチを
作りたいと言っていて、
そのパンを焼いてあげられないか、
と淳也は伺いをたてた。
それぐらいはどうって事ないけれど、
なんで自分のことでもないのに、
人の世話をするのかが疑問だった。

変わっていいんだ、
と僕が僕の背中を押した。
ベーシックインカムが始まるのを機に
淳也の古民家に移住することを決心する。
そして、焼きたいパンだけを焼くことを
決めた。パンで笑顔になる人に届けたい。
お金じゃなくて、
おれの手仕事で幸せになる人がいれば
それだけでいい。
つまらない機械相手にする仕事の人生なんて
自分らしくない。
僕らしさを求めて瀬戸内を目指す。

淳也に居住を申し込んだ日からおれは
未知の客のために、
喜んでもらえるレシピを考え始めた。
淳也とはしょっちゅう連絡を取り合って。
季節ごとに植える野菜があるから、
それにあったレシピを考えてみてはどうか。
と提案もあった。
春が来るのがみるみる楽しみになった。

キラキラした瀬戸内はおれを歓迎する。
淳也の古民家の玄関を勢いよく開けた。

「いらっしゃい」

5人の笑顔が迎え入れてくれた。




□■サンドウィッチ販売、愛莉(あいり)の場合


大きなことは何も決められずにいた。
中学を出て通う高校も
親と先生が推した高校に行って。

そこで出会った百華の行動力に
いつも引っ張ってもらって。
いつも一緒だった。
おしゃれも、百華の読むサイトを
わたしも習って、
百華と似たスタイルで街をかっ歩していた。

「ふたりは兄弟?」 
なんて言われるのが嬉しかった。
けれど、百華はだんだんと変わって行った。

キレイな格好もしなくなって、
音楽に興味が行ったみたいだ。
ある日突拍子もなくギターを片手に
ストリートで弾き語りを始めた。

わたしは百華の音楽は分からない。
けれどオーディエンスになる事だけで
百華を失わずにいられる様な気でいた。

彼女は高校卒業後、楽器屋で働いた。
休みの日にはストリートで活動をして。
何か一緒に仕事ができるかと
思っていたけれど世界が違った。

卒業後どうするか悩んでいて。ふと見た求人。
かつて百華と通った
思い出のアパレルショップの募集があった。
わたしはまだこの店の服を楽しく選んで
着ている。
洋服のこだわったシルエットが好きなこと、
素材や色の多展開が
着る人の可能性を秘めていることなんか、
フワッとした言葉なのに
店長は笑顔で聞いていた。

「いらっしゃいませ、
どうぞ、見て行ってください」

メタバースのネット展開が主流な中、
店舗運営は客をなかなか取り込めないでいた。
店長とわたしだけの空間。

店長は
わたしのコーディネートをよく褒めてくれた。
アイテム選びもセンスがいいと。
ただ接客に
強引さがもう少しあっていいんじゃないかとも
加えた。

人との距離がなかなか詰められないわたしは
接客に対して弱気だった。
日に日に客の波が小さく消えそうで。
店長もよく奥で本社と連絡を取っていた。

「ねぇ愛莉ちゃん、ネット展開の部署に移動、
っていう形で次の契約更新はできないかな?
自宅でできるんだけどね」

わかっていた。もうこの店も閉店が近いこと。

「実際に洋服を触られないならお店、
辞めます」

淳也くんの古民家移住の話を
百華が持ち込む1週間前のことだった。




□■歌手、百華(ももか)の場合



がむしゃらにやって来た。
高校を卒業して歌のために。
金山の駅前で歌い続けてきた。
愛莉が休みの時は
彼女に配信の手伝いを任せて、
二人でやってきた。
少しずつフォロワーもついてきた。
ほとんどは
愛莉がおさめた路上ライブの動画から派生した
形で。

来年からベーシックインカムが始まる。
歌仲間たちはその話で持ちきりだ。
俺たちの時代が来ただとか、
夢を諦めちゃダメだとか。
ミュージシャンを貫くことを肯定している。

わたしももれなくそのひとりになるけれど、
自分の表現のためだけ存在していいのか、
自問している。

もしそうなった場合、創作活動
と同時に何かボランティア活動をしたいと
思い始めていた。
YouTube配信で見つけた古民家再生の動画。
最後の画面にボードを見せながら、
こんな文言が書かれていた。

