見出し画像

大名古屋らくご祭に行ってきた

たまたまチケットを取ることができて、落語を観に行くことができた。

ホームページやチラシなどには

「おかげ様で15周年!」

と書かれているため、今回が15回目なのだろう。

最終日・夜の部

最終日の夜の部を見させてもらった。

実はちょうど見たいと思っていた落語家さんだらけの部だった。

特に、桂南光さんと立川志の輔さんを見ることができてよかった。

南光さんは筆者が敬愛する桂枝雀さんの弟子。
志の輔さんは筆者が敬愛する立川談志さんの弟子。

枝雀さんも談志さんも、生の落語を観たことがなかった悔しさが永遠にある。

腹ちぎれるほど笑った。

あれ?生で見た方が……

「落語は絶対に生で見た方がいい」

という持論に変わった。

元々、「落語家は今が一番面白い」という持論があった。
(「今の時代が…」とか「2022年が一番面白い…」という意味ではなく「面白さは日々更新される」という意味である)

それでも映像や音源を聴いても、あまり変わんないんじゃないかと思っていた。

志の輔さんだけは映像で見たことがあった。

でも実際見るのと何か違う。

映像・音源の場合、声の音量なんかは後で調整されてしまう。

「桂二葉」⇨「桂南光」⇨「立川志の輔」という順番だった。

最初の二人は上方落語の人だったが、声が高く大きかった。

その後の志の輔さんの声が異常なまでに、小さく低かった。
それから段々と声が大きくなってきた。

聞こえないという意味ではない。引き込まれた。

昔聞いたことがあるんだが、
「初め小さい声でボソボソ喋り、だんだん大きい声になっていく」という手法があるそうだ。これを利用して、聴衆を引き込む。

それを演説で利用したのが、ナチスのヒトラーなんだが、

このヒトラーの手法は映像・音源では現れてこない。


逆もそうである。大きい声も、映像・音源では小さくされてしまう。

例えば、筆者は音楽ライブに行ったことがある。
単独のライブにも、フェスというのにも行ったことがある。

これも映像で見るとなんてことないが、実際の会場に行くと、

鼓膜が破れるんじゃないかというほどの大音量、この心地よさがある。

もう、アーティストの声なんて全く聞こえない。

ドゥンッドゥンッドゥンッドゥンッドゥンッドゥンッ

これだけである。

でもいい。迫力がある。


映像というのは全て残っているかと思いきや、いろんなものが排除されている。

絶対に生で見た方がいい。




回転寿司とケンタッキーが好きです。たらふく食べたいです。落語も見たいです。サポートお願いします。