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3notes 2


隙間ないオトコ
 余白すぎるオトコ
  ムダなく使い切る私

                         

                                                   
 

(序


ここに3つのノートがある。
隙間ないオトコが好んだパンダ、の写真を表紙にした学習ノート
余白すぎるオトコがつながりを持とうと長崎から送ったMacBook Air
そしてムダなく使い切る私が愛用しているiPhone内アプリnote


                                                                                          楽子 著


 

〜長崎のマリア様〜


それは大吾と訪れた浦上天主堂と
爆心地モニュメント広場。
かつて堂々としていただろう
旧浦上天主堂の柱とマリア様の首に出会った。

大吾は漠然と思いを馳せているようだった。
祥子はそんな大吾を見つめていた。

何をこの人は想いを馳せているのだろう。
親でもなければ親戚でもない、
ましてや朝鮮の懲役囚の命までも悼んでいた。

ただ、この今ある平和を感謝し
犠牲となった人々や悲惨な体験をした人
そして現存する被曝した石像マリア様の首
にまで哀悼の意を表していた。

祥子は死であったり病気であったり
不調であったり。
正に対して存在する負の感情を
なるべく避けてきた。
元夫と広島に旅行した時でも
原爆ドームへは近寄れなかった。


だがなぜかこの大吾だとどこへでも行けた。
大吾は軍艦島へ行こうと誘ったこともあったが廃墟島と言う生々しい場所へはなるべく行く
意思がわかず保留にした。


長崎から帰った祥子は涼と会うことにした。
名古屋を案内してもらう。
道すがら興味深い建物を目にした。
栄のとある交差点に立つ
日本基督教団名古屋中央教会。
コロナの影響で教会内は閉鎖していた。
庭をズンズンと歩く祥子
ゆっくりついてくる涼。

ベストポジションを決め
iPhoneシャッターを切る。
iPhoneに映り込んだ景色には
逆光ならではの不思議な光たちが輝いていた。
マリア様はいる、自分の中に。
祥子が確信した瞬間だった。

大阪に帰った祥子は取り憑かれたように映画館に足を向けた。単館上映しかしていない七藝。

祈り −幻に長崎を想う刻−
戦後の長崎キリシタンの物語だった。
被爆したマリア様の首も登場した。

祥子にとって縁を感じるのがキリシタン
ガラシャ。
明智光秀の娘でありながら
戦国大名の妻として、キリスト教にひかれ
キリシタンとなった女性。

祥子はゆかりある土地に婚姻時に
すまわっていながら
カトリック玉造教会には一度も
足を踏み入れたことがない。

ある雨の日。
悪い足元にもかかわらず玉造駅で下車した。
だが礼拝堂までは雨に打たれなかった。

どう言うわけか祥子は弘樹との一件で雨との縁が切れたのか
土砂降りにあったことがない。
働いている訪問入浴でも
雨脚が強いのは決まって車内。
荷物の運び出しをする際は小雨になる
パターンが多かった。
もちろん雨の多い長崎でも夜しがたしか
雨にあったことはないし
少し濡れる程度だった。
必ず晴れるわけではないが
雨の日は雨が止む外出が多かった。



〜新月の不思議〜


祥子は2人のマリア様になる
新月の日そう思った。

大吾とは真剣に交際を始めていた。
お互いその認識を確認しあった。

涼の気持ちは知っていた。
知った上できちんと断った。諦めない涼。
ムダなく使い切る祥子はそこらの女と
同じように簡単に捨てることはしなかった。

きちんと見守ろう。
女としてではなく人間として。
  

不思議な出来事が起きる。

新月の日、祥子はセージの香を手に入れた。
香を焚き普段できない
「深呼吸で呼吸を行うこと』
ができるようになる。
先輩との施術会でも背部の施術時
手の重みに合わせて
沈む時にはき浮く時に吸うを意識した。
すると好転反応か乾性のせきがでた後
湿性に変わった。
何か体の中から排出したのであろう。


