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通訳ガイドに必要なこと

通訳ガイドのぶんちょうです。よく通訳ガイドに向いている人は「明るい人」とか「しゃべるのが好きな人」とか、何やら地味系な人には無理な仕事なのかと思われそうなことが書いてあったりします。

本当にそうなのかなと思います。周りの人を見ても色々なタイプがいますが、性格に関係なく活躍しているように思います。私自身も特別に陽気なタイプではありません。でも、お客さんや状況によってキャラを使い分けることはします。

例えば20代前半の友人同士のグループだったら、私もキャーキャー言いながら渋谷の交差点を先導して渡って盛り上げてみたり、物静かな女性の一人旅なら、じっくりと相手の旅への思いを聞く役に回ったり。そんな風にちょっとした「役者」がその場でできればいいのだと思います。

「しゃべるのが好き」というのも、どうなのでしょうか。確かに話すこと自体がメインの仕事なので、話さなければ仕事にならないです。でも、やたらまくし立てて説明するのがいいわけではないのです。

それよりも、大事なことは気持ちを察することができるかどうかだと思います。

自分が海外に観光に行ったときの経験ですが、ボートの上で沈む夕日をひとり感慨深く眺めていました。はるばる遠い国まで来たこと、旅の終わりが近づいていること、色々な思いで自分の世界に完全に没頭して、「何もしない時間」をこころゆくまで楽しんでいるとき、不意にガイドさんに話しかけられました。

その瞬間、突然、現実世界に引き戻された気がして、ちょっと残念な気持ちになりました。ガイドさんはきっと私がぼーっと夕陽を眺めているので退屈しているのだろうと、気を利かせてくれたんだろうと思いました。さっきまで浸っていた世界に後ろ髪を引かれつつ、ガイドさんとの会話を始めたのを今でも覚えています。

でも、そのガイドさんと同じようなミスを私も、その後ガイドになってからしました。お年寄りのご夫婦でした。成田でお迎えし、成田エクスプレスで都内に入り、私も荷物を手伝いながら駅から少しの距離をホテルまで歩いている途中でした。その時の私は、早く重い荷物をホテルに置きに行くことしか頭になかったと思います。

後ろを歩く奥さんから呼び止められました。「ちょっと待って。立ち止まって、ここの空気を吸わせて。私たち、10年以上も前から来たかった日本にやっと念願かなって来れたの」しまった!と思いました。

私にとって、外国で見るボートからの夕陽が特別だったように、この東京の街の雑踏のなかに立っていることが、この外国のお客様にとっては、思いにあふれる事実なのです。そのことに思い至らなかった自分をとても恥ずかしく思いました。ガイドにとって「見慣れてしまうこと」はこわいことなのです。

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