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建築家として生き残るためには?

コロナ禍から引き続きウクライナ紛争へと世界情勢は非常に不安定な日々が続きます。どんなに文明が進んでも、自然がもたらす脅威に対しては、人間はちっぽけな存在であり続け、加えて人間同士の愚かな対立はいつまでも続くものだと痛感します。これはどうしても変えられない性(サガ)なんだと思います。
そんな中、建築家という商売をしながら僕らはどう生き残れるのでしょうか?
10程年前、イギリスの設計事務所からの転勤でアラブ首長国連邦のアブダビという街に赴任したことがありました。アブダビで請けていたプロジェクトの現場担当として現地に張り付いてクライアントや現場の担当を受け持っていました。ちょうどリーマンショックの後だったので、世界経済は不安定な時期ではありましたが、プロジェクトは滞りなく進んでいました。しかし3年余りの赴任が進んでくると世界情勢が劇的に変動し、そのあおりを受けUAEの状況も変わっていきました。特に直接的な影響を日々の生活で感じるほどではなかったものの、クライアントは不透明な将来に漠然とした不安を覚え、事業の継続に躊躇するようになりました。
結果プロジェクトは中止の決定となりました。中止以降しばらくはアブダビに駐在し続け様子を見ていたのですが、半年あまり経った時勤めていた設計事務所から解雇を告げられました。プロジェクトが進んでいない中、事務所として報酬も受け取れず、僕が駐在している経費だけがかかっている状態だったからです。
この時、自分が間違いを起こしたり、技術や知識が足りなかったりした為の解雇であればいざ知らず、全く関係もないどこかの国の経済状況が世界経済に影響を与え、それに漠然と不安を感じたクライアントがプロジェクトを中止して、そのあおりで自分が解雇になるという。。。雨が降れば桶屋が儲かるみたいな現象に全く納得がいきませんでした。
その中で教訓として自分が得たのは、仕事を続けられるようにする為には、自分のスキルを磨き経験を積むだけでなく、広く社会の状況を観察し、危険を察知し、自身を守るために様々な布石を打つ必要があること。自分の身は自分で守ること。。。なのでした。建築家の仕事は悲しいかな経済活動と密接な関係を持っています。芸術家ではないので、俗世界と離れたところで自分がやりたい設計をやるというわけにはなかなかいきません。ほとんどそんなチャンスはないと断言してもいいくらいです。そんな俗っぽい社会に深く依存しながら、青臭い理想を語らなければいけない不思議な商売です。そんなバランス感覚を持っていないと、いずれ息詰まることは心しなければいけないと思います。