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視点と恵み多き人生

  嫉妬。実に厄介な感情である。そしてどの人にもどの年代にも悩みの種となる。親の愛情や注目を奪っている妹が羨ましい、親のコネやお金でいい思いしているあの子が許せない、同僚はなんで同じ給料なのにあんな外車に乗れるんだ、などなど嫉妬のたぐいは実に様々だ。そしてその獣のような感情は実に苦しいものだが原因は他者との比較によって生じる。

「比較をするな」―よく心理学の本で提唱される幸福の見つけ方である。他者の富が可視化されている今の時代実践するのは難しいが、では視線を現在当たり前に享受しているものに向けてみたらどうであろう?それがいきなり奪われたと想定したら?

もし健康を失ったらどうであろう?仮に糖尿病だとしたら揚げ物や甘いものが食べられない。家族と外食にも行けないしこの猛暑にアイスすら楽しめないのだ。逆にアイスが食べられるだけでも幸運なのだ。もし目が見えなくなったり耳が聞こえなくなったら?スクリーンの向こうのあの大好きな人の顔も声も聞けなくなるのだ。コンビニに行くのもままならない。逆にコンビニで新商品を物色できるのはこの上ない自由なのだ。

聖書に「持っている者は更に増え、ない者は更になくなる」という言葉がある。これを投資に例える人も多くいるが、イエス様が不労所得を勧めるとは思えない。「私にはこれもあるし、あれもある。」という視点でものごとみれば「持っている者は更に増え」、「私にはこれもないし、あれもない」という考えで観測すれば「ない者は更になくなる」のではないかと私は独断と偏見で捉えている。

脳は意識を向けているものの情報を集めるという性質があるという。「私は恵まれている」という証拠集めをすれば脳はそのような情報をピックアップする。「私は恵まれていない」という要素を探せばそれもまた収集されるのだ。

中国だったかどこの国かは定かではないがこんな話がある。ある人が仙人にこんな悩み事を言ったそうな。「我が家は家が狭くて狭くて悩んでいる。窮屈でたまらない。どうすればいいですか?」と。そして仙人はこう答えたそうな。「もっと狭い家に住んでごらんなさい」と。そう言われた通りにしたその人は元の家が広く感じてありがたみがわかり、もう文句を言わなくなったとか。

意外と私の人生もあなたの人生も恵み多き人生なのかもしれない。視点さえ変えれば。

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