「瀬戸内の古民家で僕たちと暮らしませんか」

淳也くんの姿だった。淳也くんはNPOの方と
古民家を探している、理想の古民家に
出会うまであちこち探して回ると言ったVTR
だった。

そして他の古民家再生にも労力として
参加していた。

「ギブアンドテイク」 

だなんて言って、
まったく関係ない古民家での作業風景も
映し出されていた。

感銘を受けて、
行動力のわたしは淳也くんにコンタクトを
取っていた。
淳也くんからはもし仕事をしたいのであれば
畑をすればいいと、提案があった。
高齢化で畑を手放す農家も
だんだんと増えてきていること。

せっかく育てた土を手放すとまた
育て直すのに時間がかかること。
農家が今、後継者を探していることを
切に話してくれた。

愛莉、愛莉に、聞いてみよう。
彼女も仕事を離れたばかりだから。
キレイなアパレルの仕事ではないけれど、
どうだろうか。

「え? 広島? 瀬戸内?? 」

ダメもとで話してみた。
アパレルから農業とはかけ離れているけれど。

「作った野菜でサンドウィッチ販売とか
アリかな?」

愛莉から帰ってきた言葉はこうだった。
初めて自分のやりたい事を思い浮かんだと
照れ臭そうに教えてくれた。


□■カフェ兼コワーキングスペース運営、智希(ともき)の場合


きっちりした性格で、
難なく中学受験も大学受験も卒なくやり切って
きた。

来年の就職に向けて知識も技術も伴って
みんなが知る通信会社大手のエンジニア職を
エントリーした。
なんとなく今まで歩んできた通りなんとなく。

最終面接の時、この会社、この業界に
いるべきではないと思った。
役員の「社員を数としてしか見てない」
発言に失望した。
就職に対してもときめかなかった。
そうと言って辞退する勇気もなかった。

家族は第一希望の会社へ入ると決めていたから。
エントリーした会社全てからも内定を頂戴して
いて。

僕の気持ちは何も進んでいなかった。
友達から面白いよ、
と勧められたYouTubeを見るまでは。

そこには泥臭い淳也くんが映っていた。
自分に関係のない古民家の改装の手伝いを
しながら理想の古民家を探しているという動画
だった。

その動画のシリーズを全て見て、
淳也くんに連絡した。
ぜひ古民家の再生に参加させて欲しいと。

自分自身、こんな行動を起こすとは
思っていなかった。

就職に対する嫌悪感と新たなまち再生に一役
買いたい事を、
落ち着いて両親に説き伏せる勇気が
淳也くんと話ししてて沸いたのだ。
もちろん内定を辞退して。

ベーシックインカムが来年くる。
やってみたい事を書き出してみた。

「まちに若者を集めよう。
集った人のコミュニティーを淳也くんと一緒に
作ってみたい」 

コワーキングスペースとして民家を解放して
場所は淳也くんと相談する。
僕はシステムを作って。
そう、僕にしかできない事なのかもしれない。

「智希くん、古民家見つかったよ。
僕たちで暮らすところ。
一階部分をカフェ兼コワーキングスペースに
出来るっていう物件。
見たらきっと気にいるよ」

淳也くんからの一報で心が動いた。
ときめきを感じた瞬間だった。
早速、市内のカフェを回り始めた。
純喫茶のコーヒーの味も堪能した。

仕事のあとの一口にどんな安らぎがあるのか、
考えてみた。
産地から輸入する豆を焙煎して試してみる。
自分好みの飲み口を追求した。

ただ珈琲を売るだけでなく、
安らぎを僕は売りたい。
それを熱く淳也くんに送った。

「はじめまして、淳也です、裕です」

未来の同居人と挨拶を交わした。


□■古民家オーナー、淳也(あつや)の場合


「淳也と行く古民家からでも
仕事できるところにとりあえず2、3社ね」
裕は涼しい顔をしてこう言った。
僕が広島で古民家を改装して暮らすと言うと、
裕はすかさず一緒に行きたいと言った。

4月になってゼミを放り出された僕は、
大学の授業ももう必要に感じなくなって、
卒業に必要な単位ももうどうでもよかった。

卒業と同時にやってくるベーシックインカムで
必要最低限保証はある。
プラスアルファで何がやりたいのか、
何をやれば社会貢献できるのか、考えていた。

そんななか理想を掲げるNPO団体の大山さんに
コンタクトを取っていた。
大山さんは瀬戸内の空き家問題に
悩まされていた。
過疎化しつつあるこのまちに、
若者が戻ってこないか考えあぐねていた。
そこに僕たちの移住計画がマッチした。

できれば7〜8人の大所帯で移り住む。
そしてまちの形を変えてみたい。
それが僕の理想だった。
早速、この瀬戸内にやってきたのだけれど、
思いの外、大所帯な民家は少なかった。

