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【女性落語家】

落語であなたの人生をナビゲート!おとうふメンタル〇ら落語コンシェルジュ®相山美奈子です。

 

女性の落語家さんが増えました。女性とか女流の言い方は、もうおかしいかも知れません。性別云々や誰をどうというつもりは毛頭ありません。今思うことを書きます。

 

やはり女性が高座に上がるとぱっと明るく華やかになる。

聞いているだけで楽しい気分になる。

でも落語は男性の歴史で、呑む打つ買うがあらすじになることが多い。男性の夢や理想、都合のいい話にできている。

 

ある落語家さんが、演者の演るおかみさんを見てごらん。大体本人の理想の女性だからと高座で話していた。それはそうだろう。

でもそんな噺を女性がするとどうなるんだろう。男性主体の噺を女性が演じるのは、やはりどこかに違和感を感じる。もちろんそう感じない噺もある。

 

 

男を演じて顔をゆがめたりするシーンもある。女性がやるとやはり美しくない。でも仕方がない、落語家なんだもの。

だったら女性の側から見た落語、女性の心情がメインだったり、例えば忠臣蔵に出てくる女性たちが主役みたいなのを作れば少しは緩和されるかもしれない。そこをなんとか埋めようとしていらっしゃる方も多く、多数の作品も生まれている。

 

 

 

誰でもどこかに「女性はきれいでいて欲しい」という願望があるのではと思う。願望というより思い込み、マーケティングなのかも知れない。

繰り返すがこれは誰がどうと言う話ではない。私だって数年前と比べれば酷いもんだ(だから最近自撮りをしない)

 

 

落語の長屋のおかみさんは登場シーンが少なくても、みんな意見は持っている。話す場が井戸端やお湯屋くらいしかないからこっちが聞き取れていないだけだ。でも女性が女性を登場人物のキャラクターで会場全体に理解してもらうには、多少オーバーに演じないとならない。それを客席で女性の私が見る時に感じる違和感は何だろう。ふた昔前のオフィスにいるような女性が浮かび上がる。それが会場全体に分かるならいいし、演者さんのお考えなのでこちらは見ているだけだ。

 

でも難しいなって感じる。もっと女性の落語家さんが増えてくれば、私の?な違和感も変わってくるのかな。もっと女性の落語家さん、増えませんかねぇ。

 

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