日本古代史をショート動画で語る
ショート動画で古代史を語る事をしていることは前回に紹介しました。
尺が短いと案外見てくれるようです、忙しい時代になりました。
まずは、「卑弥呼と天照大御神の発音」から、同一人物ではないかという主張をして、三部紹介しました。
その続き#4は、天照大御神の頃の中国の技術水準という動画です。これは、#1の結論を受けて、三世紀の話です。つまり、卑弥呼の時代ですね。
想像以上に進んでいたようです。景初暦というのが作られていた時代、方位は365と1/4で示すことができたようです。これは一年も意味しますよね。驚くべきことに、観測と計算から月食になる日を予測していたという事実です。張衡の月食の理論は十分理解できていたようです。
そこで、周髀算経から、魏志倭人伝に書かれた千里の長さがどのくらいであるのかを、現代数学を使って解いてみました。それが#5です。
意外と簡単で、タンジェントのインバースを知っておれば、計算できますし、全く数学ができない・苦手だという人も、エクセルさえ使えれば数学の素養0でも可能です。ちなみに、夏至の日の南中に八尺の棒の影が1尺6寸になるのは、洛陽の都と同緯度です。
さて、次に卑弥呼(天照大御神)の住む邪馬壹国がどこなのか、魏志倭人伝の示される距離で円を書き、同じように後漢書に示される距離で円を描き、その交点を求めると、どうやら徳島県になるという話です。#6
魏志倭人伝には冒頭、女王国への旅程が事細かく書かれていますが、帯方郡治所から不彌國までを解説します。#7
有名な水行10日陸行一月というのがあります。#8
これは、行橋から徳島山間部に至る距離と一致するのです。そのエビデンスを示しています。確定的な証拠にはなりませんが、傍証にはなると思います。
ほんとにそんなに正確に示せたのか?疑問が残ると思います。しかし、#4で紹介したように、中国の当時のサイエンスレベルは秀逸でした。当時の科学者と今の科学者とを比べると比較にならない程今の方は優秀ですが、当時の学者と現代の一般市民を比較すると、その当時の学者が優秀なことは否めません。
そこで、当時の数学の教科書を用いて、百里(7.6km)をどのように測量したのか推測してみました。
意外と簡単に求めていたことが解ります。また、これは、公式化している点でも秀逸です。つまり、三角形の相似の証明など不用、数学苦手な方には涙がでるほどうれしいものです。
百里の次は千里です。これも同様に、九章算術や劉徽の海島算経からの応用で難なく簡単に解ける問題です。南北間は周髀算経の記述を利用します。
現代数学を使わずに、二千年前の教科書の記述のみを利用して、百里・千里を求めてきました。「女王国まで萬二千餘里」というのが最長距離です。これは、水平線のかなたですので、今までのやり方では求まりません。
しかし、ご安心ください。卑弥呼が没した時代に、中国では裴秀という天才地理学者がおりました。多分、魏志倭人伝を著した陳寿とは、コメダ珈琲で一緒にココアを呑んでいた仲かもしれません。
彼の唱えた準則六体に基づいた地図は、禹貢図と呼ばれますが、現存しません。しかし、この法則に合致した地図は中世ヨーロッパ人が大航海時代を迎えるまで描かれました。
この地図と、張衡の月食理論、周髀算経の測量、九章算術の数値計算をフル稼働させると、・・・現代数学を使わなくても、万里が求まります。
これを、#11,12,13で示しました。
三国志、烏丸鮮卑東夷伝倭人条(魏志倭人伝)に書かれた、帯方郡の治所から女王国まで「萬二千餘里」という距離は、このようにして、簡単に求まるのです。
いくら説明しても、分かってもらえないから変だなと思っていたら、私の説明を全く読まない・聴かない人たちでした。あるいは、算数の素養が無いというか、センスを持ってない人でした。少なからず、人の言葉を無視して、自説だけ主張する人は居ます。たまには、ディスカッションできる人に遭遇できればいいなと思ってしまう、昨今です。(^^ゞ
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