不思議なことは祥子だけではなく
大吾の身にも起きる。
持病により崩していた体調は
そのままだったが眠れない症状が緩和する。
きちっと1時間
それぞれ走馬灯のような夢を見たという。

祥子との夢から目覚めた瞬間、
祥子へ通話してきた。
また祥子もそれを瞑想状態で
光としてキャッチしていた。
新月の不思議な晩の体験である。

ちなみに大吾が見た夢は祥子とカラオケで
ぼったくられ2人で抗議した後
ラーメンを食べたと言う他愛もない夢。

おなじく涼も祥子とのロマンチックな
夢を見たらしい。



〜リラクゼーションと祥子〜


祥子は一旦大吾を手放そうとした時、
先輩のリトリートメント、
ヘッドマッサージを受けた。
それも不思議な体験だった。

いいロケーションがないか先輩から
尋ねられた。
天王寺のあつい
日差しの照りつける雨上がりの日。
肌寒い夏の日が明けて久しぶりに
蝉声を聞いた。
慶沢園という日本庭園を提案した。
落ち着いた趣と緑が多い、人が少ない場所。
訪れてみたがあいにく休園だった。

考えた末、茶臼山にした。
奇しくも夏の陣で真田軍と徳川方の奮戦の地。
今や面影はなく、
陰があり風が通り鳥もがさえずって自然を
感じられる最も良いロケーションだった。

先輩はカウンセリングで祥子に将来、
何がしたいか尋ねた。
アンケート用紙に祥子は正直に
がん患者も施術できるようになりたい。
と答えた。
漠然とセラピストで
看護師だからできるだろう安直に生まれた夢は
日に日に本気に変わっていった。

なぜなら父親が尿道癌、動脈浸潤転移、手術適応外の末期患者に最近なったからだ。
先輩は祥子の夢を泣きそうになるぐらい
感動したと伝えてくれた。

まず3分の瞑想から始まる。
このときの祥子は全くもって
深呼吸ができなかった。
意識を向けるとできるのだが
違うことを考えだすと浅くなる。
先輩は呼吸に集中して…と繰り返した。


リトリートメントが始まった。
頭の中心から、
例えるならミントでスッとする感覚
そして邪気が抜けるような体験をした。

その体験を経て、先輩と練習会に臨む。
先輩はオイルケアは
ただコリをとるだけではない、
「癒しとは…」
を一生懸命教えてくれた、手取り足取り。

祥子はこの時はまだ小説を書くことも
考えていなかったし
もう大吾との関係も精算されたと思っていた。

この日の帰り、
大吾との約束、
毎日一本落語を描く事を放棄してみた。
継続は力なり、
ペンは剣よりも強しと教えてくれていたのに。

そんな帰り道、
iPhoneのSiriから提案される、
メモ#10行らくご
新月の10日ほど前の丸い月夜のことだった。





〜オトコたちの苦悩〜


新月から数日たったある日、

大吾も涼も悩みを
そっと祥子に打ち明けていた。
どちらも家族に関わるものだ。
一つは金銭の制約、
一つは時間の制約、
を家族から受けているというもの。
祥子は何もできなかった
手伝いたいけれど何をすべきか
わからなかった。


マリア様は微笑むだけで
全て解決させるのだろうか、
キリストは悔いあらあためるよう
促すだけで解決へ導けるのであろうか、、


祥子は生身の人間であり、動くこともできる
考えることもできる、助言することもできる
でも、ただ微笑むだけ
それだけでいいのだろうか
簡単に2人のマリア様になると
言ったったわりに
無力感にさいなまれる日々を
ただただやり過ごしていた。

かつてのキリシタンの弾圧について
思いを馳せてみた。
現地に行って感じてみよう。
弾圧キリシタンの地へ赴いてみたくなった。

次に会う際に、
ついてきてほしいと大吾に伝えた。
大吾は冗談で俺キリシタンになりたいんだ
なんて話していた。

大阪にいる間、運転の練習をした。
ガイドブックで記事も読んだ。地図も買った。
慈母観音(マリア観音)
…かつて禁教とされてた時代
マリア像を観音様とみたて信仰を続けていた。