民家をマッチングしている大山さんは、
あちこちの民家再生のプロジェクトを
抱えていて。
僕の住みたい家を探す代わりに
改装作業に加わることを条件とした。
くる日も来る日も床をなおしたり、
壁をなおしたり。
ひととおりの改装の手順を体で覚えた頃に
大山さんから連絡がきた。

「6LDKの物件だけど、どうだ? 
持ち主がやっと譲ってくれると首を縦に
振ったぞ。
明日早速、会いに行くからお前もついて来い。
しっかり自分の主張も考えるんだぞ」

広島に来て1ヶ月、
くる日も汗かいて実直にやってきたことが
実った結果だったのかもしれない。
庭には雑草が生えていたけれど、
家もそんなに傷みが激しくはないと
大山さんは褒めた。
雑草の庭を縁側から眺める。
はるか遠くに小島が複数浮かぶ海を見つめた。
ロケーションは最高だった。
僕たちの家がはじまる。
僕の胸が高鳴っていた。

「古民家の半分をカフェスペースと
コワーキングスペースとして
Iターンした若者に空間を解放します。
そして同居する仲間は
この土地で農作をしたいと願っています。
このまちのために働く仲間を増やし、
過疎地の名を返上したいと考えています。
ぜひこの民家、譲ってください」

地主さんは40代だろうか、
意外と若いお姉さんだった。
今はこの家ではないところで暮らしているの
だけれど、
この家のこと手放してしまうのも
解体費用のこと、土地も売るほどにないこと、
迷っていたと言う。
家自体は時々風を通して、
手入れしていたので損傷もあまり
見受けられなかった。
土地の権利は地主さんが持ち、
建物代は更地にして返す事を条件に
好きに使っていいと許諾を得た。

また改装に関わる資材は大山さんが
提供してくれる代わり、
大山さんの古民家再生プロジェクトの
作り手として僕が労働で返す決まりになった。

早速これに関わる住人も次々決まり、
智希くん、愛莉ちゃん、百華ちゃんには
夏休みから改装の手伝いに入ってもらう予定
になった。
この3人と裕と僕の5人、
そして指導に大山さん。
何が飛び出すか分からな僕の
古民家再生プロジェクトが始まる。


□■サラリーマン、裕の場合

♢11

「裕、今日は豪勢だよ、楽しみにしてて」

キッチンでは
和成くんの作業が終わったからと、みんなで
何やら楽しそうに夕飯の準備を始めていた。

「うん、わかった。
いったん荷物を片付けてくるよ」

和気あいあい、そんな言葉が似合う、
男女たちのダイニングスペース。
皆で餃子を巻いていた。

本来なら詩ちゃんと、僕、以外のメンバーの
2、3人の当番が夕食作りを担当するのだ
けれど、今日は特別5人で作っているらしい。
楽しそうだな、
と思いながらも僕は一階を後にした。

食事は
労働でも現金でも支払えるもので賄うもの。
共用部の清掃もそう、払える人は払って
労働で返せる人は労働をする。
その費用は一旦、淳也が預かって
働いたメンバーに分配することに
なっているらしい。

その他、家賃と修繕積立としてメンバーは
淳也に月15,000円を支払う。
淳也は今後の修繕のためと万一この家を
解体するときに必要な費用を貯めると
言っていた。

またこの家のリフォームに関わった費用は
淳也がNPO古民家再生スマイルの修繕を
手伝って労働で払っている。
そんな淳也の決めたルールは
みんなが納得している。

一階から歓声が聞こえる、
餃子の羽が美味しそうだとか、
焦げ方がきれいだとかそんな声が聞かれて
いたのだけれど。
荷物が散らかった部屋にいる僕には
届かない世界だった。

「改めてかんぱーい」

淳也の音頭で
皆がそれぞれの飲み物を高く合わせた。
ダイニングテーブルには不揃いに並ぶ餃子が
ぎゅうぎゅうに並べられていて、
美味しそうな羽もついていた。

和成くんの作ったバーニャカウダーソースに
ディップする色とりどりの野菜スティクは
近くの販売場で買った生野菜らしかった。
新鮮な野菜に感動していたら、
愛莉ちゃんがもうすぐしたら私の野菜も
提供できるからなんて話していた。

僕のために、詩ちゃんのために
食事の準備をしてくれるメンバーには
頭が上がらなかった。
と同時に訳も分からず涙があふれていた。

そんな僕を見ながら
和成くんは僕を驚かせるためにオーブンから
大きな浅鍋を取り出して
ダイニングの真ん中に置いた。

海鮮の匂いに包まれ、
黄色いご飯の上に鮮やかな海老や貝やイカが
散りばめられたパエリアだった。

今まで感じたことのない人のぬくもりを
肌で感じると、ゾワッと鳥肌がたった。
僕はこのメンバーの中にいて良いのだと、
みんなが包んでくれる。
たった1日居ただけなのに。
その日は興奮でなかなか寝付けずにいた。


