記者会見、会見ということについて

これを書いている現在は、ジャニーズ問題の2回目の会見後のことである。この会見では、会見後に質問させない記者たちがリストアップされたNGリストが露見して、会見を行った側への糾弾があったり、なかったり。まあ、そんな最中だ。さて、こういった記者会見について、昔っから考えていたことがある。発端は、古い話だが、島田紳助が引退前に行った最後の会見の、その会見直後の様子だった。テレビで流された彼ら、紳助や仲間の元プロボクサーとかがガッツポーズを取って、やった、やり抜いたと喜びに沸いていた。そのように僕の目には映ったのだが、それで、ああ、記者会見と言うものは、会見を行った側にとっては、「言わないで置きたいことを言わないで済む」ことが成功なんだな、と思ったのだった。それからは、あらゆる会見をそういう目で見ている。例外はなく、どんなに記者側、社会側に対し、誠意を持って対応しているように見えても、会見側は言いたくないことを言いたくない。だから、本来、記者側の姿勢としては、言いたくないことを言わせる突っ込んだ質問を浴びせるのが正しいと言えると考えている。今回のジャニーズ事務所の会見もそうだろう。NGリストだけではなく、このような大きな問題で、そんな彼らの自分可愛さの姿勢に対し、きちんとした記者や識者が怒っている。まあ、今回の問題は、攻撃している記者の側でもあるマスコミや、もう社会全体の、見て見ぬする姿勢から同罪であり、目くそが鼻くそを糾弾している、との指摘もあるが、まあ、そういう側面もあるだろう。だが、そうだったとしても、記者の側、マスコミの側が力をつけ、徹底的に質問し、裏を暴き、こういった社会の膿を出すことは必要だろうと思う。ところで、こういったNGリストだが、暴露こそされていないだけで、政府の会見すべてで間違いなく使われているのだから、「えー、日本ではこういうのOKなんじゃないの!」って言われたら、誰も文句も言えないって思うのだが。

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