興味深い。観音菩薩とマリア様。
共通点は多々。 
祥子は長崎ゆきに
一縷ののぞみを託すことにした。


〜特急かもめ〜


祥子は、特急かもめに揺られていた。
オトコふたりのことを考えている。
ふたりがとても対称的だからだ。
隙間ないオトコ涼と余白すぎるオトコ大吾。

涼と名古屋で出会った時のことを
思い返してみた。
第一印象はそのまま。
なぜならLINEでしょっちゅう自撮りの
自分を送りつけて印象付けていたから。
待ち合わせまでも完璧に待ち合わせ場所を写真で送り自分の立ち位置も示していた。

カバンは皮ものだが仕事仕様。
PC、バッテリーはもちろん必要なもの全てがきちんと隙間なく詰め込まれていた。
その上、祥子が持て余していた日傘も横たえて持ってくれた。
元野球球児で力持ち。

行く場所は涼のプラン、
祥子の急な予定変更にも対応できるが
プランは隙間がなかった。
時間厳守がモットー、
安心感があるがトキメキは少なかった。

大吾の時は長崎駅、
あんな複雑な駅はなかった。
大吾の繊細さゆえ、
待ち合わせ2日前から連絡がない。
それでも祥子は出会えると思っていた。
到着直前のLINEで安堵させたオトコだった。

カバンは大きくモバイル系は備えているものの
隙間だらけだった。
何か買うとエコバックになる。
使い込まれていない
光沢のあレザーのリュック。
予定はざっくり、つどつど変更される。
行き当たりばったりに
楽しい場所の確率が高い。

挨拶が大切と考えている。
サッカーファンだが大事なPKは
寝入る余裕もある。

2度目は待ち合わせ場所に来ず、寝過ごす。
そんな大吾だが祥子はなぜか許せた。

3度目はもう待ち合わせしないことにした。

不安だらけなのに楽しさを共有できる事に長けていた。


特急が長崎についた。



〜西坂の丘〜


大吾が急遽、仕事になった。
1時間ほど長崎駅で過ごすことにした。
駅から徒歩10分以内にある西坂公園。

小高い丘にあり
日本二十六聖人殉教地記念館と
聖フィリッポ教会が並列している。
坂の上ですぐ行けた。
ガイドブックと相談して気になった場所。

秀吉の時代
禁教令により京阪から処刑のために
この地を目指しやってきた6人の外国人神父と20信徒たち。
彫刻として彼らは天を仰いでいる。

処刑はむごい処刑方法だったようだ。
神に仕えるという理由だけで
そこまでの苦行ができたものなのかと
息を飲む。

言葉にならない場所。
思わず合唱した。

大好きな大吾に会うためかもめに
揺られているのとは訳が違う。

踵を返して聖フィリッポ教会へ行った。
殉教者のひとりと関わりのある教会。
まず外観が近代的だ。
ガウディーに影響を受けた建築家が
印象的な双塔とその教会を造ったようだった。
外の造りと全く違う厳かさ。
息を潜めて礼拝する。

そこにはやはりマリア様はいた。
キリストを抱いて、なんとも言えない
慈悲深い目でうつむいている。

また窓の外には福済寺の巨大な
観音菩薩がすっくと建つ。
被爆者たちの御霊を慈愛で包んでいた。

殉教地記念館に入ってみる、
奥に進むにつれステンドグラスが目に入る。
細川玉子、ガラシャだ。
大阪で命を絶った彼女もまた、
この地で哀悼されていた。


この3人に共通なのは
何ひとつ恨みごとがないこと、
愛をもっていること、許容していること。
そんなオンナはいるのだろうか。
マリア様のような人
菩薩様のような人
ガラシャ夫人のような人