♢12

「おはよう、暑くなかった? 眠れた?」

目が覚めるともう淳也は作業に行くための服に
着替えて、支度していた。

「おはよ、ちょっと昨日は遅くまで
寝付けなかったんだ、実は」

繊細だね、なんて笑いながら服のボタンを
止めていて。

「今日の現場はすごく古い民家で大山さんも
プロの大工さん集めてがぜんやる気なんだ」

なんて笑っている淳也はボランティアと
言いながら古民家にめっきりのめり込んでいる
ようだった。
なんでも大工が入る現場は難しい作業も
させて貰えるらしく、
その家の根幹をいじる作業は緊張もあり、
やりがいもあり。と言うものらしい。

「前も言ったけど朝は和成くんのパンだから
楽しみにしててね、
あとコーヒーもプロの味だよ」

階段を降りるとバターのこげた匂い、
後から焙煎された深いコーヒーの香りが
追いかけた。

朝は大体、和成くんが決まって担当して。
そして今日は百華ちゃんが薫製ハムと
スクランブルエッグを焼いてくれて
彩り豊かなサラダが並んでいた。

食品の皿をトレーに乗せて好きな席を探す。
そしてカフェスペースの縁側に腰掛けた。
ここから眺める朝の空は白々と地平線を
なぞって天頂の青をくっきりと映す。
その太陽にエネルギーを感じて。

東京では感じることのない静かな朝だった。

和成くんのパンを一口頬張る。
しっとりとした舌触りで噛むごとに甘味が
広がるパンは国産小麦100%、
近くの農家から取り寄せているらしい。
材料からこだわっていると言う和成くんのパン
が食べられて、
智希くんの焙煎したコーヒーを頂く。
なんて贅沢な朝。

和成くんは朝の5時から仕込みをしている
らしい。丸いパンやフランスパンや食パン
みたいなシンプルなパンを焼いて。
朝は主に料理店からと個人宅から発注が来ると
言う。
梱包が済むと今度は智希くんが
ドローンで個配する。

協力できるところは協力するのが
この共同生活の良いところだと
淳也は言っていた。

他にも愛莉ちゃんと百華ちゃんの野菜も、
ゆくゆくそうなるし、
愛莉ちゃんのサンドウィッチは和成くんの
パンを使い智希くんのカフェの店頭で
販売するらしい。

こうして利他の気持ちで支え合う
メンバーたちのことを考えると
東京での僕は利己そのものだったと気づく。
淳也のリーダーシップで走り出した
この古民家は、
淳也の考え方そのもののような気がして、
僕はただ落ち込むだけだった。


♢13

「気にせず顔のお手入れすればいいよ」

二口の蛇口を持った洗面台は3人ほど
並んで使用できる。

朝の身支度に時間をかけて占拠するのは
僕を含めた男性陣だった。
丁寧に顔を洗い、
歯を磨くのにも時間をかける。
僕と智希くんと並んで淳也が言った。

「女子が占拠すると思うでしょ、
けれど畑チームはもう早くからメイクも
しないで畑に行くしね、
詩ちゃんは朝の配信がないから
ゆっくりなんだ」

僕は部屋に化粧セットを取りに戻った。
洗面所にある大きな鏡で気兼ねなく
基礎メイクをして、
リモート会議に臨むのに気合を入れた。

9時を過ぎる頃、
1階のコワーキングスペースには2人の
お客さんが各々持ち寄った仕事に
向かっていた。

僕も智希くんにアイスコーヒーを頼んで
あいたスペースで会議の準備を始めた。
少し時間が経って智希くんはお客さんと
世間話を始めたので、
僕も小休止、相槌をうつ。

「こちら、伊丹さんは建築のお仕事で横浜の
会社を持たれててね、今はリモート社長
なんだって」
と、智希くんが茶化す。

「ゆくゆくは部下に横浜を任せて、
僕はこっちで出来るペースで会社を持てたらと
思っててね」

伊丹さんは
ジーンズにくだけたジャケット姿、
似合いすぎているハットを頭にかぶっていた。
形だけど、と、
ポケットから名刺を取り出しこういうものです
と僕に差し出した。
未経験な名刺交換だけれども会社から名刺が
支給されていたので形通り名刺を渡してみた。

