久しぶりに思ったこと

久しぶりに文章を書く。

昔から、話を組み立てるのが苦手だった。小学校のころ、作文で「言いたいことはわかるが時系列がぐちゃぐちゃです」と担任に書かれたことがある。

中学生のころ、感想か何かを各紙にも時系列を意識して、と書かれていた気がする。

高校生の頃は、せめてどこかに受かってほしいと現代文の先生が熱心に小論文を薦めて夏休みは毎日学校に投稿して毎日先生も見てくれたのを思い出す。

大学生になってゼミに入って、言いたいことはわかるがわかりづらい文章だ、とゼミの先生にも言われた。

先日の仕事の報告書も、「何を言いたいのかわかるけどもうちょっとわかりやすく書いてほしい」といわれてしまった。

文字という後で自分でも読み返せる視覚的にわかりやすくなっているものでも、わかりづらい、といわれる私。もしかして喋っている話はもっとわかりづらいのでは?と不安になる。喋っていると話の時系列がぐちゃぐちゃになっていることにも気づかないのではないか。だとしたら、私の話ってめちゃくちゃわかりにくいのではないだろうか。

私には小学校から仲のいい友人たちがいる。みんな優しい。私の支離滅裂な話に付き合ってくれていたのでは?ならば私の言いたいことを理解してくれた彼女たちの読解力は素晴らしいのでは?と思ってしまった。

仕事の研修で、プレゼンの発表を何度かした。その時もカンペを作って話したが、わかりづらかったのではないか。というか普段から私はわかりづらい話し方をしているのではないかと改めて感じた。

人に説明する際、言葉が詰まって出てこないことがある。一度自分でも読んでみたのに誤字がある。ケアレスミスが多い…など、ちょっとやばめな症状が露呈しているのは、単に私が注意力散漫なのか、小さい時からADHDみたいな症状を持ってたのか。不安に思うことは多々ある。

でも仕事では許されないため、よりいっそう集中しなければならない。改善するためには、相手のことを考えて話したり行動しなければならない。

こう思うようになったのは、人と関わる回数が多くなったからだと思う。

大学生になって少し自分の性格が変わったな、なんて思ったときにはこんな簡単なこと、もうできなくなってたのかもしれない。前はできていたのか、と思うとちょっとわからない。

相手のことまで配慮する考えに至らない時点で、人として何か大事なものをなくしてしまったまたはもともと持っていなかったのかもしれないという気がしている。

いろんなことに興味があるのでいろんなことに手を出します。ストップかけたほうがいいときは言ってください。