往々にして愛を持って許容し
恨み言ひとつ言わない。
果たしてなれるのであろうか。
だんだんと迷宮に陥っていく。

ただ祥子は長崎にきたのは
決して間違っていないと確信していた。
大吾と出会い結ばれることも
必ずそこに意味がある。
そこだけは明白だった。




〜大吾の告白〜


死にたい。
最近よく耳にする。
この言葉の裏は会ってみないとわからない。

バスを降りマンションに向かい再会を果たす。
今回は恋人として受け入れてくれた。

その言葉の真相を受けた。
深い。
祥子だけではどうにもならないし
大吾の努力でなんとかなっていたら
こんな言葉はない。

導きたい。

ただそれだけが祥子の欲求だった。

大吾は余白の男ではなくなっていた。
精神的にも肉体的にも金銭的にも
詰まりすぎていた。

祥子は後悔した。
以前、先輩のリトリートメントを受けた時、
自分が楽になるため大吾を一度手放したこと。
あれが引き金になり、
いま大吾は苦しんでいる。
負けず嫌いの大吾だから、
祥子を見返そうと無理な将来に挑んだのだと
推測する。

せめて一滴のエッセンシャルオイルになり、
彼の鼻から体全身に豊かな余白を
もう一度つくってあげたい。

そうするためにどうしていいものか。
頑張れと励ますのもそうではないし、
褒めたところで充分がんばっている。

大吾は利他の精神でしかない男だ。
絶対に心配かけるまいと、
愛する全てに笑顔絶やさず振る舞っている。
決して人を裏切らないし、
裏切れないオトコだ。

もしかしたら今まで祥子に
余白を見せていたのも、影ならぬ努力で
自分を殺していたのかもしれない。


〜余白すぎるオトコ〜


大吾の余白部分、
それはストレスを打ち消すための快楽なのか。
文章を書く楽しみや映画を観るひとときなど、
大吾は祥子に与えてくれた。
祥子はさほどストレスを
感じず生きているので、
創作や鑑賞に時間を割くのはたやすかった。

大吾は熱心に余白の時を埋めているかのよう。
筆の進みも悪いといい、
最近は映画の話も出ない。
何はともあれ、時間ができると
祥子へ電話をかけてくるようにもなった。
困らない、大好きだし面白い話だから。

ただ最近はよく泣いている声が聞かれ
自信を失っている様子も見られたのが、
気がかりだった。


落とし物も多く、財布やかぎをなくし
なくしたことすらわからない様子だった。
注意散漫。という言葉がぴったりだろう。

レンタカーが配車不可で外海へのドライブは
中止、ちょうど鍵が見つかるまで
オートロックの家からは出られなかった。

今回はのんびり祥子と過ごすことにした。
たくさん話して、たくさん結ばれて。
大吾を受け止めるほかなかった。

少し、様子も変わったようだった。
別れの時、やはりまた長崎に来ると約束した。



〜隙間ないオトコ〜


祥子は涼からの手紙をもらった。
それは涼が手紙が欲しいと所望したので
投函したものへの返事だった。
2、3週間後の投函なのに、
昨日は来名ありがとうと。

一言二言でこんなに筆が遅いのは面白かった。
けれど普段、
書き慣れていないだろう彼の字は
誤字訂正線の目立つ可愛らしい
ラブレターだった。
ボールペンで描くと建前ではなく
本音が出て楽しいそうだ。
最後は、こうくくられていた。

商売の仕組みを強固にして、
余白を作るシステムを作ります。

余白を作るための隙間ない仕事を
がんばるらしい、たのもしい。


涼には3notes を一番にみてもらった。
彼に精神疾患がなんたるかを知って
欲しかったから。
彼は1度、語尾を強くし、
母親を非難したことがあった。
どんな疾患かは知らないが涼の母親にも
祥子と同類のモノだと思われる疾患があった。
結婚しない主義もそこにあると思う。

一緒におもり背負おうよ。
と伝えた時、祥子にマイナスに
なるようなものを背負わせるわけに行かない。
と言った。

彼は母を、そして精神疾患を毛嫌いしている。
ずーっと彼を悩ませてきたのだと思うと
胸が痛い。
いつか私もコウに悩ませる部分を
与えるのだろうか。

自分本位だけれど、
疾患と付き合ってコウを育てて
幸せに暮らしていることや、
今までしてきた疾患の症状など
涼の目に入れば何か響くのかなと思った。
そして第一完読者になってもらったのだが

