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ハイライト-100

日芸博覧会にお邪魔した。

写真学科の展示と、映画学科のプログラム上映を鑑賞した。

私と同じ学年の方々が、映像を、アニメーションを、3DCGを一から制作していたことにただただ驚いたと同時に、自身の世界に対する誇りというものを特に感じた。

筋がしっかり通った隙の無い脚本

形を持たず自由に変わりゆく脚本

両者とも、作者の持つ軸が明瞭に反映されていた。

特に印象に残ったのは、家族を、高原の緑を、雑木林に指す木漏れ日を、形式ばらずに収めた作品。

一見、カット一つ一つに繋がりは見られないが、作品を俯瞰してみた時に、それは作者の、生死や時間への意識によって結ばれ、時には離れ、それを繰り返すことで私達にメッセージを投げかけていた。

自分の中で世界の見方が確立しているからこそできる技なのだと、私はそう感じた。たとえそれが他者から見て曖昧なものだとしても、自信よってその曖昧さは姿を見せない。

もし、私が同じようなことをしたのなら、脈略のないカットを繋ぎ合わせた、ただの動画になってしまうと思う。

制作者それぞれの感覚と、それに対する誇りが、1枚の写真、1本の映像の中に詰まっていた、そんな空間だった。


この感覚・世界の見方というものを自身の撮影活動にあてはめてみる。

私は夜景撮影において、1枚の写真の中にメッセージを盛り込む(人気ドラマで考察班が出動するような)ことを今年から意識し始めた。

私の夜景の特徴としては"青"があると思う。
全体が不自然にならない程度の冷たい色温度。

揺るがない"青"を一貫させながら、都市を彩る光にどう役割を持たせるのか。これまで以上にコントラストとハイライトへの意識を集中させている。

闇雲にハイライトを-100にする行為は、光を殺すも同然である。

例えばこの写真では、港区が織りなす夜景の中でも、以下の部分にメッセージ性を持たせた。

左手前に斜めに伸びる新橋通りの露光量を上げ強調することで、戦前は商店街で栄え、牛乳が買える牧場もあったこの恵比寿の街の歴史を伝えようとした。

中央奥右手に聳えるのは、昨年開業した麻布台ヒルズ。森ビルによる東京の開発を、マンションやアパート、住宅達はただじっと、身構えるように見つめている。以前は負の調整していたコントラストを高め、「光と闇」の対比からそうした都市が絶えず発展していく過程を訴えかけようとした。

自分の感覚を、これまで以上に4×5の中に落としこもうとしている。

実際、今年に入ってから撮影した写真は、昨年撮ったものよりも引き締まったものになっている気がする。

この意識を絶えず作品に盛り込んでいくことで、自分の世界に対する誇りは自ずとあらわれてくると思う。

芸術に長けた同年代の方々に触発された、良い休日だった。

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