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音の味がする

子どもの頃から金属音に味を感じる。情緒的なものではなく、音に反応して口中に苦味と酸味、わずかに渋みが広がり、吐き気をもよおす。金属音には基本えぐ味があるが、中でも甲高い音、カリヨン(鐘)やオモチャの鉄琴にはフルーツビネガーに柿の渋み、そして熊の胆のような苦み混ぜ合わせたような味を感じる。金属音だけでなく、厚い本を閉じる時の音に「遠くで三盆糖の甘味を感じるきな粉」、ギロに「出汁味のある塩気」を感じる。全ての音に味があるわけではなく、特定の音に反応して味がするのだ。このような現象は「共感覚」というものらしい。

共感覚とは、ある情報、例えば文字や音、数といった情報に対し、頭の中で一般的な処理(例:字や音声で表した数をその数として認識する)だけではなく、そこには無関係な感覚や認知の処理が同時に行われる(例:字や音声で表した数をその数として認識するだけでなく、全く関係のない色や味、匂いなどを感じる)ことをいう。つまり、私が金属音を金属音として認識するだけではなく、全く関係のない味を感じることが「共感覚」と呼ぶようだ。

この感覚は、少なからずみんなが持っているものだと思っていた。以前に何回か友人に、自分の感覚について話したことがあったが、共感してくれる人はいなかった。それどころか、何かしらの病気なのでは、と心配された事もある。調べてみると、この感覚を持つのは人口の数パーセントしかいないそうで、さらに、その「共感覚」を持つ人であっても、それぞれに違った「情報」に反応して「無関係な感覚や認識」をするので、私の「共感覚」と同じ人というのはなかなかいない。だから共感を得ることは難しい。

「音に味がある」ことが「共感覚」だと分かった後で、よくよく考えてみると、子どもの頃から「火曜日は青色、木曜日は黄色」と認識していたり、「数字に(音階ではなく)音がつく」のも「共感覚」、みんなが感じているものではなく、私だけが感じていたものだったのだ。それにしても、少し面倒でもあり、面白くもある感覚だ。

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