まだそこに届く気持ちの余白はなかったようだ。



〜つきのはなし〜


大阪に帰ってしばらくして
大吾は月の話をした。
夜になると視界が青ざめると。
もちろん白く輝く月も青く見える。
それが怖いんだと。

祥子と歩いた夜道、
月の光に感動して大吾は涙を流していた。
かつての恩師の命日だと。
祥子の誕生日でもある。
ちょうど満月に近い夜だった。
なぜか月命日には青ざめる現象はないらしい。
医者へかかってもおかしいところは
指摘されない。

あの日祥子と観た月は、
大吾にとっても、きれいな白い月だった。
祥子ちゃんといたからなんかな
と電話口から大吾が呟く。

大吾のふしぎなつきのはなし。


そういえば、月と涙をみた日。

月ってね、漱石が「I love you」を
「月がきれいですね」って訳したとか。
そんな話を祥子に聞かせてくれた。
ただ、愛しているという言葉を
引用しないというくだりで、
何度も何度も「愛」という単語を連呼する
大吾がかなり可愛かった。

月、日本語、愛
すべてが奥ゆかしく深い。
文章について、たくさんはなした。

そんな白い月を見ながら、
大吾は祥子に
「月がきれいですね」とそっと言った。
祥子は大吾に
「私もそう思います」と月を見上げて返した。


〜決行の日〜


大吾は早朝、祥子に
身を捨てる風な内容のLINEをよこした。
ペンちゃんの行く末だけが気がかりで、
祥子に任せるといったものだった。

どんな段取りでペンちゃんを引き受けようか
話を詰めていったのだが、
決心は硬いようだった。
祥子は、大吾を失いたくない一心では
あったが、大吾が命を捨てたいというまでに
追い詰められているのなら
それを止める権利はない。

大吾のしたいようにさせてあげるのも、
愛おしい彼への優しさなのかと思っていた。

彼は二行の遺書をしたためてきた。


さよなら。出会えて嬉しかっ
た。本当愛してた。


そして祥子は長文で返した。


あなたに出会えた事は
マリア様からの
ギフトでした。

あなたに会えなかったら
こんなに他人を慈しむ事も
知らずに暮らしてたでしょ
う。

わたしはあなたを愛して、
同時に自分や家族を愛する事
ができました。

それほどあなたの影響力は
強かったです。

死神の落語のように
人の寿命は決まっているのか
もしれない。

あなたのしたいように。
ただ大吾ちゃんは生ききった
よ。
それは素晴らしいです。
最後の恋人になれて
光栄です。

わたしはペンちゃんと大吾ちゃ
んの面影を見つめて生きてい
くんやな…

て思うと寂しい。


ペンは剣よりも強し。大吾の決意は揺らいだ。
祥子は何のためにこうして執筆しているのか
だんだん理解できてきた。
コトバで大吾を愛おしむという、
なかなかできない作業だけれど
想いを伝えること。

すなわち、コトバを探し、当てはめて。
そのコトバたちを丁寧に丁寧に紡いでゆく。
何か、誰か、を救っただろうか。


〜コウの自由〜


祥子には愛娘コウの存在が絶対だった。
反抗期をすぎ、
祥子へ心を開き始めた時に中学へと進学する。
習っていたバレエも夏まで
頑張って表現してきた。
ある日コウは進学について
祥子に通信制へ行きたいと相談してきた。

以前の祥子であればもったいないと
引き止めただろう。
どうも中学になじめていないのだろうか。
と何となく勘づいた。

祥子は何なく高校へ通ったものの自分の人生、
振り返ってみて進学が全てではないと
知っていた。
親としてできることはコウへエールを送る事。

夏休み、バレエの勉強会では白鳥を披露した。
勉強会へ行く前、
次の発表会をもってバレエを辞めると
祥子に告げた。
祥子も幼少時に習わせてたものだから、
本人の意思があったかどうか
不確かなので承知した。
しかしコウの優美で圧倒的な存在感のある舞に
もったいなさを覚えた。