それを見ていた胸板の厚いポロシャツに
髪を坊主に刈った30代の男性がわたしもと
大手広告代理店のロゴの入った名刺を
差し出した。

「ご縁は大切にしないとね」

と付け足した。慌てて智希くんが紹介した。

「紹介するね、こちら玉置さん」

ふたりはこのカフェの常連で、
会議のない日は仕事をここに持ってきている。
田舎だからと言って仕事がない訳ではないし
顧客がない訳ではないと言った。
それと共通してこのロケーションでは
ひらめきが起きるので好んできているらしい。

昼からの会議を前に有意義な挨拶ができた。
このことを菅田さんに報告したらなんて
言ってもらえるかな。
僕は2枚いただいた名刺をずっと眺めていた。


♢14


「面白い形と、いろんな色があるよ」

2ヶ月が過ぎ、梅雨が明けようと、
もくもくと入道雲が瀬戸内の空に広がった
ある日、僕の作業しているカフェスペースに
笑顔いっぱいで愛莉ちゃんが戻ってきた。

竹ざるいっぱいに、
黄色いものオレンジのもの赤いもの。
大きさも様々なトマトを抱えて。

今日も常連の伊丹さんと玉置さんと
話し込んでいた僕は、彼らと、
このいろんな様のトマトたちを覗き込んだ。

僕にとってこの一階での作業は日課になり、
こうして仕事抜きで向き合ってくれる
人生の先輩が心を豊かにしてくれる。
こんな気持ちいいスペースを開放してくれる
智希くんにも感謝だった。

彼もまたコワーキングスペースが快適に
過ごせるために、会員制と予約制を導入した。
そのおかげで、リモートワークも納屋の個室を
気兼ねせず利用できる。

菅田さんとの仕事もだいぶ進んだ。
今は法人に対し商品を紹介することが
僕の与えられた仕事。
慌てないでいいからひとつひとつ学んでほしい
と菅田さんは言った。

僕は思い起こした。東京の飲み会を。
みんな一緒に仕事を成し遂げて
一緒に喜び合って。

あの日に反して今、
与えられている仕事は現実味がなくて、
誰に対して商品を売っているのか。
僕には境界線が見えないでいた。

菅田さんのアドバイスも
ありがたいものだけれど、
このカフェで冗談混じりに相談を受けてくれる
伊丹さんや玉置さんの方がほっとする。

ここに住んでいるメンバーも見える形で誰かの
為に仕事をして、
仕事を仕事で分け与えあっている様が、
僕にはキラキラ眩し過ぎた。

今日ちょうど愛莉ちゃんがとってきた
トマトの中にひとつ。
食べられるのかわからない緑色のトマト。

そう僕はあのトマトのように、
みんなと同じなようで味わいが全く違う
人間なのかもしれない。
愛莉ちゃんはピザソースを作るんだと
和成くんのいる厨房へ向かって行った。



♢15

「仕事終わったから戻るね、
今日もアイスコーヒー美味しかった」

厨房にいる智希くんにひと声かけ
僕は自室に戻った。
まだ15時半カフェの日差しはギラギラと
ねっとり輝いていた。

少し考えたくなった。淳也の帰りは
まだまだで、自室は僕だけの空間だった。
僕は天井の隅を眺めていた。
脚立に乗っかり壁をぬったあの日。
あの日はみんな平等だった。

みんなが
自分の仕事を為事として楽しんでいる。
現に愛莉ちゃんなんか手塩にかけたトマトを
嬉しそうに見せてくれる。

僕の仕事は何なのか。
顧客にシステムを売ることに、
「やりがい」 の文字が薄れていた。

畑をおこして作物を得る愛莉ちゃんと
百華ちゃん。
小麦を練ってパンを焼く和成くん、
人が集うスペースを作りたいと智希くん、
VR アイドルとして活躍する詩ちゃん。
何より古民家再生の現場で資材費を稼ぐ淳也。

みんな実直に働いている。
自分のためだけでなくその先の誰かの為に。
僕は何の仕事をしているのだろう。
仕事がわからなくなっていた。

リモートでの交渉は
相手がそこに居る実感もなく
日替わりに変わる相手がいてて。
その日その日めくるカードの様だった。

売っているものも虚像だし
買ってくれる客の姿も虚像だった。
もちろん応援してくれる菅田さんですら
今や虚像の仲間で。

「狭い天井を眺めていたらひらめくことも
ないな」

気を取り直して一階のリビングスーペースに
降りた。そこには3人がけのソファーが
向き合って置かれていて、百華ちゃんが
ギターを片手に音を確認していた。
彼女の前に僕は腰を落ち着けた。

「うるさっかったら言ってね」

そう言いながらポロンポロンと
ギターを掻く様は、音楽と言う言語を
一生懸命、紡ぎ出しているかのようだった。

一度、愛莉ちゃんから教えてもらって、
百華ちゃんの配信を見たことがあった。
その時は何かエネルギーを掻き出すような
楽曲のイメージだった。
今のメロディーとは少し違ったものだった。

