手記

2020/05/16(土)

緊急事態宣言が解除されるようだ。

約半月、アルバイトが休みになって気づいたことは、話すことが苦手になってしまった。

私と話していて楽しいのか?私が今喋ってることはずれたことを言っていないか?

文字だけのやりとりに慣れすぎてしまったのか、会話のずれを異様に気にするようになった。

自分もよく話したいことが多すぎて話題がころころ変わる方だが、それによって人に迷惑をかけているのではないか、相手の聞きたいことにこたえられているのか。

会話は、相手の聞きたいこと、有益になることを話さなければならない、とキャリアセンターの人が言っていた。

就活には確かに必要なことだ。
先日オンライン面接で失敗したな、と思うことは、相手の聞きたいことにこたえられていなかったことだ。ながながと詳細を話そうとするあまり、簡潔に言うと何なのか、抽象的な表現を使いすぎて具体的に言うとなんなのか、などと質問で返されてしまった。たぶん落とされたと思う。

自分の行きたい企業が2社あり、どちらかに入社できればいいと考えているが、そのほかのいわゆるすべり止め、のような企業の面接を受けていると、どうしても忙しいのに人事の人に時間をとってもらってわざわざしなきゃいけないのか…と申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

だからこそ、会話を簡潔に、相手の聞きたいことに答え、相手の有益になる情報を。なんていうけれど、偽った自分は見てほしくない気持ちもあるのだ。

偽った自分で面接を受け、入社し、会社とあわないな。なんて思いたくない。だからこそ、うそをつかずに、赤裸々に話していいってものではないのが、大人になるっていうのは面倒だなと思うことでもある。

緊張してしどろもどろになった自分だって、それでもなんとか伝えたいことを伝えるし、会話を続けようとしてくれる自分を見てほしい、なんて企業に選ばれる就活生の側から考えるのはおこがましいことなのだろうか。

そもそもそんなに会話に相手への有益性を考えてしゃべらなくてはならないものなのか、確かに、「なんのフルーツが好きなの」と聞かれて、「一番好きなのはタコ焼きだけど、しいていうならう~ん、リンゴかな」なんて答えるのはちょっとズレているかもしれない。

でも会話が成り立っていればいいのではないか、なんて私は思うのだ。そんな話をしたら一刀両断、相手の聞いてることにこたえられないのはだめだ、なんて言われて、自分がこのようにずれた回答をしていないのか余計に意識するようになった。

声を出すのも、人と会話するのにも全神経を集中させるし、会話ってこんなに難しいものだったっけ、と思うぐらいに、人と会話をすることに負の感情を抱いていたりする。

友人から、私は人よりも心が広い、沸点が低すぎると言われたことがある。
確かに私は普段そんなにイラつくこともなければ、怒ることもない。
誰かとケンカした時は私がいつも謝る側だし、けんかすらしたくない、胸が苦しくなると思うたちだ。

相手に嫌な思いをさせるのなら、自分が我慢すればいいじゃないか、と思うし、そこまで通したい自我もない。

それはきっと、自分が自分でいっぱいいっぱいだからだと思う。
目の前の人を困らせないように、楽しませないと、会話だって続けなくちゃ、ちゃんと質問に答えなきゃ、私は質問されたらずれた回答をするって自覚あるから、相手の質問をいったん頭の中で英語に置き換えて、じゃあこうやって英語で返すから、あ、こうやって返そう、それだと会話が終わっちゃうかもしれない、じゃあ答えた後にこうやって答えて、そしたらきっとこうやって返事が返ってくるだろうから…なんて常に頭をフル回転させて考えている。

相手に嫌われないように、ずれた返事をしたらだめ、聞きたいことに答えなきゃ、頭の中で伝えたいことをまとめて話す努力しなきゃ、あ、でも即時性を持たなきゃ、など考えているとどんどん人と会話するのが楽しくなくなってくる。

会話って、こんなに難しかったっけ

ある種の強迫観念のようなものが、就職活動中はずっと私をついて回る。
自分の好きなことだけ話してはいけない、相手の話を聞くのも好きだが思ったことを口に出してはいけない、相手の有益になるような示唆を含んだ発言をしなきゃいけない。そんな思いがあって口をつぐんでしまうことが多い。

とにかく、私は話がずれていってしまうのを直したいと思っていると会話が難しく感じて、苦しいというお話。

いろんなことに興味があるのでいろんなことに手を出します。ストップかけたほうがいいときは言ってください。