見出し画像

小川楽喜『標本作家』

『三体』を読むのを今年の目標にしました。でも最近長編小説を読んでいないし、SFに疎いのでいきなり行くと挫折するんじゃないかと思って肩慣らしをしています。
最初は『三体』を読む肩慣らしとして『文字渦』(円城塔)を読む予定だったのですが、口コミを見たところ肩を壊して挫折する可能性があったので、ストレッチ代わりに『標本作家』を借りました。
ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作品と知ったのは半分くらい読んでからです。面白いわけだよ。

ここから先はネタバレを含みます。

〈痛苦の質量〉

作品のあらすじ紹介が本当に面白くて序盤でかなりテンションが上がったところです。
「一般的に無価値・無意味なものが当人にとって特別な価値・意味を持っている」という描写が本当に好きなのでここでメロメロになりました。
主要参考文献で「ドリアン・グレイの肖像」があったのであらすじを確認しましたが、ちょっと違っていたので安心してオリジナル解釈の話をします。

退廃・堕落を主題とした悲劇的な作品なのは前提として、
ギーメルによって醜く描かれたケテルは、ギーメルによって幸福になったといえるのではないでしょうか。
対象者の死後、ギーメルの手で描かれたケテルの肖像画は他人によって肖像画そのものに手を加えられない限り変化しないだろうから、「永遠が約束された幸福を与えた/手に入れた」という一種の幸福と読みました。

ケテルの肖像が燦然と輝くものであった頃は廃人同然でその美しさを認識できなかったギーメルが、自らの手で描いた幼児の落書きより粗末な醜いケテルの肖像を見て満足げに笑う――

その人にしか理解されない美しさ・価値の極致の描写です。
同じストーリーのものがあるならぜひ読みたい。ご存じの方は教えてください。


津島衆

太宰治だ!!これもうほぼ本名じゃんか!!!!
ここに来てようやく元ネタがわかる作家が来てテンション上がりました。
名前と強エピを押しつつ数人を混ぜてるのかなと思ったけど、井伏鱒二と織田作之助の下りで確信した。これは太宰治。
パーティで桜桃が出てくる下りとか露骨すぎて手を叩いて喜んでしまった。

イギリス文学に詳しい人はこれと同じようなことが文人十傑のときに起きているんだろうか。楽しすぎる。

ディケンズ邸のパーティ

このシーン、メアリの作家性が認められていることを表しているのか?
津島の要求した見返りは「館の小説家全員の、主観的な世界の現出」だったので、メアリの願ったこのパーティは本来実体化しないはず。
終盤において、「明晰夢を重ねているよう」とはいえリアリティを持って書かれるこのパーティは、メアリの完全な妄想かもしれませんが、私は実体化した主観世界だったと思っています。メアリがこの物語において権力を握っていくのは他視点の描写で明らかになっているし。
でも、二つの世界を重ねて見ている点と、他に同じ光景を共有した生者がいないことが引っ掛かります。解説欲しい。

また、ディケンズ邸回想の合間の地の文に「~しなければなりません」が繰り返されており、メアリも終古の人籃をめぐる物語の登場人物になったことが強調されているようでゾワゾワしました。
メアリが異才混淆を解除させるべく動いたことで、終古の人籃、ひいては人類の終わりが引き起こされる(そうとは限らないものの)ことから、メアリが物語を主導し幕を引いたように見えて、メアリ自身も物語から脱することはできなかったというのがなんとも人間らしくて良い。


一人称小説の罠

一人称小説は認知の歪みが入るから注意しろって習ったな~!でも習った時の教材は過去の出来事を思い返すタイプの小説だったので、現在進行形の地の文のことは完全に信頼してしまった。

メアリの書簡は気を付けていたつもりだったけれど、周囲の人の変化や捉え方に気を取られた上、肝心のセルモスが行方不明になっていたので、津島とクレアラの対話の最終盤まで序盤の自己評価の低さとセルモス側の苦悩に全然気づけなかった。
異才混淆Ver.2でクレアラとセルモスを組ませる奴が、無力で隷属するだけの存在なわけないだろ!!

メアリとセルモスの本質的な関係についても、第五章でロバートが 〈無知の情景〉の解説をしてサロメとヨハネの認識について断言してくれるまで気づかなかった。不覚。

セルモスから津島への依頼内容に至っては、津島の切れ切れの文章でようやく察し、クレアラに答え合わせをしてもらったようなものだ。


その他

「幻聴がする」といえば芥川龍之介の『歯車』だけど、太宰の作品や本人にそういう話あったっけ?やっぱり芥川と太宰の融合体か?

作品内で当たり前のように数百年が経過するので楽しくなってしまう。


まとめ

要素がふんだんに詰まっていて複雑でありながら読みやすく、いろんな本が読みたくなるし、もう一度頭から通しで読みたいし、本当に面白い小説でした。
ちなみにこの一冊に夢中になっているうちに図書館の返却期限が来たので、一緒に借りてきた『文字禍』は読めませんでした。
標本作家をあと二周くらいしてから読みたい。




この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?