「なんか前の感じと変わった?」

率直に聞いてみた。
百華ちゃんは広島の地が音楽を変えた、
と言った。風土もそうだし、毎日むきあう
畑の作物たちからもインスパイヤさせられた
らしい。

そんな百華ちゃんの音楽は生きる事を
テーマにした耳馴染みのいい旋律を
たどっていた。

彼女の曲を聞くと素直にまっすぐ生きて
行こうって言う気になって、
さっき考えていた僕の悩みなんて
小さい物だと思うようになった。この時は。

厨房から焦げたチーズと爽やかなトマトの
匂いが届いた。
愛莉ちゃんが今夜はピザだとはしゃいでいた。


♢16


「共用部のお掃除をしてくれるメンバーに
感謝しています」

本格的な暑さが到来し、
淳也も資材費を納めた形で本格的に畑に
参入したころ、
トイレにこんな貼り紙があった。

淳也に聞くと最近、
共用部の洗面所やお風呂の汚れが目立つ、
と言った。 

共用部の掃除ならびに共用タオルとシーツの
洗濯は今のところ愛莉ちゃんと百華ちゃん
二人で担当しているのだと言う。

僕はふたりだけで担当している事も
初めて知ったし、
何となく毎日綺麗な洗面台と片付いたお風呂に
入れていることを当たり前だと感じていた。

夏の湿気の加減もあり浴場のカビも
生えやすく、
掃除の負担も大きくなって来ていると言う。

やってくれる愛莉ちゃんや百華ちゃんには
働いた分の収入があるわけだけど、
それだけでは相殺されるものでもないと
感じた。
共用部を丁寧に使うのもまたお返しだと思う。

今日は週末ということで
コワーキングスペースは誰もいなかった。
僕はいつも通りアイスコーヒ―を智希くんに
オーダーし真夏の照り返しが真っ白な庭を
眺めた。
すると2階から淳也が降りてきた。
淳也も冷たいコーヒーを頼み僕の隣へ掛けた。

「ようやく外ばたらきも終わって本腰で
こっちの仕事に集中できるようになったよ」

「長い間、お疲れさま。
淳也には頭が上がらないよ」

「今度は畑だね、今は百華ちゃん主導で
やってもらってたけれど、家庭菜園程度の
収穫から、大きな農園にしてみせるから、
見てて」

ちょうど菜園ではトマトの他に、レタス、
キュウリ、茄子などが収穫できるらしい。
愛莉ちゃんはサンドウィッチが出来ると
喜びながら野菜たちを携え汗だくでカフェに
顔を出した。

「愛莉ちゃん、いつも気持ちよく
共用スペースを使わせてもらってありがとう。
百華ちゃんにも伝えてほしいな。本当に
ありがとう」

サンドウィッチが出来る野菜を見て、
僕の言葉を聞いてニッコリ笑って大丈夫だよ、
どういたしましてと厨房の方へ下がって
いった。
僕はこのやりとりが本当に気持ちよかった。
そして思い知る。虚像と仕事をしていたこと
に。思いきって淳也に話してみた。

「今さ、愛莉ちゃんに思いを伝えたじゃん、
僕、すごく気持ちよかったんだよね。でもね、
こういったやりとりを仕事ではしていないこと
に気づいたんだよ。」

「お客さんに?」

「そう、挨拶は挨拶だけだし、
説明は説明だけだし。
お客さんが日替わりのカードみたいでね、
何やっても手応えがなかったんだ」

「リモートだからな、
俺たちとはまた悩みが違うよな、
営業好きか?」

「わからない」

「一度なんだっけ、先輩の菅田さん? 
リアルであってこいよ。
ここは僕がちゃんと守ってるから」

一番相談しないだろうと思っていた淳也に
すんなり思いを伝えた。 


♢17

「智希くんの入れるコーヒーとは全然違うな」

僕は新宿のビジネスホテルにいた。
コンビニで買ってきたアイスコーヒーに
ため息をつく。
コンクリートの照り返しがまだまだ冷めない
熱帯夜、広島の夜との差に気づかされた。
ここには夢や希望が残っていると思っていたの
だけれど、そうでもなかった。

さっきまで僕は菅田さんと飲んでいた。
急きょ上京して話がしたいと伝えたら、
あわてて店をとってくれて。

「そろそろリアルで会わなきゃ、
と思ってたところだったんだよ。
最近の細木くんの様子みててね、
何があった?」

お見通しのように振る舞う菅田さんに、
僕は全てを吐き出した。

「そうだろうと思ったよ。
人は人と仕事するもんだ。人は人の中で
成長するもんだ、僕はそう思う。
もちろん相談するのも人だと思うし、
今回こうやって会いたいと言ってくれて
よかったよ」

