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林家たけ平と歩く吉原散歩

林家たけ平さんと吉原商店会長の不破利郎さんに案内していただく「吉原散歩」に参加。廓噺で出てくる吉原遊廓がどんなものだったのか以前から興味があり、関連書籍も何冊か買ってはいるのだが、想像は膨らむもののなかなか実感できないでいた。
実際にその場所を歩けば少しは理解できるのではと思いながらも、男一人で今の吉原をぶらぶらするのは昼間でもはばかられる。
そんなときに偶然見つけたのがこの企画。さっそく申し込んだが、毎回満員御礼の企画らしい。特に今、テレビで「鬼滅の刃『遊郭編』」がオンエアされているので、人気に拍車がかかっている模様。

散歩の後にはたけ平師匠の落語が2席楽しめる

吉原の料亭「金村」に集合して、まずはスタート地点「見返り柳」へ。

見返り柳。今は昔の場所から移動して植えられている。
吉原でモテた人だけが帰りにここで振り返って、その晩のことを思い出したそう。

ここからくねくねと曲がる五十間通りを進むと大門に着く。吉原の町の区割りは昔も今も変わらないそうだ。

五十間通り。曲がりくねっているのは大名行列や女子供の目から隠すため。
大門跡。今は交番がある。この脇の道がもとのお歯黒どぶ。

吉原遊廓の広さは今の東京ドーム2個分。大見世から小見世、大小さまざまな妓楼があったが、私が気になっていたのは文七元結に出てくる大見世の「佐野槌」。「角海老」として演じられることもあるが、この「佐野槌」が本当にあったのか知りたかった。
散歩中に横を歩くたけ平師匠に聞いたところ、「よくわからないんだよね。志ん朝師匠も『わからない』って言ってた」と。そのとき、案内人の不破さんが「ありましたよ。今、私の家のところが元の『佐野槌』」と衝撃の発言。不破さんの家とは吉原の中心にある「ホテルみかさ浅草」。「佐野槌」のあと別の見世になり、その後、今のホテルになったそうだ。
「そんな大事なこと、もっと早く言ってよ!」、たけ平師匠も大きな声を上げるほど驚いていた。

大見世「角海老」の跡には今マンションが。
このあたりの一画が「角海老」だった。敷地の広い大妓楼だったのがわかる。
「地獄」とも呼ばれた羅生門河岸の跡。

吉原の町を一通り散策して、終点は吉原神社。かつて吉原遊廓にあった玄徳稲荷社、榎本稲荷社、明石稲荷社、開運稲荷社、九朗助稲荷社が明治5年に合祀され吉原神社に。

参加者それぞれがお参りしたあと、もとの料亭「金村」に戻り、たけ平師匠の落語を鑑賞。
1席目は新作落語の「宿題」、2席目は羅生門河岸を舞台にした古典「お見立て」。
ついさっき訪れた場所の噺なので、頭の中想像する解像度があがったよう。

散策そのものは1時間足らずだったが、なかなか貴重な体験と知識を得ることができた。

「林家たけ平と歩く吉原散歩」

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