そんなコウだが祥子が大吾と交際し、寂しさを
埋めるためだろうか。
配信者へのリスペクトが強くなってきた。
何をするにもタブレット端末を持ち歩き
けたけたと笑っている。

祥子も理解ある親を演じたく一緒に配信を聞き一緒に笑った。
朝が苦手なコウは日に日に遅刻がちになった。
スパイラルに陥っていく。

きちんとみんなと同じく学校に行きたいけれど
行かれない自分が情けないと
涙したこともあった。
9月の連休はコウも大人並みに休んだ。
明けた月曜日、
靴下の左足がなかなかあげられなくなる。

祥子は見かねて担任と三者で
面談できる様に連絡を入れた。
担任は登校できない原因を探るが
祥子は思い切って
出席できないパターンの学習方法を聞いた。

「不登校児」の出来上がりである。
祥子は決めた。自分がコウをみる、
そして卒業させると。

〜愛情の注ぎ方、受け止め方〜


祥子は1つある愛情を
1/3ずつに大吾へも涼にへも
祥子へも均等にあてがえるよう
あまりを余すことなく割り切ろうとしていた。

でも気付く、
愛情ははじめからひとつではないのだと。
時には大吾から3もらうこともあるし
涼から2もらうこともあるだろうし、
自分が4減らしてしまうこともあるだろうし。
もちろん余裕があれば5でも6でも
与えることができる。

世の中ムダなものはない。
祥子にはわかっていた。
ムダに歩んできた自分の道は
誰にとってムダなのだろう。

答えは自分にとってムダに感じることすら
有益なことなのだ。

月が満ちる日もあれば
満ちていたとしても雲で見えない日もある。
新月の真っ暗な空でさえ
月は存在しているのだから。

何も不要なものなどない。
何も不毛に感じることなどない。
そこに生きながらえる命があったとしても
断たねばならない命があったとしても
必ず意味があるし想いを馳せるべきだ。

ムダなく使い切ろうと生きてきた祥子は、
物事に終わりがあり、始まりがあることを、
3つのノートを通して知ることとなる。

何をしてもいい。心のおもむくままま。
そこでつまずくならつまずけばいいし
そこにはなんらかの気づきが待っている。
神は万物に平等に人生を与えている。

時代をさかのぼって
家来に命じて神に背く行為を果たした
ガラシャの生涯も
こんな小さな町でMacBook Airを
叩いている祥子にしても
皆、命は平等に授かるのだ。と。


〜最終回〜


3年後、
大吾と祥子は長崎にいた。
大吾と老犬となったぺんちゃんと住んでいた。

大吾の生活は相変わらず落ち着かない。
祥子は細々と自宅サロンを運営していた。

今は週末、祥子と軽自動車に乗って島原へ 
よく出かけている。
教会やキリシタンに想いを馳せて。

コウは名古屋の美術専門学校に
中学卒業とともに通っている。

高校進学はしないと言った。
学費を賄うため、
隙間じかんに涼の仕事のイラストやデザインを担当している。そして課題に追われている。

                  
涼は従業員を抱える様になり多忙を極め
とうとう人を信頼する事を学んだ。
カバンの中にはそこそこの余白ができ
白紙の封筒と便箋が入っている。

喫茶店で便箋を取り出し、
小倉トーストを頬張りながら
空想にふける時間もできた。
目下、コウの行方を祥子と共有できることに
まだ喜びを持っている。永遠の片思い。




人との出会い、縁はハプニングかもしれない。
そこで自分が何を吸収しどう変われるのか。
自分がひとへどう影響するのか。


関心のあるなしにつきる。


ハプニングと言っても
それはマリア様からのプレゼントだから。         
       
   
                  (了
      



                           
                                                                      
                        
                  
                  




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