「僕は誰と何をしているのか、
わからなくなってしまったんです。
周りのみんなは実になる畑仕事をしていたり、
お客さんに喜ばれるパンを作ったり。
結果を実感として得られる仕事ぶりを
見ていると、自分は何者なのかよく分からなく
なったんです」

菅田さんは一通り、そうかそうかと聞いて
くれた後、続けた。菅田さんの入社のはなし。
それは新型コロナウィルスによる緊急事態宣言
下で卒業、入社を経験したはなし。

……だから直接会って対話することを
僕は人一倍大切に思っていてて。
細木くんはシェアハウスの仲間がいるんだから
彼らとの対話を大事にしてほしい。
そこにあるまごころを大切にしてほしい」
とくくった。

そしてこうも続けた。夏になり、
本社を退職する新人が増えているらしい。
それはベーシックインカムの土台の上、
離職に躊躇しない者が増えたこと。
無理して仕事することを疑問に思うことが
きっかけなのかもと。
その辺りはどうだと菅田さんは聞いてきた。

会社をやめて淳也たちのように働く手段は
身近だけれど。
彼らのように個性を出して働くことは
やりたければすでに始めているだろう。
僕にはそんな情熱はないということを
深く思い知った。

営業にもそこまでの情熱は正直ないと言うと
菅田さんはそんなものでいいよ、
と答えてくれた。

営業しててよかった、
なんて数ヶ月でわかる世界じゃないのだから、
困ったらこうして相談しにおいで、
今度は僕が広島をたずねるさ。
とすっきりした回答が得られた訳では
ないけれど、
また広島に戻ってコワーキングスペースで
仕事を片付ける、
そんなただの未来が見えた東京の夜だった。

♢18

「裕くん、
それは人を好きになれと言うことだよ」

玉置さんが、東京から持って帰ってきた
僕の課題について意見を言った。
続けて、異性でもいいんだけれどと茶化した。
僕のふるまった東京ばな奈を食べながら。

相変わらずうだる暑さにセミの声も盛大に
なってきた広島では、
今日もメンバーは自分の仕事に就いていた。
コンクリートだらけの思い出しかない東京で、
何を解決してきたのかわからなかった問題に
玉置さんの一言は僕の心に明かりをともした。
ストンと府に落ちた。

厨房では愛莉ちゃんがサンドウィッチを
作っていると言う。
今週からランチタイムだけ調理して振るまう
らしい。
午前中は午前中で和成くんのパンにも試食分を
詰めて、朝からパンと野菜と格闘していた。

智希くんに
『今日のサンドウィッチ』をオーダーした。
畑は愛莉ちゃんが抜ける分、淳也が入る。
露地物の他にハウスも作ると意気込んでいた。
土の管理をして、次に育てる種を農家さんに
もらいに行くらしい。

愛莉ちゃんが少し大袈裟な皿にバゲットサンド
を乗せてこちらにやってきた。
皿には炙ったバゲットにレタスとトマトと
ローストチキンが挟まっている。
和成くん特製のジェノベーゼソースが
入っているらしい。

伊丹さんと玉置さんも愛莉ちゃんサンドを
堪能した。
チキンがもう少し薄く広く入っている方が
食べやすいだの、ソースとの相性がいいだの
コックさんを前に意見を率直に話していた。
初めて自分のサンドウィッチにもらう意見を
愛莉ちゃんはなるほど、なるほど、
とうなずきながら心に留めていた。

すると二階からめずらしく詩ちゃんが
カフェスペースに降りてきた。
今日からサンドウィッチはじめるんだよね、
なんて愛莉ちゃんにアイコンタクトをとって。
わたしもひとつ、それとレモンバームの
ハーブティーホットでほしいな。
とコックさんに注文して。

僕はなにげに元気かと詩ちゃんにも挨拶した。
すると詩ちゃんは百華ちゃんのライブの話を
持ち出した。

「今週末の土曜だったよ確か。夜のカフェで、
まずは隔週でライブ配信するの。
裕くんが東京に行ってたとき話しててさ」

「僕、こないだ詩ちゃんの曲、
聞いたんだよね。感動したよ」

「機材も持ち込むみたいだから、
結構本格的だよ」

お待たせしましたー。
コックさんがまた大袈裟な皿を持ってきた。



♢19


「最後の曲です、聞いてください」

百華ちゃんがギター片手にマイクに
そう伝える。
待ちに待った週末、百華ちゃんの配信と同時に
生ライブが開催された。
ワンドリンク制、アプリで曲に対して
投げ銭をカウントするライブ。
僕たちの他に伊丹さんのご家族や
玉置さんの彼女さんもいらしてくれた。
カフェの常連さん、淳也の古民家仲間、
ご近所さん。
みんな百華ちゃんの声と曲に体が震えていた。
僕は詩ちゃんの隣で歌に耳を寄せいていた。

