思ったこと
本当だったら、今日は親の実家にいて、親戚に会って、楽しく過ごす予定だったのに。
コロナウイルスのせいで帰省もできず、こうやって昼間から卒論にいそしんでいる。
卒業論文では、父娘関係について研究を行う予定であった。
しかし、先生からの助言もあり、過保護と過干渉についてのテーマに切り替わった。
過保護は子どもの行動まで親が代わりにやってしまうこと、過干渉は親が子どもの行動を制限してしまうことと少し意味が異なっている。
過干渉は「親の価値観の押し付け」だという人もいる。
私はここで、どちらがいい悪い、子どものためにどうすべきかということを語るのではない。
なぜ過干渉や過保護が起こるのかということについてを研究で明らかにしていきたいと思っている。
なので、そういうことではなく、昨日アルバイトをしながら思っていたことを綴ろうと思う。
私はこのアルバイトをしていて、天職だと思い、就職先も同じような業界を選んだ。
以前の記事からわかる通り、私は教育業界に従事している。
教育業界に従事する理由は何かと聞かれると、誰かの成長や輝く瞬間の傍にいることができること、これから日本を背負っていく、あるいは世界の運命を変えてしまうような人に出会えることだと私は考えている。
良くも悪くもバイト生に裁量が大きく、面談もバイト生がたまに担当することを踏まえると、生徒の人生に影響を大きく与えられる仕事であり、一方で生徒の視野を狭めてしまうことだってある、責任が大きい仕事だと思っている。
だからこそ、その生徒の意見を聞き、一緒に伴走すること、生徒の味方であり続けることが必要だと思う。
人は親の価値観やその家庭の価値観を無意識的に強く持っている。
これは生徒と面談をしていて顕著に見られる。
生徒に「なんで看護師になろうと思ったのか?」と尋ねると、お母さんが女だから国家資格を持っていたほうがいい、看護師なら大丈夫、などの理由が多かったりする。
またある生徒になぜこの大学を選んだのか?と尋ねると、「親が」という主語をくっつけて話す生徒も多くいる。
じゃああなたは本当は何がしたいの?と聞くと、「わからない」と答える人が多い。
わからないなら、とりあえず好きなことをやってみてもいいと思うのだ。親のいうことを聞いてやってみてもいいし、自分の興味のあることを突き進めたっていい。
私は生徒にそういうようにしている。誰でもない、自分のための人生を自分で使っていってほしい。失敗だって何度でもしたっていい。沢山経験をして、沢山経験するには沢山の挑戦をして、沢山失敗して、失敗を知った分だけ強くなってほしい。失敗から立ち直れる社会になってほしい。立ち直りを手助けしてくれる社会になってほしい。
そんな思いで教育従事者となっている。
いろんなことに興味があるのでいろんなことに手を出します。ストップかけたほうがいいときは言ってください。