
本物と、本物じゃないものの違いについて考える。
ふと手にしたひとり時間に、あてもなく街を歩くことに。
雑貨屋さんを覗くのが趣味なので、雑貨があるお店を見つければふらふらと入ります。
ずっと欲しいと思っていた、ヨーグルトを入れるのにちょうど良さそうなガラスの器。少し気になる、大皿料理を取り分ける用のカトラリー。
思ったことを書き溜めているノートも、残りが少なくなってきたから替えを買っておきたい。
色々なお店を見ているといつも思うのは、どこのお店も似たようなものを置いているなあということ。そして、今のトレンドやら色やらを反映した「真似っこ」商品が多いなあということ。
トレンドが悪いわけではもちろんない。トレンドがあるからモノを買いたい気分にだってなるし、だから消費も生まれるし、お気に入りの新しいものを手にしたときのウキウキは人を幸せにしてくれます。
けど、やっぱりトレンドのもの自体にどこか諦めみたいな空気が漂っている気がしてくるんです。
トレンドのものだって割り切っている感じが出ているし、もっと言えば、トレンドが終わったら処分していただいて構いませんよ、みたいなオーラが出ている感じ。
きっと作っている人自身も、同じように考えて、割り切って作っているんだろうなと、そういう感じを受けるんです。
洋服は消耗品なので、まだトレンドが受け入れやすいけど、雑貨のような消耗しないもの、長持ちしちゃうものは、ちょっとトレンドの取り入れ方が難しい。と思います。
たとえば、野田琺瑯のホワイトシリーズはものすごく人気だし、これからもたくさんの人が使い続けるだろうし、私も今使っているのがダメになったら買い換える。どこのお店にも置いてる。
WECKの保存容器もそうだし、イワキのパック&レンジもそう。
けど、明らかにそういう王道の長年売られているものにインスピレーションを受けた(ように私には見える)真似っこ商品が、今っぽい色をつけて、ちょっとだけ形を変えて、別のお店に並んでるのを見ると、ちょっとウーンと思う。
一見ぱっと目を引くんだけど、それはそれで可愛いんだけど、生産工程としてはイチから作ったオリジナル品なんだろうけど、どこかに少しだけ偽物感というか、諦め感みたいなものがある。
私はそういう諦めオーラを発しているものを10年とかの長いスパンで愛せる自信がないので、買おうとは思えないのです。
だから結局、いつもある、いつも変わらない、ずっと買い足せる、王道みたいなもので、家にあるものを揃えていきたくなる。
そう思うと雑貨には、本物と、本物でないものというのがある気がしてきます。
けどその違いってなんなんだろう?と思うと、やはり、作り手の思いや、その歴史から生まれる佇まい、という気がするんです。
その違いは、名前ではないし、値段でもないし、素材でもない。
よく知られているから良いわけでも、無名だから悪いわけでもない。高いから良いわけでも、安いから悪いわけでもない。貴重な素材だから良いわけでも、手に入りやすい素材だから悪いわけでもない。と思う。
半年くらい前に読んだ落合陽一さんの本で、本当とそうでないものの違いに「佇まい」という言葉を使われてて、そのときは「?」と思ったんですが、最近になってようやく、なるほどなあと思うようになってきました。
たくさんの人が使うから歴史ができて佇まいが生まれてくるのか、佇まいがあるからたくさんの人が使い歴史が出来ていくのか、どちらが先なんだろうという気もしてきますが、おそらくどちらの場合もあるんでしょうね。
「佇まい」がわかる人間になりたいし、お金を払って買うなら「佇まい」を感じるものを買いたいなと思う今日この頃です。