「そういえば詩ちゃんはどんな唄を歌うの?」

「あんまりここのメンバーには話してないんだ
けれど、『close eyes』 って知ってる? 
あれの『花奈(はな)』 をやってるの」

僕はめちゃくちゃ「花奈」のことを知っていた
のだけれど、よく知っている事が迷惑に
なるんじゃないのかと、
「少しだけ見聞きした事がある」 と伝えた。

あの「花奈」が詩ちゃんだなんて、
ギャップがすごかった。
歌も上手いし、ダンスも上手。
何もかも卒なくこなしコミュニケーションも
人に媚びていない。

アイドルが隣に座っている。
百華ちゃんの歌も震えたけれど、
僕は今日のこの告白が一番震えた。

詩ちゃんはランチタイムにサンドウィッチが
食べられるようになってから、
お昼時に降りてくるようになった。

詩ちゃんがリクエストするので、
ハーブティーも種類が増え、
畑にもハーブの群棲ができたと言った。

僕は詩ちゃんと接するとき、
知らず知らずに小さな敬語をつけたりして。
そんな詩ちゃんは百華ちゃんに憧れていると
言う。

「百華さんは、すごいよ。
感性と言うか言葉のチョイスが神!」

いや、僕はあなたが神ですよ、
と言いたくなるのをこらえながら、話を聞く。
なんでも「close eyes」は決められた
楽曲のなかで表現するのだけれど、
百華ちゃんのようなダイレクトに心に響く曲は
歌った事がないと言った。

この歌姫が僕を変えるとは何も知らないでいた



♢20 最終回

「裕くん、
それは人を好きになれと言うことだよ」

百華ちゃんのライブも4回目を数え、
日に日にフォロワー数が伸びてきたと
愛莉ちゃんが喜んで教えてくれる初秋。
まだ広島は
カナカナゼミが夏の名残を歌っていた。

いつか玉置さんが僕にくれた言葉に
今はちがった意味で僕は反芻していた。
たまにメタバースで
買い物やライブ鑑賞しているのだけれど、
あの空間で人気を博しているアイドルが
シェアメイトだった。

僕は毎日ドキドキしながら、
ランチを一緒に食べている。
今日もそろそろ、彼女が降りてくる時間だな、
と広げていた仕事を片付けながら、
愛莉ちゃんに今日のサンドウィッチは何か
尋ねたりして。

「あまり話さない人だと思ってた」 

そっと話を始めた。

「普段はそうね、無口な方だよ。
活動でエネルギー使っちゃうから」

毎日自室にこもって彼女は歌やダンスを
練習したり。
ファンサービスやアイドル活動を
8畳間で完結していた。
来る日も来る日も。

「人に会わなくて平気なの?」 

なんて、ほろっと失礼なのかわからない質問を
投げかけてしまった。

「メタバースでちゃんと人に会ってるじゃん」

思いつかない返事が来た。
メタバースは人のつながりが無限だよ、
と彼女は続けた。
仕事に関わる大人たち、
それに何よりもファンが溢れているんだと
言う。

詩ちゃんは全力でそこの人々と関わっている
と言った。
そこには大人たちからやファンからの愛情が
溢れているのを感じていると言った。
メタバースの世界は詩ちゃんにとっては
もう仮想世界でないようだ。

「細木くんは
シェアハウスの仲間との対話を大事にして
ほしい。まごころを大切にしてほしい」

と言っていた菅田さんの「まごころ」
まごころに溢れている詩ちゃんだから
こんなに魅力があるのだろう。

「僕ね、リモートの先のお客さんとかに
愛情がわかなかったんだ、実は」

詩ちゃんなら聞いていいかなと、
悩みを打ち明けた。

「裕くん、それは想像力だよ。
想像した相手の背景まで見つめるの。
そこに愛すべきものが転がっているから」

詩ちゃんの歩んできた道に僕の生きるヒントが
あって。
彼女が歩いてきた道はどんなだったのか
もっと知りたくなった。
もっと話したくなった。
この気持ちは何なのか。

「裕くん、
それは人を好きになれと言うことだよ」

玉置さんの言葉がグルグル回る。


今日も古民家では皆が自分の仕事を為事として
営んでいる。
僕も誰かのために仕事に向き合おう。
僕たちの道はこれからもつづく。

                  (了





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