2023台湾旅行記 第2部 1日目前編(14Oct2023)
機体は何の問題もなく羽田空港を離陸した。これから台北に向けて3時間近くフライトが続く。私の席は通路側であった。窓とは2席分離れている。景色を見るには少し遠い。そのため到着までの時間をつぶそうと、私は映画をみることにした。
私が見たのは「アルゼンチン1985」という映画であった。戦前は先進国としての立ち位置にあったアルゼンチンは、第2次世界大戦終戦直後になると、政治的な混乱が見られるようになった。そしてその最終形態として政権を取ったのが軍事独裁政権である。1976年のことだ。結局は6年後のフォークランド紛争で、イギリスに完膚なきまで打ちのめされたあと、アルゼンチンは再度民主化した。この作品はそうした背景のもとで、軍事独裁政権時代に起きた人権侵害に審判を下す弁護士たちの物語である。だがやはり日本の反対側に位置している国のため、当時の国内情勢が映画内だけで理解するとなるとどうしても難しいところがあった。私は弁護士たちが横やりを入れられながらも、軍人たちの罪を裁く、という作品の大まかな流れは理解できたが、どうもそこから先がわからないのである。完全に勉強不足であった。
映画を中盤あたりまで見たあたりで、機内が騒がしくなる。時刻は12時20分。昼食時であった。
機内食があれよあれよという間に周りの座席のテーブルに置かれていく。私のところにもお肉とシーフードどちらがよろしいですかとCAが聞いてきたが、私はノーと答えた。いや、別に強がったわけではない。恥ずかしながら私はこの日まで、こういった機内食は追加料金がかかると勘違いしていたためである。追加料金を取られるくらいならついてから空港内でバーガーショップを見つけて、そこで食っちまおうという魂胆だったのだ。
真相に気づいてからは、私はあわててCAを呼びなおし、ランチを用意してもらい、ついでにそれに白ワインもつけてもらった。この忙しい時に、私はなんというはた迷惑な客であろうか。
メインディッシュは確かドミグラスソースのハンバーグであった気がする。このほかもおしなべて美味いものばかりであった。こういうことならば、空港で余分に100台湾ドルばかり支払ってハンバーガーを食べるよりも、こちらの方(しかもアルコール付き)がよほど良かっただろう。
日本時間で13時ごろ。出発からずっと日本の領空内を航行していたわれらがエバー航空189便は、とうとう台湾の領空に進入した。台北は台湾島の北端近くにある町なので、台湾に入ったということはすなわち、着陸も間近だということでもある。眼下にはうっすら台北北郊の山地が映る。だがそれもしばらくすると、台北市街とおぼしき町が広がってきた。飛行機はわずかに高度を下げ、市街地をより明らかな形で見せてきた。そして都市高速も見える。ぼくはそこで生まれて初めて車が右側通行で走っているさまを目にしたが、それはなぜかぼくに涙を流しそうにさせた。
あぁ、右側通行の国はちゃんと実際にあったんだ。嘘じゃなかったんだ。
俺は外国にいるんだ。皆ここで生活を営んでいるんだ。そして俺は今からその中に入っていこうとしているのだ…!
「ここで人が暮らしている」。その事実もまた、奇妙なことに僕を台湾とその国民に対していとおしい気分にさせたのである。
台北には2つ主要な空港がある。ひとつは桃園空港だ。
東京で言うと成田、大阪で言うと関空に相当する。台北からみて西にある桃園市に位置している空港で、長距離便はここに到着する。なおここは、台湾で唯一、欧米からの直行便が発着する空港である。
そしてもうひとつが松山空港だ。ここは東京では羽田、大阪では伊丹にあたるところであろう。だがしかし、羽田とは違い(伊丹は現状国内線専用となっているが)発着便は日中韓3か国からのものにとどまっている小規模な空港である。その代わり市街地へのアクセスは良い。
今回私が乗った便も、ここに着陸した。これからいよいよ外国人として数日ほど過ごす生活が始まるのだ。
入国審査も特に問題はなかった。しいて言えばパスポートだけ渡して入国審査カードの記入を忘れ、「あなた、入国カード、書いて」と言われたぐらいか。
この後は台湾ドルへの両替も済ませ、地下鉄を2本ほど乗り継ぎ、民権西路駅近くのホテルに向かった。(第2部前編 了)
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