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ガイドのおすすめ観光地 奥日光その2

通訳ガイドのぶんちょうです。日光、中禅寺湖界隈は明治から昭和初期にかけて、外交官の避暑地として栄えた国際リゾート地でした。40棟ほどあった各国の大使館のうち現在、英国大使館別荘記念公園として公開している建物をご紹介します。

前回のイタリア大使館別荘記念公園についての記事はこちらです。

旧英国大使館別荘は旧イタリア大使館別荘のすぐ隣にあります。英国大使館別荘になる前の建物の所有者は、明治時代の英国外交官アーネスト・サトウです。サトウは明治29年に、この別荘を建てました。

この辺りは車の出入りがなく、とても静か

英国大使館の所有になってから、2008年(平成20年)まで使用されていました。アーネスト・サトウとはこちらの人物です。

サー・アーネスト・メイソン・サトウ英語: Sir Ernest Mason Satow、枢密顧問官GCMG、1843年6月30日 - 1929年8月26日[1])は、イギリス外交官。イギリス公使館通訳、駐日公使、駐公使を務め、イギリスにおける日本学の基礎を築いた。日本名は佐藤 愛之助(または 薩道愛之助)。雅号に薩道静山[2]。日本滞在は1862年から1883年(一時帰国を含む)と、駐日公使としての1895年から1900年までの間を併せると、計25年間になる。植物学者武田久吉は次男。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

サトウと言っても日本の佐藤という苗字とは関係ありません。しかし、英国人の通訳者として来日し、日本語も堪能でした。徳川慶喜と中日公使ハリー・パークスとの会見の通訳もしたそうです。

サトウは幕末の志士たちとの交流も深く、明治維新にも影響を与えたと言われる人物です。また日光の他、京都などへの旅も楽しみました。彼の日光への愛情が個人の別荘を建てるまでに至りました。

別荘を建ててから5年の間に30回も訪れているというのは驚きです。本当に日光が好きだったのですね。そして、彼の日光愛の気持ちを横浜の英字新聞に記事を寄稿したことで、さらに外国人たちの間に日光の素晴らしさが広まっていったようです。

サトウが初めて日光を訪れたのが1872年(明治5年)別荘を作ったのは1896年(明治29年)のことです。その間鉄道は、上野-宇都宮間が1885年、宇都宮-日光間が1890年に開通しました。日光ホテルや金谷ホテルなどの外国人用のホテルも建設されました。

美しく整備された小道
1階のテラス
中禅寺湖を望む
2階の喫茶で提供の紅茶とスコーン

アクセスなどはこちらに詳しくありました。
https://www.nikko-nsm.co.jp/british.html


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