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「ライティングのお仕事できますか?」って言われた

私は「ある方のメールマガジンを代筆する」に失敗したことがある。

2020年、とある勉強会に属し「誰かメルマガの代筆をやってみたい人?」の掛け声に勇気を出して手をあげた。資料を渡され、「この資料の内容を小出しにしながら書いてみて下さい」と言われた。

私の文章が評価されたのは後にも先にもあの瞬間しか思い出せない。それは小学生の時。「お母さんのひざ」というタイトルの詩を書いて一等賞をもらった。その時「ひょっとして、私、文章上手なの?」ってハッピーな勘違いが潜在意識に植え付けられたかもしれない。

その後の人生で「文章を書く」とは、日記だったり、手紙だったり、仕事での書類だったりでしかない。書くことで稼ぐって考えたことなかった。

会社を辞めて、自分で何かをする必要に迫られて、ふと小学生の時の記憶が蘇った。「書くが仕事になったら、家で出来るし、母に介護が必要になっても続けられるんじゃない?」

メルマガの代筆、勇気を出してヤル気を売ってみた。私に割り当てられたその方は、60歳前後の男性経営者。リクエストされた通り、渡された資料をネタに順調に楽しく書いていた。

しばらくしてふと思った、その方がどんな方なのか、どんな考えを持っているのか、もっと深く知っていた方がよいものが書けるのでないか、過去のメルマガやSNSをチェックし始めた。

そして書けなくなった。人生の、会社経営の、酸いも甘いも経験された方の、その言葉のひとつひとつが濃いくて深い。渡された資料をネタに書く私の文章のなんとペラペラなこと。実際に体験したことをベースに書くのと、想像で書くのでは雲泥の差だ。

売ったヤル気は粉々に砕けてしまった。その人の代わりにその人の言葉を書くことは私にはムリだな、少なくとも現時点では、って悟った。

悟ったはずなのに、今日ライティングの依頼を受け取って胸が高鳴った。

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「うれしー」と同時に「誰かの代筆はムリって悟ったんだよね?」心の声がこだまする。

「どうしよう、どうしよう、風の時代はスピード感が大事、考えないでヤル!だったよな」
「いや、ちょっと待て、私は遺伝子鑑定では即決禁止の人だったよな」
「たしか、スピード感が大事とは言え、それがただの勢いか魂の声か見極めなきゃいけないんだった」

私があれやこれやと思い悩んでいる間に、このお仕事は他の方に決定したと連絡があった。ちょっぴりホッとするわたし。やっぱり今の私には誰かの代筆はムリって改めて悟った。

同じことで迷った時のために、自分にお灸をすえるつもりで書いた記事。


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